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page 10『 曖昧な色の落とし物 』ノンフィクション

 暫くのあいだ、私はリビングダイニングの椅子にうわの空の状態で座り続けていた。
体を動かさずにじっとしていると、不安がより増強しているような印象を覚える。頭の中の考えだけに意識が集中してしまい、不安に晒されている現況がはっきりと認識できてしまうようだ。

 きっと頭の中は今、混乱中という状況に等しいのだろう。どう対処すれば良いのかわからない無数の情報が、常に脳内であちこちへと飛び交い、ごちゃごちゃになっている。それと同時に、心臓の鼓動までもが激しく感じていた。

 深呼吸をしようと深く息を吸った直後のこと、私の元へと香ばしいいつもの香りが漂ってきた。その香りに我に返ると、私の前のテーブルにミルク入りのコーヒーが置かれている。
両親と夫は、話をしながらコーヒーやスイーツを楽しんでいたようだ。
目の前のコーヒーをひと口飲み、いつもの大好きな香りと味に包まれた私は、少しずつ落ち着きを取り戻しながら今迄のことを考え直していた。

 夫は、明日の夕方から出張へと向かう予定だ。みんなで話すことができる時間はもう殆どない。

現実と向き合わなければ...

 そう思った私は、自分から病気の話を切り出すことに決めた。
 両親も本題にはなかなか触れにくいのだろう。そもそも娘に病気の症状が出ていることは、父も母も昨日初めて知ったことで、強迫性障害がどんな病気かなどと、詳しいことは知るはずもない。

 先ず私は、今の自分の行動や感覚の話を伝えた。すると、父も母も始めのうちは怒るというよりは驚きの表情を見せ、信じられないといった様子であった。
 その後、荒れ放題の手を私が見せると、母は
さらに驚いた表情で

母「 手は大事にしなさいね」

心配そうに言葉をかけてくれる。
けれども、私が詳しく話をしていくうちに少しずつ状況は変化していく。

両親「 それが例え、病気の症状であってもダメなものはダメだから。家族に自分の勝手なルールを押し付ける、巻き込みはダメ 」

うん、頭ではちゃんとわかってるの

おそらく、この時が初めてだった。
私は自分の口から病気のことを両親に打ち明けることができた時、

 ここからは前を向かないと

少しだけ新たな気持ちが私の中で芽生えた。

母「みんながなるべく困ることのないように、
  今後の方向性を話し合いましょう」

母の提案で、両親と夫、私、そして学校へ行っている息子の5人の「これからのこと」を話し合って決めることとなった。
それは私にとって約束のようなものだ。

▪️ 夫と息子への巻き込みを今からやめること
(例:私の基準で、手を洗ってと言うこと
   外出後にお風呂に直行させること等)

▪️ 明日病院に行くこと

▪️手を洗う回数を少なくするように、努力すること

▪️夫の出張中は、母が買い物や料理をしてくれること

▪️洗濯と部屋の掃除だけは、どうしても自分でやりたいと私が譲らなかった為それだけは私の担当

▪️夫が出張から戻ってきたら、両親は自宅に戻ること

▪️出張後は子供が夏休みに入るまでの期間、夫の仕事を在宅でできないか会社に相談すること

▪️夏休みに入ったら数週間、夫は再度出張予定。その期間は、息子と私は実家で生活すること


母「 その時の状況を見ながら、その都度また
   考えていきましょう」

約束と思うと身構えてしまうが、母のその言葉のおかげで、私は少しほっとすることができたような気がしていた。

何年間も隠し続けてきてしまった病気のことを
今日、自分の口から両親に伝えられて良かった。
今はそう思える。もう病気のことを両親の前で
隠さなくて大丈夫。
実家で潔癖症のフリをしなくても大丈夫。


両親に嘘をついていたせいか、本当の自分を隠していたからか、勝手に罪悪感のようなものを感じていたのは事実だった。

少しだけ心が軽くなったような気分。
みんな、助けてくれてありがとう。

夕方になり、学校から息子が帰ってきた。

息子「ただいま〜」
皆 「おかえりー」
息子「 YちゃんとMちゃんがいるー!」
(両親の希望により、息子は名前で呼んでいる)

 帰宅するなり、息子は大喜びし、ニコニコとした笑顔を見せた。あとで、父、母、息子の3人でお散歩に行くのだそうだ。
昨日迄は、帰宅後お風呂へ直行の生活だったが、今日からはそのままの服でおやつを食べ、その後は、両親と一緒にお散歩へ行く。

 実際のところ、私の頭の中はまだごちゃごちゃで、全く追いついてはいない。正直、受け入れられていないことだらけだ。
しかし「もう夫と息子に巻き込みはしない」と
つい先程私は家族と約束したばかりなのだ。

前に進みたいという気持ちがあるのなら、いつものように行動してはいけない

私は、何度も自分自身に言い聞かせた。

私の力だけではまだ難しいことも、両親が近くにいてくれることでこの状況を乗り切れるかもしれない...

 2人が手伝いに来てくれたことで、常に監視役?がいるような感じがしていた。自分が思うようには行動することができない。

 この時はまだ、この「我慢するという状況を
経験すること」「積み重ねることの重要性」に
ついて、正直殆ど理解できてはいない私だったが、こうしてここから、突然の曝露反応妨害療法の生活が始まった。
イヤでも耐える。
ひたすら、我慢の生活の始まりだ。

 そして明日遂に、何年間も逃げ続けてきた場所へと行くことを決意した私は、緊張の高まりをひとり静かに実感していた。

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