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小説「ねがいごと」

 小学3年生ぐらいかなぁ…?わたしは先日神社で目にした少年を思い出していた。友達と遊んでいるならまだしも、ひとりでお参りしているなんて、ちょっとめずらしい。しかも、あの姿勢の良さからすると、わたしよりずっと前から習慣にしているんじゃないだろうか。……さすがに今日はいないよね。神社はいつもどおり、清涼な空気感でいっぱいだった。目をつむって、手を合わせる。と、その時。

 「おねえさん、この前も来てましたよね…?」「こ、こんにちは。そうなの、この神社によく来るんだ。君もこの前来てたよね…?」わたしは驚きすぎて、つい話しかけてしまった。「はい、僕もここにはよく来るんです。」「そうなんだぁ……。」何か願い事でもあるの?とはいきなり聞けず…。良いご縁に恵まれますように、というわたしの願い事も言えるわけがなく…。代わりに、

 「そうそう、この神社の眷属はね、狐なんだって。」と言ってみた。しまった。会話を続けてしまっている。「えっ、ぼく何度かここで狐を見ました!…けんぞく?って、何ですか?」「神様に仕える動物のことだよ。」「へえ!他にはどんな動物がけんぞくなんですか…?」「えーっと。龍とか蛇、烏、犬、鹿。あと猫も!」すぐにわからないことを質問してくるあたり、きっとこの子は優等生タイプだ。成績も良さそうだ。「お正月にみんな神社でお参りをしたり、お願い事をしているでしょう?それで、ぼくもお参りをするようになったんです。」「そっか、」

 「ちょっと、俊太郎、何やってんの、またひとりでこんなとこ来て!」わたしの相槌を打ち消すように、すかさず女性の大声が響いた。

 「お母さん!……じゃ、また。」少年はそう言うと同時に、わたしに軽く目配せをして、母親のもとへ走って行った。母親が、わたしをじろじろ見ているのが遠くからでも伝わってくる。あーあ。不審な人だと思われてるよ。もうあの子には会えないかもしれない。せっかく今日、ちょっとだけ会話ができたのに。わたしはなんだか力が抜けて、それも仕方ないか、と思った。

 

 スマホのアラームを止め、寝起きのぼーっとした状態で、しばし画面を眺める。新着メールが届いていた。あいつだった。わたしは読まずにスマホをいったんダイニングテーブルに置いた。もう別れたのだから、連絡なんてしてこないでほしい。いったい先日会って話したのは何だったんだろう。わたしはキッチンでお湯を沸かし、トイレへ行った。神社へ行こう、と思った。

 今日の神社は、朝の日の光に照らされ、いちだんと気持ちの良い空間だった。わたしはほっとして、大きく伸びをした。さて、今日も気持ちを整えてお参りしようと、ふたたび歩き出した時、あの少年がいるのが見えた。……もう会えないと思ったのに。どうしよう。母親以外の人にも、不審者だと思われそうで嫌だな。でも…。わたしは不審者なのか?いや違うだろう。わたしだって、神社にお参りに来ているのだ。それだけなのに。なんでわたしがここから立ち去る必要があるだろう。わたしはいつもどおり、お参りをした。

 「おねえさん、また会えましたね!」少年が嬉しそうに言うので、わたしも気持ちがほころんで、笑顔になってしまう。「あれから、けんぞく、について図書館で調べてみたんです、けんぞくって、いろいろいるんですね!」ああやっぱり、この子は成績が良いに違いない。……この前と同じようなことを思ってしまうのだった。「お母さんに注意されてもまた来ているなんて、ちょっとびっくりしたけど…わたしもこの場所が好きだし、また会えて嬉しいよ。それに、お願い事もあるんだ。もしかして君も…?」少年はうつむいて、しばらく黙り込んでから、小さな声で話し始めた。「お母さん、しょっちゅう病院に通っているんです。ずーっと、そんな生活で。それでも家にいる時は元気に、家事をしたり、勉強を教えてくれたりするんです。でもぼく、お母さんが手術や治療で苦しい思いをするのはもう嫌だから、お母さんの病気が治りますように、って、お参りしているんです…。」

 わたしは返す言葉がすぐには見つからなかった。だからひとりで、あんなに一生懸命、お参りしていたんだ。お母さん、すごく元気そうな人に見えたのに。……もしかしたら…この子嘘ついてる…?でも嘘だったら…ひとりで何度もお参りに来たりするかな……?わたしは「神様すみません、いつもの願い事と違いますが、この少年の母親の病気が治るように、今日はわたしにも祈らせてください。」そう心の中でつぶやきながら、手を合わせた。「おねえさんも、お母さんの病気が治るように祈ったよ。」「……ありがとうございます。」

 「俊太郎!また勝手にこんなとこ来て!いったい何やってるの?いいかげんにしなさい!知らない人とは話すなって、いつも言ってるでしょ!」すごい勢いで、母親が駆け寄ってくる。この前は遠くから見ているだけだったけど、今日は力づくで少年を連れてゆくんじゃないだろうか。わたしは後ずさった。

 「お母さん、違うよ!おねえさんも一緒に祈ってくれたんだ!それにこの前はけんぞくのことも教えてくれたんだよ!何も知らないのに決めつけないで!」「いったい何を祈ってたのよ?!そんなことより、私にこれ以上心配かけないで!」

 少年は、黙って母親を見つめたまま、苦しそうにしていた。そしてとても不安そうに、やっと言った。「だって、それを言っちゃったら……。」

 神様!わたしはいったいこの場で、ど、どうしたら…?!「この子はお母さんの病気が治るように祈ってたんですよ!」と、言ってしまってもいいのでしょうか…?!そしたらわたしは、少年にとって、いい人になれるかもしれませんが……本当にそれでいいのでしょうか……わたしではなく少年がお母さんにどう答えるのか、とても大切な場面だと思います。それをわたしが入り込んで奪いたくはありません。

 「誰かに知られたからといって、その願い事が叶わないわけじゃないよ。」わたしは、小さい声で、でもはっきりと言った。少年は、涙目で、はっとした表情でわたしを見ていた。お母さんに知られたら、願い事が叶わないと思ってるんでしょ?心の中で言った。大丈夫。

 大丈夫。あれだけのことを、さっきお母さんに言えたのだから。

 少年はまだ黙っていた。わたしはゆっくりと、その場から離れた。歩きながら、自分の願い事がちょっとだけ恥ずかしくなって、可笑しかった。その時、目の前を、一匹の狐が通り過ぎた。この辺りには本当に狐がいるんだ……。狐は立ち止まり、わたしを正面からじっと見て、草むらへと入って行った。


 

 

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