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サン=テグジュペリ「人間の土地」

無人島に持っていくなら・・・の類の話が時々あるが
それならば僕はこの本を真っ先にあげるだろう
星の王子さまで有名なあのサン=テグジュペリ
その彼の「人間の土地」というエッセイ集である

断っておくが僕はそこまで多く本を読む人間ではない、時間が多分にあった時期はなるべく読むようにしていたが今では年に数冊読む程度だ
なので専門的にこの類を語るつもりもないし、そもそも無理な話し
それでもこの本は年に数回は広げているだろうか、その度にここはというポイントに折り込みを入れて閉じるのだか、年を重ねるにつれその折り込みが増えて、開く度懐かしさ半分、毎回ポイントがずれていることに自分のことながら少し微笑ましい気持ちになる


さて、話を戻そう
類い稀な物書きである以前にサン=テグジュペリは民間から軍属へと渡り歩いた飛行機のパイロットである
優秀なパイロットと言ってもいいのではないかと思う
戦争にも出撃し、最後は撃墜されその生涯を終えたと言われている
この本はその飛行士として活躍した半生を基に壮大な視点から描かれたエッセイで、人間の生き方について、機械と文明、実際に砂漠に不時着し極限状態に陥った経験、僚友との友情などが章ごとに分かれている
各章ごととても読み応えのある内容だ

特にその研ぎ澄まされた文体や表現の深さには背筋に何か感じるものがあり、僕はそのキラキラとした文章の美しさと内容に勇気すらもらっている。これは訳者の堀口大學氏の功績も大きいだろう


この本を好きだという人はとても多い
そして各章本当に素晴らしいので、その好きなポイントも若干違ってくるように思う

序章から既にクラクラくる言葉の数々が散りばめられているのだが
今回は第三章「飛行機」をピックアップしたいと思う
彼のエンジニア観点からの文明への鋭い眼差しがとても良くわかる章だ

以下、抜粋

今日機械が人間をそこなうようにぼくらに思えるのは、もしかすると、かくまで急速な変化のあとを批判するに必要な時間の距離がまだ足りないためかもしれない。機械の進歩の百年の歴史など、はたして何だろう、人間の歴史の二十万年に比べたら?いわばぼくらは、まだようやくこの鉱山と発電所の風景の中に一歩踏みこんだばっかりなのだ。いわばぼくらは、この作りかけの家にわずかに住み着いたばっかりなのだ。人間相互の関係も、労働の条件も、風俗習慣も、すべてがぼくらの周囲であまりにも急激に変化した。ぼくらの心理それ自身までが、その奥底の本源において混乱した。離別や、不在や、距離や、帰還の観念は、言葉こそ同じでもすでに同じ現実を含まなくなっている。今日の世界を把握するのに、ぼくらは昨日の世界のために作られた言葉を用いているわけだ。過去の生活が、よりよく人間の性情に適するように思われるというのも、理由は、ただ過去の生活が、よりよくぼくらの用語に当てはまるからにほかならない。

サン=テグジュペリ「人間の土地」

もう少し

機械でさえも完成すればするほど、その役割が主になって、機械それ自身は目立たなくなってくるのがつねだ。人間の生産的努力のすべて、その計算のすべて、図表を前の徹夜のすべても、外面的な現われとしては、ただ一つの単純化に達するに尽きている。一本の円柱、一本の竜骨、または一台の飛行機の機体に、女の乳房の、女の肩の曲線の、あの単純な純粋さを与えるまでには、多くの世代の経験を積まねばならなかったのだ。研究室における技師たち、製図工たち、計算手たちの仕事も、外見的には、その翼を、それが目立たなくなるまで、機体についている翼があるという感じがなくなり、最後には完全に咲ききったその形が、母岩から抜け出して、一種奇跡的な天衣無縫の作品として、しかも一編の詩品のようなすばらしい質をそなえて現れるときまで、この調和を軽快にし、目立たなくし、みがきあげるにほかならないと思われる。完成は付加すべき何ものもなくなったときではなく、除去すべき何ものもなくなったときに達せられるように思われる。発達の極地に達したら、機械は目立たなくなってくるだろう。

サン=テグジュペリ「人間の土地」


人間と機械の関係で言えば、人間はその機械がもたらしている機能や便利さを意識することなく今の生活を送っているだろう
家電、インターネット、またはスマホなどの便利な機能も日常で特に意識することなく生活しているのではないだろうか
サン=テグジュペリが言うように機械や技術の本然は人間の生活をより良くし調和することであり、つまり完成系はそれ自体が目立たなくなる
人間が人間のために作った機械や技術なのだから便利さに慣れ日常に馴染めば意識しないこと自体は当然といえば当然である
しかし、そこに行き着くまでの人間の絶え間ない努力が今の生活を作り、その恩恵をみんなで共有し豊かな社会を作っている
これは忘れてはならない



今新たにとても大きな流れが来ている
「生成系AI」
毎日目まぐるしくその状況が変わっている
ここからは思いもつかない発明や便利なサービスなどがどんどん生まれてくるだろう
僕もとても楽しみに情報を追っている
法整備等は早くしっかりと整えてもらった上で
安心してその恩恵を楽しめたらいいと思う

サン=テグジュペリ的に言えば
昨日の言葉で生きている僕らにとっては
この技術の進化があまりに速すぎて今日の言葉に中々ならないから色々難しいんだとは思うけど


「完成は付加すべき何ものもなくなったときではなく、除去すべき何ものもなくなったときに達せられるように思われる。」
僕の好きなディーター・ラムスの「Less but Better」の考えもこういうところに向かっているようにも思います


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