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マジェスティック・ホテル・サイゴン。95年の歴史。家から15分の場所に泊まった。

ベトナム > ホーチミン > ホテル


2020年6月。
ベトナム国内から外国人観光客が姿を消して3か月。厳しい規制が緩み、国内移動ができるようになった頃、私はホテルに泊まった。

バイクをおり、運転してくれたおじさんに「ありがとう」と挨拶をする。
コロナ真っ只中、家からバイクで15分。マジェスティック・ホテル・サイゴン。

Majestic Hotel Saigonに心を掴まれた

ロビーから外を眺める。目の前には有名なレストラン

ホーチミン1区、サイゴン川のほとり、ドンコイ通り、最高の立地と圧巻の外観。一度目にしてしまうと、美しさを感じられずにはいられない。

例に漏れず、私もその1人だった。
 - サイゴン川、街の中心、コロニアル様式 -
直感でフランス時代の高級ホテルだと分かる風貌だ。すっかり心を掴まれた私は、ホテル前を通るたび、いつも見つめていた。いつか、絶対泊まりたい。

こじんまりとした中庭。美しいの一言に尽きる。

Majestic Hotel Saigon と 日本ホテル

一歩ロビーに足を踏み入れる。思わず「わぁ」と声が出る。少し暗めの照明、窓からの光、そして美しい内装。これが歴史あるホテルか…と。

ホテルの歴史を紐解くと、日本との関りが見えてくる。人の感情とは不思議なもので、私は急に親近感を抱いてしまった。

開業は1925年(大正14年)
フランス植民地時代、近代ヨーロッパ式ホテルとして建てられた。長い歴史の中で、各国の王室や各界著名人が宿泊してきたこのホテルは、現在6階建て175室の客室を有する。

(当初は5階・44客室だった)

客室は広く、天井も高い

フランス人の社交の場だったこのホテルに、日本が登場するのは第二次世界大戦以降。

部屋から見えるサイゴン川。多くの人が眺めてきたでだろう景色。

日本軍が北部仏印進駐した1年後、1941年7月
日本軍 南部仏印進駐(様々な理由・背景から、フランスは植民地を継続するために日本軍を受け入れるほかなかった)

こうしてベトナム北部・南部ともに、日仏共同統治の時代がはじまる。

Majestic Hotel は日本政府に貸し出され、「日本ホテル」と改名。進駐した日本軍や政府関係者の宿舎となった。(※終戦後、ホテル名は戻された)

激動の時代を駆け抜けたホテルに泊まる。それだけで感慨深い。

またベトナム戦争中には、世界中のジャーナリストが宿泊した。
103号室は、作家の開高健が朝日新聞社の特派員として宿泊していたため日本人に人気だと聞く。

古い。それが良い。

ベトナム初の5つ星ホテル

コロナ以前に宿泊した人のレビューを読むと、古いがスタッフのサービスは良く、メンテナンスもそれなりにされている様子が伺えた。
(古さがあるため常に万全とはいかないようだ)

ラグジュアリー感、セレブリティー感、そして最高の設備を求めるなら
最新の5つ星ホテル、いや、その上の6つ星ホテルが間違いない。(ホーチミンには6つ星ホテルがある)

私が泊まった部屋は浴槽のお湯出が悪く、シャワーだけで済ませた。
コロナ渦でのベトナムの状況は分かっていたので、何も言う気になれなかった。(ホテルは悲しいほどに最小限の営業だった)

あの日の非日常は、少し寂しくもあった


当時住んでいた家からバイクで15分。
バイタクに乗って行く「非日常の世界」は、とても美しく、ベトナムが歩んできた歴史の一片に触れる時間だった。

夜になると外観のライトアップと客室の明かりで華やかさを増す、「夜こそが見てほしい」ホテルだったが、観光客のいなかったあの頃、宿泊客はごくわずか。多くのスタッフが暇を出され、田舎に帰っていたのではないだろうか…

今は入国が緩和され、観光での入国もできるそう。願わくば、もう一度、賑やかな時に泊まりたいな。

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