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藝工舎について / 徒然に備忘録vol2

まずはじめに

※この記事は、私が昨年同期の学生たちに声を掛けてできた、サークル的な集い「藝工舎」(げいこうしゃ)について書いたものです。また大学入学後からずっと胸にしてる思いについて書いたものです。

わたしがここ数年やりたいと思ってることは、そんなにブレてないと思っています。けれど、結局お前は何がしたいのか、という所で1年生当時の僕は不足した点がいくつかありました。

1.こうしたい!という具体的なビジョンが乏しいこと。
2.リサーチが少なかったこと。
3.それをわかりやすく伝えることが出来ていなかったこと。

そんな中、熱意と勢いで人を募ってアートラボなる不可解な集いを作ったはものの、ビジョンや理念などはちゃんと理解されるはずもなく。申し訳ありません。

なので、今回は、少し長くなってしまうのですが、藝工舎について改めてきちんと順を追って書きました。
前半戦。なんで藝工舎を考えたのか。影響をうけた人やコトについて。
後半戦はどうしていきたいのか。具体的な方針などです。

最後まで見てもらえるとなんとなくでも伝わるのかなと思います。

前半戦1 美術を大学で学ぶ、その先を見つめて

美術という専門性を身につけ、社会で生きていく。いわば”実技的な素養”を身につけたうえで社会に出ていく。これは色んな美大や、美術系の学部のアドミッションポリシー(入学者受入れ方針)で言われている事です。
しかし、ここ岩見沢校は他所とは一味違う。

”地域における美術文化の実践と発信”を実社会で行える人材を育成する。

これが、この大学で学ぶ者として自負すべきものです。なので、この理念みたいなものをなんとか、実際に自分の行動として形に残せないか、と思ったのが出発点です。

前半戦2 衝撃の出会い

常日頃、本や様々な記事を読んで尊敬している京都芸大(旧京都造形)の椿昇さんがこんなことを言っております。


気持ちが悪いのですよ。若い子が高い学費を払って、それで卒業して消えていくのが。普通に絵を描いて、普通に生きるようにする。それが本来は当たり前の状態です。ところが、大半の美術系大学では、その当たり前ができていない。それってフェイクだし、私はフェイクが嫌いなんです。」

料理に例えるなら、すごいシェフがいてちゃんと料理もできている。ところが、誰も観るだけで食べられると思っていないので、素晴らしい料理が食べられずにゴミになっているのが現状です。食べられない、美味しくないということであればゴミになるのも無理はありませんが、素晴らしい料理であれば、それなりの代価がつくはず。絵も同じで、素晴らしい絵であれば優良な顧客は欲しいはずです。

そのためには、学生の段階から、誇り高いシェフと同じようにアートをどう届けるか、ということを意識してもらいたい。そこで2012年から卒展をアートフェア化し、同時にアルトテックという機構を、京都造形芸術大学美術工芸学科内に立ち上げました。そして2019年からは、学科から出て大学公認のインキュベーション*施設となっています。

*インキュベーション : 設立して間がない団体(企業)に対し、国や地方自治体などが経営技術・金銭・人材などを提供し、育成支援すること」

この椿さんの考え方は、ほんとうに衝撃でした。中学生当時、函館の画塾の先生に一冊の本を勧めていただいたことがきっかけで色々と注目するようになったのですが、その本というのが「アートを始める前にやっておくべきこと」でした。
興味ある方はぜひご一読を。

アートを始める前にやっておくべきこと
著 椿昇・後藤繁雄 / 光村推古書院 (2009)
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%92%E5%A7%8B%E3%82%81%E3%82%8B%E3%81%BE%E3%81%88%E3%81%AB%E3%82%84%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8A%E3%81%8F%E3%81%B9%E3%81%8D%E3%81%93%E3%81%A8-%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E6%96%B0%E6%9B%B8%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%8603-%E6%A4%BF%E6%98%87/dp/4838180020

<前半戦 まとめ>

この本を読んで以降、美術の業界というものの狭さ、幾つもの社会的な課題、いかに自分が肩身の狭い分野の世界にいるかを思い知りました。
それで、それまではそんなに行動的では無かったけれど、これはいかん!と椿さんの影響もあって思い立ち、大学生ながら出来ることからちょっとずつ、道内の様々なプロジェクトに首を突っ込んでいます。

