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お世話焼きは優しくない話

なんでも
〝やってあげたがり〟
の人っているじゃないですか。

いつも鍋奉行として
野菜や肉を茹でてあげて
食べ頃になったら
取り分けてあげて
食材が減ってきたら
注文をしてあげて…

と自分が食べずに
周りのために世話を焼いてくれる人っていますよね。

これはあくまで一例ですが
職場や趣味の集まり
オンラインサロンやオフ会など

どんなコミュニティでも良いのですが

周りの人のために
せっせと
なんでもしてあげる人っています。


基本的にいい人だと思いますし
優しい人に思えるのですが

そういう人って
意外と優しくないかもよ?

というお話です。

良かれと思ってやってあげていることが
実は周りのためになってない可能性がある
という説明をします。


鍋奉行って周りに気を遣わせてるよね

皆さんも経験ありませんか?

先程も書きましたが
鍋奉行の人って
本当に色々とやって下さるじゃないですか。

自分は食べてるの?

とこっちが気を使うくらいに
気配りをしてくれるのですが

気を遣われすぎると
こっちが気を遣っちゃうことって
あるわけです。

色々やってくれると

「そんなに食べられないんだけどなぁ…」

と言う間もなく
お皿には先程も注いでもらった野菜や肉が
まだあるにもかかわらず
茹でたての食材が乗っかることもあるわけです。


そうなってくると
「いや、あなた食べてる?」
「自分の分は自分でやるよ…」
「今、肉の気分じゃないんだけどなあ」

と感じることもあるわけで
ありがた迷惑でもあり
こっちを心配にかけている時点で

あまり優しくないんじゃないか?

と思うわけです。

あんまり
やってもらい過ぎると
ちょっと重いというか
どうやってお返ししたらいいのよ?

という風に逆に気を遣わせてしまう。

お世話を焼き過ぎるのも
ギバーのつもりが
いつのまにか
テイカーになっているという
逆転現象が起きてるわけです。


その人もちゃんと鍋を楽しむ

今回は鍋奉行を例に
話を進めていきますが

つまりこの鍋奉行さんが
テイカーではなく
ギバーになるためには

その人自身も鍋を楽しむことしかなくて
その為には
周りの人を頼って
注文をお願いしてもらったり
食べ終わったお皿を片付けてもらったりして
その人もその瞬間を楽しむ。

もっと抽象化して言うならば
その人の取り分も表示してあげるってことです。

要は
win-winの状況にあるから
気を遣わなくて良いよ〜
ということを相手に知らせてあげた方が
相手も楽に鍋を楽しむことができるわけです。

これはボランティアなどの支援なども一緒ですが
誰か1人が頑張って支援していると
支援疲れが起きて
支援自体が一時的なものになってしまう。

ボランティアされる側だけでなく
する側にも取り分が生まれるように
設計することで
ボランティアが一時的ではなくて
循環して継続することができる。

という考え方です。

良かれと思って
誰か1人が頑張ることで
相手は気を遣うし
その人に意見しにくいし
長期的に見れば
その人だけが負担を負う設計だと
良い事、施し事も
短期的なものになっちゃうから
ちゃんとみんなに取り分が生まれるように
設計しなきゃいけないよね

というお話でした😊

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