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幸せに生きられる人の条件

今日は幸せについて
書こうと思うのですが

幸せって錯覚みたいなもんだよね

というお話をします。


◯幸せは実体がない


表現の仕方や
捉え方の差はあれど

人生の目的って
幸せに生きること
しかないと思うんです。


夢を叶えたいとか
結婚して子供を産みたいとか
お金を稼ぎたいとか

それらは全て手段で
目的は自分が幸せだと感じる
人生を送ること

で説明がつくと思います。



じゃあ幸せになるための
手段って何なのか?

と考えると
結局実体がない
幻みたいなもの
なんですよね。

人によって
見え方が変わるというか
掴みどころがないというか。


人から尊敬されたり
憧れたりするような存在の
芸能人や有名人ですら
幸せ感を感じられずに
命を断つ者もいるわけです。

かたや
どんな状況でも
図太く生きていける人もいて

毎日鳩に餌をあげるだけでも
幸せを感じることができる人も
きっといるでしょう。


◯幸せは刹那的


それでいて
幸せを感じたとしても
長続きしないんですよね。

人間には
恒常性といって
慣れてしまう生き物ですから
喜びや幸せなども
基本的には長続きしない
刹那的なものです。

子供が生まれた瞬間は
この上ない幸せを感じていたはずなのに

子供が親の思う都合と
違う行動を取ったり
横柄な態度を取ると

生まれた時に感じていた喜びなど
その瞬間に完全に見えなくなり
怒りの感情に覆い尽くされてしまう。


本当に人間というのは
傲慢だなと
思うことがたくさんありますよね。


お金もそうですよね。

高校生の頃
アルバイトで3万稼いだ時には

島でも買えるような
大きな気になっていたものですが

今じゃその何倍も
稼いだとしても
その時の10分の1も
喜びは感じない。


家を買った時も
多幸感を感じたものですが
今じゃ家に帰ってきた時に
そんな喜びは1ミリも思い浮かばない。


だから

こうなれば
自分の人生は幸せな状態が
維持できる!

という絶対的な正解は無いんですよね。

ふとした瞬間に

あぁーもしかしたら
幸せなのかもしれないなー


と思えるくらいで丁度良い。


◯幸せは相対的


そして幸せというのは
比較から生まれるとも思うんです。


高校生の頃
恋人からマクドナルドに行くだけでも
幸せだったのに

大人になると
マクドナルドに
恋人と行ったからといって
あの頃の幸せ感は感じない。


大きな喜びを感じることで
幸せを感じていたことに
鈍感になってしまいますよね。


また
3万円の時計を買って
喜びを感じてきたとしても

その時計をつけて同窓会に行ったとして
元同級生が
30万円の時計をつけて
自慢していたとしたら
おそらく3万円の時計を買った喜びは
相対的に低くなってしまう。

何と比較するかによって
多幸感を感じることもできれば
劣等感を感じることもある
わけです。


◯幸せは今、目の前にある


逆に言えば
比較の仕方を間違ったり
慣れすぎてしまっていて

今の生活の中にも
幸せを感じようと思えば
何にだって幸せを感じることも
できると思うんです。


甘いものが食べたくなれば
コンビニに行けばスイーツが食べられるし

頭が痛いと思えば
痛み止めを飲めば
一瞬で良くなるかもしれない。

昔は
親がいる前であろうと
恋人と電話していましたが

今はLINEでいつでもどこでも
誰とでも連絡は取れます。

サブスクに登録していれば
映画や音楽だって
観たい時、聴きたい時に
その場で楽しめますしね。


今こうやって私はnoteを書きながら
家族でアイスを食べてるのですが
目の前で5歳の娘が

「美味しくてたのしーね!
 アイス最高ー!」


幸せだなーと
思わせられるようなことを
ちょうど言っています。


みんな
自分は幸せかどうか?
と自問自答していたりするんでしょうし
私自身も恥ずかしながらそうなんですが

たぶん幸せになれるかどうかというより
今、目の前にある幸せを感じられることを
キャッチできるかどうか

生きる上では
きっと必要なんですよね。

それが
せっかく得ることができたこの人生を
楽しめる人と楽しめない人に
分かれるんでしょう。


幸せは
幻のように実体がなく
相対的で刹那的で
掴みどころがないけど

今、自分の身の回りにも
雲のように漂っているのかもしれませんね😌

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