まず、前半をまとめると、
(1)椿昇さんという衝撃的な人物を知った
(2)社会に出ても、専門性を持って生きて行きたいと思っていた
(3)1年生ながらそういった専門性を社会でも活かして生きていく(≒専門性を活かして働く)ことを目指す学生たちの集いを作りたくて、つくった。

ということですね。
ほんとうに現代美術の大家ですし、色々な方が取材や対談記事を投稿されていたりします。椿さんに関する情報はこちら

以下 京都造形芸術大学 教員紹介

以下「アーティストフェアKYOTO」紹介ページ


以下、noteでの取材記事。

後半戦1 やりたいこと:ビジョン

さて、後半戦です。このようにまとめても、やりたい事は沢山ありまして。
そういった「あれもこれもやりたい!」が集ってもらったみんなを困らせた最大の原因です。しかし、ここで改めて藝工舎についての基本理念を書き留めておきます。少し長いですが。

<北のアートラボ藝工舎 発足に寄せて>

現在、道内には国公立所管の美術大学がありません。
その中で北海道教育大学では北海道のアートシーン形成や学生作家の育成を推進すべく、邁進してきたわけです。札幌から岩見沢へと枠組を変えながら。しかし、本学岩見沢校の大学院(修士課程)も改組の関係で、募集停止に。国内の芸術・美術のウェイトがますます低くなっています。これまではたしかにあった美術教育研究を行う「真の学府」としての機能を再興、再考する事が必要です。
なぜなら、美術文化の実践と発展を行い、人間を作る事がこの大学の本懐のはずだから。ゆえに、北海道でも美術を深く学べる環境が必要であり「美術文化」として実践をしていく機会や場所がないといけない。岩見沢校、ひいては道内の大学が垣根を越えることが課題。まだまだ道のりは遠いけれど。
やりたいことは、シンプルです。

北海道“を”アートで元気に
北海道“の“アートを元気に


観光文化ばかりでない、アートによる地域価値の再発見を。
確かな才ある学生が、その後卒業・就職しても作家活動ができる社会を。

その為に、「北海道から」美術の素晴らしさを追及すべく、藝工舎は活動して参ります。学生自ら、大人も混ざって、みんなで泥だらけになりましょう!めんどくさいのは承知のうえ。案外たのしいです、アートって。

ちなみに、なんで「藝」「工」なのか。
これらの字には、本来この様な意味合いがあります。

「藝」
原字「埶」で「木」+「土」+「丸」(両手を添える様)の会意文字を指す。植物に手を 添え、土に植えることを意味している。 そして「艸」を添え「蓺」とし、植物であることを強調。 また、「云」を音符とし、「たがやす」に意を持った別字でもある。
「工」
物事を手で作る、という意味合いがある。巧、手業、職人、作業など。

それら「藝工」の心持ちを大切にし、ひたむきに修練する人が集い、互いに切磋琢磨しあう。自発的な「教育」「文化」の実践の場として活動していくのが「藝工舎」です。その中で、まず北海道から美術をさらに生き生きとさせるべく、邁進してまいります。

という事で、理念はそんな感じです。
ここからは、具体的な活動のビジョンです。

後半戦2 やりたいこと:内容

さて、今度は藝工舎の活動内容についてです。
まず大前提として、さきのビジョンでもあった美術を学んでる岩教生を軸に活動を展開していきます。

私たちが一年生のころは、札幌で割と大きなグループ展だった7月展や、駅舎での学年展がありました。また大学の合同実習室でも割と活発に制作活動出来ていました。けれど、コロナ禍になって新1年生は制作もろくにしないまま2年生に進級、各研究室へ分属しようとしてます。大学院改組にもとなう美術専修の消滅やコロナ禍による学生の制作意欲の低下など、危機的状況があるけれど、大人たちは、その環境を整えようとしない。
だって、美術を学ぼうとしてる人は毎年くるのに、それをアシストする環境がないまま、みんな制作から離れてしまう。それは”学生の段階からプロと同じようにアートをどう届けるか”ということを意識させないから、そんな人間が量産されてしまうんだってことです。
学ぼうとする人がいるにも関わらず、その環境を整えようとしない。
いかにこの大学の教職員たちが職務怠慢か、ってことです。


