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昭和の思い出①
男女雇用機会均等法の成立
(1)有識者
ゼミの授業で教授が「今、男女雇用平等とか言ってるが、景気が良くて人手不足だから、女性が結婚して仕事をやめないようにする策略だ。本気にするな。」と言った。
TVでは、男女雇用機会均等法制定のための有識者会議の模様が紹介され、委員の女性弁護士が泣きながら「なぜ、女ばかりが苦労しないといけないの?」と言っている場面が映し出された。
後さこの弁護士と対談した男性の経団連副会長は「私は、この歳まで愛人をつくらずに来た。」と胸を張ったと雑誌には出ていた。
(2)セクハラ
また、同時期に、セクハラという言葉も誕生し、Newsweekでも紹介されたが、日本の雑誌には「ブスがセクハラを言い立てる」「そんなに嫌ならズボンを履け」という見出しが踊った。
ある評論家は「俺はセクハラの魔王だ。セクハラされたことを言いたければ言え。」と雑誌の対談で述べた。
当時、短大の先生だった上野千鶴子は、企業の人事担当者向けにセクハラについての講演会を行い、その様子をTVが流したこともあった。アナウンサーが「出席者は、まばらで関心は低調。」と伝えると、上野は下を向いてしまった。
野党第一党だった社会党の党首に女性の土井たか子が就任。その結果、フェミニストにはマスコミの光が当たったものの、この党首が辞任すると、上野千鶴子は「私の役割は終わった。」という言葉を残し、海外にいってしまう。アメリカのジャーナリストは「未来の日本を見せてもらった。」と言い、いったん幕がおりた。
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