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掌編小説 「散歩」

 雅信が食事中に、また牛乳をこぼした。わたしは知らん顔をした。雅信は自分で台所へ行き、引き出しをあけ、キッチンペーパーを持ってきて自分でふいた。知らん顔をしながら、食事を続けながら、雅信の動きを感じていた。床にもこぼれているけどどうするかしら?と思った。雅信は牛乳を吸収させたキッチンペーパーを捨て、それからティッシュで床もふいた。わたしは「ありがとう」とだけ言った。いそいで食事を終えた雅信は食器を流しに置き、洗面所の鏡の前に立ち身支度をととのえて、学校に行った。わたしは玄関の鍵をかけ、それから、水分を含んだシートで、うすくかわいた牛乳がのこっている部分をふいた。それをゴミ箱に捨て、手を洗った。

 もう雅信は学校に着いているだろう。給食時間に何かをこぼして自分で片付ける姿を思いうかべてしまう。きっと学校では緊張しているから、ちゃんとしているはず。そう考えなおす。家にはわたしがいるから、つい、やってしまうんだわ。……じゃあ、わたしはいない方がいいいのかしら?

 窓をあけて、空気の入れ替えをする。春の風が見計らったようにおおきくまとまって入ってくる。わたしにはそれが、黄緑色にみえる。もうすぐ桜も咲くだろう。たんぽぽも。きっとひとりで散歩に行こう。猫にも会えるかしら。雅信が学校に行ったあとに。あの頃、手をつないだり離したりしながらいっしょに歩いた道。急に走り出すあの子を追いかけた道。……でも、もう別の道を通ったっていいんだわ。桜でもなく、たんぽぽでもない、花に出会えるかもしれない。

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