その基本的な問題として教員は「アーティストで生きる人って才能だよね」と逃げを打ててしまうのです。だって彼らはフリーランスで作家活動してるわけじゃないから。国から給与をもらえて、研究者として制作活動してる作家に過ぎない。この一言で高い学費を払ったにもかかわらず、芸術とは無関係の仕事に就職して「美大でいい思い出できたよね」と話す卒業生を量産してしまう。これは決して教員批判ではなく、今日の社会システムへの批判という点は誤解の無いようにお願いしたいです。そして、かなりきつい言いさしになってしまいましたが、やっぱりそれっておかしい、と私は思います。

国内、特に本州の大学でそれができてしまうのは、大学外にアートの環境が最低限あって、ギャラリストの目に留まる機会が自然にあるから教員は特段の努力をしなくても良い。

しかし、特に北海道はそのギャラリー(≠貸ギャラリー)やコレクターの環境さえそんなに無いのが現状です。


道内でも唯一と言ってもいい、沢山の作家が活動している大都市 札幌でさえ、アート業界の噂話やテクニックで日が暮れている。これからの時代で制作者として生きるにあたっては、芸術を成立させてきた思想や歴史、時代の精神、ミクロ経済やマクロ経済の知識もちゃんと学ぶことが大事だと思うんです。

まあ、その前提を踏まえて、これから活動内容について説明します。※また<>の数字は実現予定年数を記していきます。これくらいのスパンで考えている、ということを理解してもらうためです。

まず、(1)(2)を説明するにあたり「アーツ千代田3331」という施設がケースモデルになっています。これをちらっと見てみて下さい。

3331 Arts Chiyodaは、閉校した中学校を改修してできた、アートセンターです。2010年に開館、現代アートに限らず、建築やデザイン、身体表現から地域の歴史・文化まで、様々な展覧会やイベント・ワークショップが定期的に開催されています。また、地下1階〜地上3階は、アートギャラリーやスタジオ、クリエイティブオフィスとして活用され、日々さまざまな活動が生まれています。
コミュニティスペースや親子休憩室など、誰でも無料で利用できる各種フリースペースやカフェ、ショップも充実してるようです。お昼時には近隣にお勤めている方や小さい子連れの方で賑わい、夕方には宿題をする子供たちの姿も見られます。

こんなふうに、美術を学ぶ岩教生とアートを起点としつつも、多様な広がりを見せる場にしていきたいと考えてます。

(1)学生作家のためのシェアスタジオ<1年以内に開設予定>
やはり、岩見沢校で美術を学ぶ学生たちの支援や環境整備が、特に大事だと考えています。発足に寄せてでも書きましたが、これまで学部4年と院2年で計6年間学べていた環境が削られてしまうのは、由々しき問題です。
ですので、そういった環境の中でも互いに学生たちが切磋琢磨し、大作にも果敢に挑戦する、そんな闊達な制作の場があれば、と思います。

入居は主に学生ですが、卒業生も入居可能にしようと考えてます。異なる世代間での交流によって、相互に良い影響を受け合えると考えています。

スタジオが軌道に乗って来たら、ずっと念願だった画材屋さんやカフェや物販など、さっきのアーツ千代田3331みたいな二次利用の展開も考えていこうと思っています。



(2)学生・若手作家を主にした展覧会 <ギャラリー開設後:1年以内>
題してHUEポケット。
加えて、現在物件探ししているそのスタジオをアトリエ兼ギャラリーにしようと考えています。そして、制作と展示が両方整う環境をつくりたいと思っています。北海道にも若手ながら頑張る制作者がいるぞ!、と美術を学ぶ岩見沢校の学生を展覧会を通して発信していきます。


(3)岩教の卒制のアートフェア化 <5~10数年以内>
これは、椿さんの記事でもありましたが「学生の段階から、誇り高いシェフと同じようにアートをどう届けるか、ということを意識してもらいたい。そこで2012年から卒展をアートフェア化」したというこの改革。
岩見沢校でも、クラウドファンディングにより無事着工を迎えた特設ギャラリーが来春2月にオープンの予定ですが、そこもうまく利用していきながら、学生の作品をより多く市民に届けいていき「社会にアートを実装する」を実現したいと考えています。





