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正解があると思うから間違いが生まれる

今朝TikTokを見ていたら
「今でしょ!」の林修さんの動画が
オススメに流れてきたんですよ。

その動画内での発言を聞いて
「なるほどな〜」
と共感したんですけども


学校の教育では
一つの問いに対して
正解を求めよ
という課題じゃないですか。

試験では正答を求められるわけですが
社会に出たら
起こった問題に対する
正解なんて明確じゃないわけです。


だから社会人になった時に
戸惑ったり困ったりするのって
一つの答えを求めされる
学校教育のあり方に
問題があるんじゃないの?

と思いがちですが
実はそうではない、と。


平安時代には
百人一首という文化があって

上の句に対し
正しい下の句を探す
というルールでやっていると。

本当は上の句に対し
どんな下の句があってもいいよね

と考えても良いのに
一つの答えを正解として
その他を不正解と考えてしまう。

だから日本人の
正解を一つと考える文化は
1000年以上前から
続いている文化である

という旨の内容でした。


正解があると思うから人間関係は壊れる

百人一首は例えですが
確かに上の句に対し
いろんな下の句があって良いじゃん

という考え方は大事で
世の中に出たら
答えは探すものではなくて
答えを考えるもの。

そして自分が正しいと思う
答えを信じつつも
他人に自分の正解を
押し付けてはいけないんですよね

「これはこうするのが常識だろ!」
「普通に考えたらわかるじゃん!」

といっても
答えや常識というのは
時代と共に変化する

人によっても異なるわけです。

正解が一つだと思うから
自分が思う正解以外の答えを
排除したくなるわけです。

たとえば
患者さんに対する接し方にしても
スタッフによって
様々なスタイルがあって良いわけで
明らかに患者さんに対して
不具合が起きなければ
スタッフ個人が思う正解を
信じて貫けば良い。

他人の目を気にするというのは
他人の正解を探す行為なので
他人のフリして生きているようなもの
です。

そして自分の立場が上になった時
若手や新人さんの考えた正解を
不正解だとして
自分の正解を押し付けようとするから
人間関係は壊れていくわけです。


不正解なんて基本的には存在しなくて
自分の正解以外の答え
つまり
他人の正解を間違っていると思うから
不正解が心の中に生まれるわけです



世の中に不満を言ったり
他人に文句を言ったりする人は

他人の正解を不正解だと
勝手に判断しているから
ストレスを感じる
わけです。


いろんな人の答えがあって

「それもいいよねー」

と思えるか否かが
自分自身も楽に生きられる
秘訣なのではないでしょうか。


他人と揉めることは必ずしも悪ではない

最後に
対人関係において
揉めないに越したことはないんですけど

ただ他人の考え方や常識と
自分の考え方や常識が違えば
お互いに反発したくなるもの。

それはわかるんです。

「えっ、そんなことで怒るの?」
「なんでもうちょっと優しくなれないのかな」
「言い方に気を遣えばいいのに」

など他人の言動に対して
判断を下してしまうことはあります。

反射的に。

そんな自分にイラついたり
責める必要はありません。

「そうだそうだ、自分のこの人では
 正解や常識が違うんだと思えばいいんだ」

冷静に考え直すための
思考に使えば良い
のです。

本能的には
他人の意見にイラっとすることや
受け入れられない考え方はあって良いし
自分の意見も主張して
言い合いになっても
それはそれで良いのです。

ただ感情に振り回されるのは
自分がキツくなるので

自分と他人の常識は違う

と考えることで
他人に対して少し寛容的になり
余計に心が疲れることを
無くせるよね

くらいに考えれば良いと思いますよ😌

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