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映画『TAR/ター』感想

予告編
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キャンセル・カルチャー


 天才的指揮者の主人公が、とある疑惑をかけられたことでその地位を失っていく様を描いた本作。その疑惑の真偽や、主人公であるリディア・ター(ケイト・ブランンシェット)自身の責任の有無などに関しては、特に本項で述べるつもりはありません。もちろん、ネタバレ防止というのもありますが、何よりも本作の一番の見どころはそこではないと感じているから。

 本作は、彼女の苦悩を中心にドラマが描かれてはいるものの、実のところそれ以上に強く感じ取れてしまったのは、誰かを執拗に責め立てて追放・排斥しようとするような心理、いわゆるキャンセル・カルチャーと呼ばれるものでした。あくまでも、個人的には。


 そういった風潮や動きがなぜ生まれてくるのかが窺い知れるのが本作の魅力の一つ。一度そう考え出してしまうと、すべてのシーンの見え方が変わってくるようにすら感じます。時には苦悩する本人の心情、またある時は本人から見た周囲の反応などなど、追い詰められていく側の視点で様々なことが描かれていた印象です。

 

 たとえば、彼女の就寝時。暗い部屋の中、どこかから聞こえてくる何かしらの音。当の本人はともかく、少なくとも僕にとっては何の音かは判然としないシーン。音の出所を探して家の中を歩き回り、次第に大きくなっていく、その謎の音。蓋を開けてみれば「メトロノームが動いたままだった」とか「冷蔵庫だか何かの機械のファンが回っているような音だった」とか、そんな程度のことでした。

 しかし「何の音なのかがわからない」、「暗い夜中にふと聞こえてくる」という状況が、不安感を煽ってくるようなシーンにも見えてくる。そしてその後、以上のシーンと同じく、夜中というシチュエーションの中で、幻聴(≒人々が自分の事についてアレコレ言っているという妄想、夢)でハッと目を覚ます彼女の姿も描かれる。メトロノームにせよ機械音にせよ、なんてことのない音にすら不安感を感じてしまう心情を窺わせていたシーンだったと思います。

 また、“どこかから聞こえてくる” という見せ方で言えば、彼女が一人で外を出歩いていたシーンも印象的。謎の悲鳴が聞こえてくるシーンは、彼女以外に誰も人物が映っていないことによって、(先述したような音の使い方も相俟って)その瞬間の悲鳴を「彼女の不安感が生み出した幻聴なのでは?」と思わせてくれるようです。
 その他、屋内で野良犬に追われているかのように錯覚し、慌てて走って逃げるシーンや、一人で作業部屋に籠っている際に突然鳴り響く、来訪者を告げるインターホンの音なんかも同様の仕掛けと言えるんじゃないかな。

 


 物語が進むに連れ、どんどんと立場を追われていくリディアですが、以上までに述べたシーンとは異なり、次第に目に見えて色々なことが、本当に聞こえてくる。ガヤガヤと話し合いをする人たちの声(しかし、喋っている内容までは聞き取れない)が聞こえてくるものの、彼女がその人たちの前に現れた途端、その場に居た全員が一斉に言葉を止め、振り向く。たったそれだけのシーン。そしてその直後のカットでは、頭を抱えるようなリディアの後ろ姿だけが映される。特に明確なセリフも無いこの一連のシーンだけで、彼女が精神的に参ってしまっていることがわかります。

 “喋っている内容を聞き取れない” という点でいえば、字幕無しのセリフが混ざり込んでいたのも印象的。オーケストラで指示(多分ドイツ語?)を出している時など、字幕が無いシーンが幾度も見受けられた本作ですが、その〈字幕無し〉という数秒が、ある時、「もしかして何か良くないことを言われているんじゃないか」と不安にさせるシーンに見えてしまう瞬間が訪れる。これもまた嫌な感じ。

 とまぁ、挙げたら切りがないのでそろそろ打ち切りにしますが、こういった追い詰められていく側の心情を映像的に醸し出すようなシーンが本作には幾つもあります。

 


 ある時、彼女の過去の発言を悪意ある編集で切り貼りしたような動画が見つかります。いわゆる〈切り抜き動画〉というやつで、明らかに彼女を貶めるような目的で作られたもの。たしかにこれは酷い。視覚的にも描かれてはいましたが、彼女自身も口にしていた通り「勝手にウィキペディアを書き換える」だとか、「人の悪口を言うしか能が無い」だとか、そんな輩が今はいっぱい存在する。

 けれど振り返ってみると、彼女も彼女で同様の言動が垣間見えていた。騒動の発端となった内容も然りですが、たとえば師匠とお茶をしている時、演奏家とランチをしている時、冒頭での対談シーンで長々と話をしている時等々……。当然、文脈というものがありますから、冗談半分だったり、何かしらの喩え話だったり、他人を悪く言うことについて、言葉の字面そのままの意味とは限らない。

 しかし残念ながら〈切り抜き〉とはそういうもの。言葉の真意は上手くは伝わらないことの方が多い。特に現代社会においては、それが顕著な気がします。

 本作はかなり長めの会話シーンが幾つかありますが、まさか一言一句正確に覚えている方なんていらっしゃらないと思います。会話シーンに限らず本作自体も少し長めの上映時間だったのは、人間の記憶だって切り抜きみたいなものであると自覚させるためだったのかもしれません。……随分と強引な解釈だとは思いますが笑。でもそう考えて本作を鑑賞するのも面白い。

 


 これまでの自身の行いが事の発端となり多くを失ったリディア・ター。そんな彼女がとあるビデオを見るシーンは、彼女の再生を予期させます。たしかにこれまでの自分自身の行いが原因の一端だったかもしれない、けれど、そんな自分を立ち直らせるのもまた、これまでの自分自身が通ってきた道の中にある(本作で言えば、彼女にとっては “音楽”?)のだと語っているかのように見えました。

 本作のラストシーンは、地位を失った彼女の行き着く先と捉えるか、ようやく心から音楽と向き合えるような場に立てたと捉えるか、観た方それぞれで様々な感想が生まれることでしょうけれど、あくまで僕にとっては、前述したビデオのシーンが非常に印象的だったため、とてもポジティブなラストシーンに思えました。


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