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生物と人間の間で。

生きることにも、
働くことにも、
何もかもに、
素晴らしくそれらしい理由が求められる時代に、呆然と立ち尽くしたまま時間が過ぎるこの有り様を恥じつつ、肯定していたいような気もする。


たとえばこのnote。
何の足しにもならないし、どなたが読んでくださっているんだかという無駄の極みに、「なぜ」と問うてみるならば。

理由:やってみたいから。
目的:やったことがないことをやってみる。


で、いっか。
それで胸を張っていられる世界で私は生きたい。

「それでくたばったら、それはそれまでです。」
と現代の若者が言って、驚いたし、ちょっと嬉しかった。



やりたいことを追うって、
本気になればなるほど、生きるか死ぬかみたいな立ち位置になってきて、

生物になるというか、すごく物事がシンプルになる、ならざるを得ない。

自然の摂理という筋が一本通る。


、、、というか通っていたことを思い出す。


あとは、ちょっと人間をするだけ。
でもそのちょっとの部分が私が大好きなところで、面白いからやっかいなんだ。

感情も、言葉も、動きも、表情も、考え方も、

もっと生物的になりたい。

・・・ような、なりたくないような。

人間であるからこその、筋からはみ出た余韻みたいなものが、やっぱり好きなんだろうなあ。

はみ出しを背負いすぎずに、頭に乗っけて軽やかに、心を追って泳いでいく。


■鱗のように身に纏ったものを捨てて、
 泳いでいけ、君のもとへ、
 それでいいはずなんだ。
 (鱗)


恋愛系の歌は苦手で、君とかあなたとかいった二人称はすべて「自分事」に置き換えます。

私は自分の心に泳いでいく。自分の心と泳いでいく。


明日はスケッチブックを買い足して帰ろう。


ーーーーーー
「生きる」とか「死ぬ」とかいった、大事だけど取るに足らないことを、軽やかに対話できる相手がいるといいなあと思う。この国では、大事なことは内に秘めることが美徳とされているような、そんな気が。偏見かな、知らんけど。ここは周りが外国の方ばかりで、皆ひたすらに話をしていらっしゃって凄く気になる。英語が話せたらともじもじ。
今日は5時半に目が覚めました。毎日だんだん目が覚める時間が早くなっていく。二度寝技をキメますが。明日は起きた時間に散歩にでも行こうかな。

万が一ここまで文字を追ってくださった方がいたなら、もう本当にありがとうございます。

おやすみなさい。🦊

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