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【ライブ原稿&動画】辞書とバーターの詩集なんかいらない



16歳の誕生日に国語辞書をもらった。わあ、言葉がたくさん。これでどんな詩も書けるね……というわけでもなかった。知ってる言葉、ではなくて、知らない言葉にこそ個性が宿るのだと、まだその時は知らなかった。

やがて僕の前に、スナフキンのような深い緑色の帽子をかぶった詩人が現れ、辞書と詩集を交換してくれた。詩集は、読めば読むほど、行間から言葉が湧いて溢れて、それから文字が七色に光って見えた。しかし全く意味は分からなかった。少し国語辞書が恋しくなった。

そんな折にまた僕の家を国語辞書を携えためがねの男が現れ、「第二版です」とか言いながら、詩集と交換してくれた。僕は今度は、辞書から好きな言葉、嫌いな言葉、ぴんと来た言葉を切り抜いて、意味不明な言葉の羅列を作り始めた。横にも縦にもつなげて縦横無尽、天地無用、僕だけの呪文、僕だけの地図、僕だけの国、僕だけの曼陀羅。

そうして夢中になっていると、例の、深い帽子をかぶった詩人が再び現れた。詩人は僕の領土、と言えるほどに広がった言語世界を見て目を見張った。そしてまた、詩集との交換を求めた。でも断った。辞書と交換の詩集なんていらない。だってもう僕は僕の辞書の行間から肉汁が溢れて、それから一文字一文字が肉の脂でてらてらと光るのが、手に取るように見えるのだ。耐え切れず、ハンバーガーみたいに両手で厚みの部分を挟み込んで、辞書にかぶりついた。詩人は、よだれを垂らしながら、自分の貧相な詩集の薄さをうらめしげに見やる。これみよがしにむしゃむしゃとむさぼりながら、時折、僕の喉に小骨みたいに言葉がひっかかる。それを引っこ抜いて、自分の領土の端に継ぎ足す。知らない言葉の上に住むんだよ、僕は。知ってる言葉を食って。

詩人のよだれが、まるで熱したガラスのように重力に従ってつやつやと垂れ落ちてとてもきれいだったので、舌を伸ばして思わず舐めとった。それからお礼に、レタスみたいに一枚、辞書のページをもぎとって、詩人にあげた。たいそう空腹だったのだろう、むしゃぶりついた詩人は次の刹那に激しく咳き込み、喉から首の肉を突き破っていくつもの言葉を飛び出させて、だらだらと血を流しながら、死んでしまった。

仰向けに倒れた詩人の頭から帽子がとれて、顔が見えた。

詩人は、人ではなくサルだった。

僕は、サルの手から詩集を奪いとった。詩集は前のより大きくて薄くて、少し透けていた。口に含むと、しゅわりと溶けるようになくなり、甘くてさわやかな脂の味が残った。もう辞書なんか食べていられないほどの味だった。

そういうわけで、僕はこの帽子をかぶり、詩を書き始めたのだ。

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