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僕の鬱病療養日記④

※このnoteは、小中高大と全てで不登校を経験。その後、教育系のNPOで活動するなどしていたが、2019年3月末頃より、鬱病を再発した僕の療養生活を記録しているものです。
 とりとめもない療養生活の日常の記録とともに、この期間を利用して読んでいる本や、見た映画など、芸術と思われるものについての紹介をしています。
 僕と同じように鬱や引きこもりで悩んでいる方、またその身近にいる方々、もしくはそこまでではなくとも、心が疲れているなという方々に読んでいただければ幸いです。

日常

2019年11月25日(月)朝9:00頃。

 今日の朝も3:00頃に一度目が覚めてしまった。なぜだかここ最近寝ていても途中で目が覚めてしまうことが増えてきている。この日記を朝に書き始める習慣がついたのも、4:00に一度目が覚めてしまったところからが始まりだったので、悪いことばかりではないのだけれど。今日は起きているにはあまりにも早い時間に起きてしまったので、二度寝をした。結果的に少しだけいつもより遅い時間に布団から出てきた。

 睡眠のリズムが狂うということがしょっちゅうあるため、本当にこれはどうにかしてほしい。3月末にパニック症状に襲われたときも最初は不眠から始まっていた。毎日1時間ほどしか眠れない日が続き、そういったストレスもあってなのか、ある日急に何も手につかなくなってしまったのだ。それ以前にも毎年必ず1,2回は眠れなくなる時期があった。さらに言えば、もっと昔、学校の修学旅行などで一泊するときも、必ず寝れなくなっていた。クラスメイトが寝静まった後も一人で布団の中で暇に耐えるあの苦しみといったらなんとやら。なので、どこでも、いつでも寝れるという人が心底羨ましい。すぐに寝付けるようになったらそれだけで人生が変わると言っても過言ではないと思う。少なくとも僕の人生の生き辛さを形作る一つの要因として睡眠のリズムが整わないというのはあると思う。

 日常の話に戻す。今日も朝からランニングをしてみようと思ったものの、昨日のランニングの筋肉痛が出ていたため、散歩するだけにとどめておいた。平日の朝から公園で散歩とは、23歳という若さでありながら、すでにお爺ちゃんのような気分である。毎日毎日、読書したり、映画を見たり、ギターを弾いたりという趣味ぐらしは、すでに老後の生活のようだとも思うので、あながち間違ってはいない気もするが。家族以外の人と会う時間がものすごく減ってしまったものの、多趣味だったおかげで、暇だと感じることはあまりない。少し前に、鬱病の療養仲間である友達と電話で話していたのだけれど、そのときには「おそらく老後には強いね。」という結論に至った。しかし、老後はまだまだ先で、今はとにかく目の前の生活を立て直していく必要がある。

 11月も最終週に入り、もうすぐすれば2019年も残すところラスト1ヶ月となる。そのことに対する焦りも自分の中では芽生えつつある。元気になるまではとにかく休むことと、周りの人たちからも言われたし、自分でもそういうふうに何度も言い聞かせるようにしてきたけれど、そろそろ動き出したい。何か一つでもいいから転がし始めれば、きっとまた動き出せるようになるだろう。このnoteもその1つと思って書き始めているのだから。

 しかし、またもう一度動き出すにあたって、鬱になる以前までのように、活発に活動出来るような状態をいきなり目指さないようにしたい。無理をしすぎて精神が壊れてしまったのだから、ゆっくりゆっくりと。この塩梅が難しい。なんでも0か100かの考えしか出来ないため、ちょうどよく動いていくことが出来ない。この機会を活かして、そうした自分にとって丁度いい生き方のペースを掴むことが出来ればと思う。


読書と映画と、その他芸術と思われるものについて。

 三度の飯より本が好きとプロフィールに書いているほどに、毎日している読書と、趣味である映画鑑賞の中から、好きな作品・言葉を紹介するコーナー的なもの。ときどきその他芸術と思われるものについても紹介するかもしれません。

 今日紹介するのは「見えないものに耳をすますー音楽と医療の対話ー」という本からのある言葉です。

 こちらの本の紹介をAmazonから引用します。

ノイズ、即興音楽から「あまちゃん」まであらゆる枠を超えて活動する音楽家・大友良英氏と、幅広く「医療」をとらえこれからのあり方を模索する、今注目の東大病院医師・稲葉俊郎氏。異分野で活躍するふたりは、お互いに「未知の扉を開けてくれる」存在としてリスペクトし合っています。それぞれの原点、受け取ってきたものや今を形づくっているもの、ふたりの活動にも大きな影響を与えた3.11当時のこと、そしてこれからの果たすべき役割について語り合った記録。お互いに投げかけた「10の質問」や好きな音楽と本のセレクトと解説など、書き下ろしも満載。

 音楽家・大友良栄さんと、医師である稲葉俊郎さんの対話の様子を描いた本なのですが、その中で稲葉さんが以下のような話をしています。

弱さがベースにあるのが人間です。だから本当は誰もが命がけの日々だったはずで、そうした過酷な一日一日をなんとか生き残り続けたからこそ、今生きている。そのことを忘れているだけで、誰にでも命がけで必死に生きていく力は備わっているはずなんです。(p34)

 図書館で借りた本だったため、現在手元にはないのですが、これはもともと人は生まれたときはとてもか弱い存在で、その中でも親の助けなどを借りながら生きてきたという過去があるという話の文脈での言葉だったと思います。

 この「本当は必死に生きていく力は誰にでも備わっている。それをただ忘れているだけ。」というところに僕はとても勇気をもらいました。

 鬱になってからというもの、最初の頃は、自分は不登校だった中学高校のときから本当は何も変わっていないんじゃないかと、絶望感に浸ってしまっていました。けれど、たしかに今また精神のバランスを崩してしまってはいますが、冷静にちゃんと振り返ると、この6年間は様々な場に出かけて、多くの人と出会い、ワークショップを行ったり、NPOで活動したり、毎日新聞社さんに取材をしてもらったりと、間違いなく中学高校の頃とは違い、エネルギッシュに動いてきました。

 稲葉さんの用いた言葉の意味とは少しずれてしまってはいるかも知れないけれど、「自分は今忘れてしまっているだけで、ちゃんと動いていく力はあったはずなんだ。それをもう一度ゆっくりと思い出しながらやっていければいい。」そういう風に思うと少し心が軽くなりました。

 僕は毎日夜寝る前に日記を書いていたり、読んだ本からいい言葉を書き残していたりと、ある種の記録魔に近いと自分では思っているのですが、そのおかげでかつての自分がどういうふうに考えていたかなどを振り返ることが出来ます。このnoteも同じく。稲葉さんの言葉を読んでから、何度か自分が頑張っていた頃の日記を読み直したりと、すこしでも自分の持っている力を思い出せるようにしようとしています。

 こちらの本は、他にも、生きていく上でとても参考になる言葉が多く記されているので、また何回かに分けて紹介するかもしれません。知性に満ち溢れたお二人の会話はとても楽しく読めるのでおすすめの作品です。

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