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映画『ナイトメア・アリー』感想

予告編
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始まりと終わり


 調べたところによると、なんでも1947年にも『悪魔の往く町』というタイトルで映画化されているらしい本作。でもネット配信もしていなかったしツタヤにも置いてなかったから観られなかったんですよねぇ……残念。

そんなわけで、過去作との比較というのはできなかったものの、なかなか見応えがあるというか、鑑賞し甲斐のある作品でした。タイトルにもある『ナイトメア・アリー』という言葉は劇中では「悪夢の小路」と訳されており、作中で主人公・スタン(ブラッドリー・クーパー)が経験する成功からの転落を示唆していることが窺い知れます。



 本作は、主人公の生い立ちや事情を説明することが特に無く、「何かあった」と匂わすシーンから始まるだけなので、物語の掴みというか、序盤から観客が乗り切れない、乗り損なってしまう可能性を、タイトルの時点で示しておくことで排除しているように感じられました。一度鑑賞し、あらかた内容を理解した上でもう一度鑑賞するというのも映画の醍醐味ではありますが、150分という上映時間を観客に二回も強いるのは少々不親切だしね笑。

だからこそ、冒頭でバスに乗り込んだスタンが寝落ちする瞬間に、「ここから悪夢が始まるんじゃないか」と思わせられる。もっと言えば、悪夢が始まる、悪夢を描くという世界観が醸し出されただけで、ギレルモ・デル・トロ監督というネームバリューが火を吹いたような気になるというか、「かの監督が描く悪夢っ!」という期待感が込み上がってきてワクワクしてしまいました。監督の個性出まくりの独特のヴィジュアルの映像が、より面白さを引き立たせてい ます。



 いきなり話は飛びますが、始まりがあれば終わりもあるわけでして。この悪夢の終わらせ方が凄く面白い。……まぁ要するに若干のネタバレになってしまうということで。とはいえ、このネタバレに関しては読んでも差し支えないんじゃないかな?

 冒頭、火を付けたシーン。おそらくはこのタイミングで父親の時計を手に入れた。そこから最期の最後で時計を手放す瞬間までが悪夢……そう思っていました。けれど、時計を失って一文無しとなり、とあるカーニバル一座の座長に “ある仕事” を提案された瞬間に、この瞬間こそが悪夢の始まりで、時計を身に着けてから外すまでのこの二時間超に描かれていたことこそ、この悪夢へと向かう小路だったのだと痛感させられました。現実だと思い込んできたそれまでの日々が破綻し、目の前の現実を受け入れる……ようでありながらも、まだどこか受け入れられていない、そんなわけないと思っているようにも見える悲しい微笑み。

 スタンの人生や境遇が変わったり、何かしら事態が動き出したりする度に、チクタクという時計の音が挟まれていたのも、父親の時計を着けている——悪夢の小路を進んでいる最中である——ことを浮き彫りにしてくれていたように感じます。また、その時計の音が、秒針が進むよりも速いテンポだったのも印象的。例えば、まるで〈成功〉という本来ならスタンの器には似つかわしくない等々の非現実感、或いは転落の速さを象徴していたようにも見受けられたました。



 本作に登場するギークについて。字幕では獣人と訳されていたそれは、怪しげな雰囲気の本作の中でさえ異物感が強い。ギレルモ・デル・トロ監督という先入観のせいか、一体どんな化物が出てくるのかと思っていただけに、正体が人間だというのは若干の驚きでした。過去に人外を描いてきた監督が、あくまでも人間という設定で怪物を入れ込む面白さ、そして常に悲しく憐れで汚らしい姿で描かれてきた存在だからこそ、成功という高みから転がり落ちるというギャップも相俟って、ラストシーンがバシッとキマるに違いない。



 先述した通り、本作の上映時間は150分。たしかに、始まってしばらくは主人公の目的もはっきりしないし、何かが起こりそうな怪しげな雰囲気ばかりが漂うだけなので、テンポが遅く感じてしまいかねないけど、着実に物語は進んでいく。だから見入ってしまう。

 あと多分、画の保たせ方も上手いんじゃないかと。ただ会話をしているだけのシーンでも、例えばメリーゴーラウンドを動かしたり、背景で雪が降りしきっていたり、はたまた立ち位置がちまちま変わっていたり等々、小道具やセットが画面内を占有するというタイプの画の保たせ方というよりは、あくまで画面の中枢は登場人物で、背景の中だけで動的な保たせ方をしていた印象です。よくカメラが動くのとも相性好いしね。

 そして、そうやって背景にも意識が及んでしまうような構図のおかげで、映画全体に仕掛けられている “円” の造りにも注目して物語を鑑賞することができます。例えば見世物小屋でのシーンでは、円形の檻のような場所に居るギークを、お客さんたちが眺めている。けれど、そんな描写があった一方で、物語の中盤では、スタンもギーク同様に、円形の舞台上でお客さんに見られているというシーンも描かれている。後々になってギークのような未来が待っているという結末を暗に示していたのかもしれないと思うと、こういった舞台上の造り一つも見逃せなくなってきます。


 一つ悔しいのが、エノクの存在。……あれ何なんだろう、いまいちわからなかったんです。「ドリーの息子の怨念の象徴なのかな?」とか「父親を恨んでいたスタンを映すような鏡だったのかな?」とか、色々と想像・妄想が定まらなくて、ちょっと消化不良。うーむ……。もし機会があれば、他の方の意見や感想も聴きたいです。ってか教えてください←


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