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小説、書くのが先か教科書読むのが先か

教書を読むか先に書くか、小説においては度々議論になるらしい。おれの周辺では見ないけど、そうらしい。
率直にいって、どっちが先でも良いと思うが、小説書くのに向いている人は他人からなんか言われたり教科書読んだり…とかする前に書き出していることが多いと思う。それは人間なので赤ちゃんが四つん這いから二足歩行に移行するが如き宿命的なサムシングだ。といっても、教書を読んでから書いてもいい。

ただ、一回書いてみないとどの教書を読んでも各々方が主張している重要なポイントが真に理解出来ないように思う。

冒頭のつかみ、ストーリー構成、文体、キャラ立て、どれ一つとっても大事じゃないことは何もない。そしてよほど的外れな教書でもない限り、創作をやる上で大事なことは一つか二つか書いてあるだろう。もっとも一つか二つ程度ならあんまり良い教書でもないが。

筋トレと同じで、一本書き終わってようやく経験値が入る方式なのが小説っぽいので、教科書のたぐいも書き終わった後に読んでようやく実感の伴う学びとか理解が得られる。自動車の運転が教科書読んでおしまいにならないのと一緒で、実技をやって初めて体験としての経験値が貯まる。

これは意外と書いたことのない人が多分誤解していることで、俺も書き始める前は小説とは頭の中のでぐるぐる渦巻いている文字の連なりなのだから、アイデアさえアレば書けるし出来上がるのではないかと思っていた。が、実際のところは武術の型と同じで、文章も書きまくらないと洗練されてこない。ただ漠然とかけば洗練されるわけでもない。しかし書かずにウダウダ考えて一文字も書かないのはよほどの天才でも無い限りは全く上達しない。

書いて読んででも読んで書いてでもいいけど、読んで考えて読んでという書くが欠落したプロセスだと上達しない。残酷な現実である。

戦場へ

ただまあ、小説を書く前段階としてとにかく文章を書く、というのはありだと思う。形容でも小説の骨組みでも科白劇でも、アウトプットする習慣をつけておかないとキーボードを叩くことさえ億劫になってしまうのでやっぱなんでもいいから書くのはやった方がいいかと。

今回はここまで、またな。

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