(4)アート旅館事業 <10~20年以内>
この事業は、(3)で書いた「アートを社会に実装させる」ことにつながるのですが、若手作家を発信していく上でも問題になってくる、「アートは社会にとって無用の長物」「美術館なんて見ないし要らない」という社会課題をいかにしてプラスの方向にしていくかということの具他的な方策です。
コンセプトとしては「社会」と「アート」の関係性を今一度再考したいわけです。旅館やホテルに泊まった時、そこではおいしい食事と快適な眠りなど、豊かな営みがあります。

そこでの美術との共通点は「非日常」ということです。

アートという物の文脈には、美術館での作品鑑賞しかり、作家と一緒に参加する体験型ワークショップ然り、そこでの営為は「非日常」なわけです。
そこで、美術館鑑賞のような高尚さの高いものばかりではなく、住や食とともにアートを愉しむ、そんな社会があってもいいじゃないかというのがコンセプトです。


(5)道内で開催される芸術祭などのネットワーク形成 <20~30年>
これが、実は一年生のころに、一番最初に考えていたものです。
札幌国際芸術祭(以下 SIAF)をはじめ、苫小牧、長沼、道南など様々な地域で芸術祭が開催されているここ北海道では、道内5箇所で規模の大きいもの、それ以外にも、まだまだ沢山開催されています。以下、参考記事

その中で、瀬戸内や越後妻有など、非常に活気ある芸術祭や成功を収めたと言えるアートプロジェクトを、北海道でも展開できれば、と思いました。
せっかく、北海道という雄大な土地があり、道内を走るJRもあるのだから、それらを活かして、道内のアートリテラシーの向上や振興を図りたいと。結局北海道では「札幌」が一番規模が大きく、目立っていますが、SIAFも課題は大いにあります。


そういう意味では、まさに現在(2020年12月現在)クラウドファンディングなどが行われていました、東京ビエンナーレのような民説民営の取り組みが北海道でも起きるべきだと。東京ビエンナーレでは、幅広いジャンルの作家やクリエイターが東京に集結し、「まち」へと深く入り込み、地域住民と一緒に作り上げていく新しいタイプの芸術祭となっています。

https://tb2020.jp/about/
(東京ビエンナーレ 公式ページ)



具体的な発信方法は、札幌市の美術関係を発信しているアートアラートというものがありますが、それの全道版、でWEBで発信していくイメージです。

また書籍として、そういったものを発信していくようなイメージです。
資金元が気になりますが、公的な補助がやはり必要になってはきます。そこでアートギャラリー北海道という北海道の取組みとも連携して、道内のアートシーンのバックアップに寄与したい、と思っています。

そんなこんなで、各地で開催されている芸術祭をひとつの共同体(ネットワーク)で相互にむすび、開催時期や地域について、まとまりをもって発信していくことが必要かなと。バラバラにやっていても、結局それ以上の広がりを見せてこなかったのがこれまでの取組みで明白です。
観光資源としても、北海道は国内有数の地域なのだから、本州の藝術祭に負けないくらい、いいものを作るために、北海道という大きい土地だからこそ必要な動きもあると思います。


<後半戦まとめ>

こういうわけで、後半おわりました。
勢いで、ふざけて考えてるつもりはまったくありません。
自分も美術の専門性を生かして働きたい。
加えて、岩教を卒業するひとにも、この考え方をもっと当たり前にしてほしい、そう考えています。わたしはいたって本気です。

ただ、活動にはどうしたってお金がかかります。
資金繰りに関してはこれ以上長くなっても困るので、別にまとめます。

基本藝工舎は、当面活動が軌道にのらない限り収益化は難しいので、初めはこの団体で「活動する」という認識です。活動が安定してきて、収益化・補助金の活用が可能になったら、法人化して正規雇用することも可能かなと考えています。

これを読んだ岩教生に無理強いはしたくないのであれですが、少しでも専門性を活かして今後生きていきたいと思う人は(*この藝工舎は活動ベースが北海道なので、北海道に限られてきますが)連絡ください。
ただグループにいるだけでも構いません。抜けても構いません。
そろそろ後期も終わり、進路・就職を考える時期なので、本気で考えていただきたいです。専門性を生かすも殺すも自分次第ですから。

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