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病気・障害を持つ人との関わり方

認知症になれば物忘れをするし
うつ病になれば前向きになりにくくなるし
統合失調症になれば幻覚や妄想を見ることもあるし
発達障害になれば注意力散漫になることもある。

そういう症状に対して
こちら側が感情的になって
相手を変えようとしても
相手が変わるはずがない。

認知症を患っている人に
「なんで忘れるんだ!」
と言ってもしょうがないですよね。

うつ病の人に
「人生最高だろ!」
とか言っちゃうと
とどめを刺すかもしれません。。。

治療を進め改善を期待しながらも
それぞれの症状や障害を理解して
相手のできない部分も受け入れなければならない。

ここからが本題ですが
でも、できない部分を受け入れすぎても
それがかえって相手の治療の妨げになるよね

って話をしたいと思います。

今回は割と
センシティブな内容になるかも知れません。


イメージしやすい例で言えば
足が悪い人に対して
周りの人がなんでも
身の回りのことをやってしまうと
結果としてどんどん足の状態は衰えていくわけで
多少は立ったり歩行するなどの
ストレスをかけなければ
足の状態は改善しないですよね。



以前学生だった時に
障害者施設で勉強させて
頂いていた時に
印象的な学びがありました。

その方は15歳程の男性でしたが
生まれつき重度の知的障害があり
学校ではなく施設に通っている
利用者がいらっしゃいました。

朝から夕方まで
その方は施設で過ごし
送迎のバスで自宅に戻った後
ベッドに移乗した後は
残りの1日のほとんどを
ベッドで過ごすそうです。

施設では他の利用者ともレクレーションに参加して
少しずつトイレやお風呂も介助のもとで
なんとかできていたそうですが
家ではおむつと清拭のみ。
ほとんど寝たきりの生活で
家族との交流も少なかったとのことでした。

それは決して家族が
いい加減な介護をしていたというわけではなく
生まれつき他の人と比べて
できない部分を家族が受け入れて
その利用者と接していたようですが
障害によってできない部分を
しょうがないよね〟としてしまうことで
できない部分を改善する機会を失ってしまう。

その時の指導者が言うには
周りが障害者として接することで
その人は障害者のままでいてしまう
」のだそうです。

深いよね。

その後に指導者の方が
こう続けて話されました。

だから私たちは、普通の1人の人として接するように心がけなければいけない



医療者は
慢性的な症状や障害について
受け入れるというより
諦めてしまっていることも少なくありません。

恐らくこれ以上の回復は見込めないと
勝手に限界値を設定してしまう。

指導者の方が言いたかったのは
そうではなく
障害があるからできないだろう
と勝手に諦めてはいけない

そういう意味なのだと思います。

〝諦める〟と〝受け入れる〟の境目の見極めは
本当に難しいと感じます。

逆に患者さんや障害を抱えている人にとっては
負担になってしまう部分もあるからです。

一歩間違えれば
障害や病気を抱えていても
いわゆる健常者のように
できることを目標にしなければいけない
と、なりかねない。

例えば障害年金をもらって生活している人に
一般就労しなさい、と言われても
やはり現実的じゃない。

しかし、人間そう強くはないので
できないことを過度に受け入れられてしまうと

〝このままでいいんだ〟
〝できなくて当然なんだ〟

と成長する機会や挑戦する意欲を削いでしまう。

私の仕事は
患者さんに魚を与える仕事ではなく
患者さんに魚の釣り方を教える仕事
と考えています。

身の回りのお世話をして
感謝されて自己満足する仕事ではない。

相手に嫌われようが
自分でできることを最大限引き出す。

最近特に
看護師は人気商売ではないんだなと
つくづく感じています。

患者さんを機嫌をとりにいく
そんな看護師ではダメなわけですからね。


医療事故がニュースで取り上げられることも多く
医療安全が謳われる最中
患者さんに挑戦させる機会は徐々に
減ってきていると思います。
挑戦には失敗がつきものだけれど
失敗すると医療事故として扱われますからね。

どうしてもリスク回避を取りがちで
挑戦する機会を奪っていることも少なくない。

私たちは
患者さんのチャレンジを
奪うことがあってはいけない。

改めてそう思いました。

どんな疾患や障害があろうと
その人ができる最大限を引き出すために
何ができるかを考えて悩みましょう😉

サポートしていただけると相当喜びます😭