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オープンダイアローグに学ぶ対話実践

会社で働いていると、こうも不機嫌な職場というのは実際にあるものなのかと思うことがある。

「長年、あいつとは口を聞いていない」、「あいつが俺の悪口を言っていたと周りから聞いた」、「うちの業績が悪いのは、あいつがいるせいだ」などなど。

当事者ではないが、不機嫌な職場で空気を読まねばならないぼくとしては、「なんとか仲良くしてくれよ」、「仲良くしなくていいから、せめて仕事だけは円滑に進めてくれよ」と切に願う毎日だ。

そんな毎日を過ごさねばならないぼくは、本屋に行くと自然とコミュニケーション関係の本に目が行く。

最近、手に取ったのが『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』(解説・斎藤環、まんが・水谷緑)である。

漫画だし、帯には「『対話実践』は誰にでもできます。」「対話さえ続けば、あとはなんとかなりますから!」と書かれていたことで、何気なく手に取って読んでみたのだった。

率直に言って、「こんなやり方があるんだ!」という目から鱗の体験ができた。

そこで今回は、オープンダイアローグについてまとめてみることにした。

ただし、医療的な観点ではなく、職場のコミュニケーション場面での対話実践に活かすという観点でまとめておく。

なお、この記事は、先の本以外に、オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパンによる『対話実践のガイドライン』も参照している。

オープンダイアローグとは

オープンダイアローグとは、1984年、フィンランドのケロプダス病院で始まった療法である。

「クライアントのことについて、スタッフだけで話すをやめる」という取り決めに基づき、オープンな対話実践が始まった。

具体的な実践場面では、患者や家族から連絡をもらって24時間以内に訪問し、繰り返しの対話をとおして症状緩和を目指す。

ただし、単に手法というばかりではなく、実践のためのシステムや思想を指す言葉でもある。

以下、オープンダイアローグのポイントを見ていこう。

対話を続けるだけでいい

オープンダイアローグは、治療や解決を目指さない。

対話の目的は、対話それ自体であり、対話を継続することである。

対話というのは続いてさえいればなんとかなる。

対話を長く続けるために大事な心得は、大事な話ばかりをしないことだ。

計画は立てない

対話に際して、計画や予測を立ててはいけない。

予測を立てて動いても、それは裏切られることが多い。

するとだんだん悲観主義に陥ってしまうのだ。

問題の改善は、PDCAサイクルで結果が出るようなものではなく、予測を超えた形で起こる。

つまり、問題の改善はコントロールできないものとして考え、悲観主義よりは楽観主義でいることが肝要なのである。

個人ではなくチームで行う

対話はチームで行うことが必要だ。

チームで行うことの最大のメリットは、二者関係から解放されることで依存関係に陥るのを防ぐことができることである。

正義感や責任感が強い人ほど、また個人的な成果にこだわる人ほど、「この問題は自分が解決してみせる」「この問題は自分が関与したから解決した」「この問題は自分にしか解決できない」と思いたい傾向にある。

しかしそう考えた途端に、そこには関与する人と関与される人、支援者と被支援者という上下関係が発生してしまう。

こう言うと、関わろうとする人から一定の距離を取ればいいと考えがちだ。

ところが、そうすると過度に中立性にこだわったり、事務的な対応になったりして、非常に冷たい対応になってしまう。

だからこそ対話はチームで行わなければならないのだ。

リフレクティング

医療の場面におけるオープンダイアローグでは、途中でリフレクティングを行うという。

リフレクティングとは、治療者同士が椅子の向きを変えて向き合い、患者がいる目の前で患者について話し合う場である。

「わたしはこうしたほうがいいと思う」「ぼくはこう思ったな」と患者の治療方針についての自分のアイディアを話し合うのだ。

一般的には治療者が患者を観察することを、誰もが考えている。

しかし、リフレクティングでは、患者に治療者を観察してもらうのだ。

ここでは治療者の迷いやためらい、治療者間の意見の不一致や対立も観察の対象となる。

患者自身が観察者になることで、自らの治療方針について主体的に判断できる余白を回復することができるというのだ。

ここにあるのは、「患者がいないところで患者の話をしてはいけない」という当事者尊重の思想である。

当事者を尊重することで、当事者の主体性は回復されていくというのだ。

このリフレクティングというものに、ぼくは度肝を抜かれた。

確かに「当事者がいないところで当事者の話をしない」をルールにすれば、計画というのはまったく無意味というか、そもそも立てられないことになる。

ハーモニーではなくポリフォニー

オープンダイアローグによる主体性回復のプロセスのイメージは、ハーモニー=調和ではない。

それは、ポリフォニー=多声性である。

ポリフォニーとは、他者は自分とは決定的に異なるものであり、他者を自分と安易に同一化することは間違っているという認識を現した言葉だ。

同一化を目指した対話は、説得、尋問、叱咤激励、アドバイスである。

それは相互性のあるダイアローグ(対話)ではなく、一方的なモノローグ(独り言)だ。

合意と同一化を目指すものを「会話」という。

それに対して「対話」とは、「自分と相手がいかに違っているのかを理解し受け容れる」ためのものだ。

会話と対話で注意が必要なのは、客観的なこと、正しいことを尊重しすぎると、対話の契機が失われ、会話になってしまうということだ。

相手を尊重し、相互性のある対話を目指す場面では、客観性や正しさを脇に置き、主観性を大事にするということが求められる。

対話でしてはいけないこと

❶説得、議論、説明、アドバイス
双方向性がなく、結論ありきの押しつけになる。
本質的ではない対話が重要である。

⚠️傾聴が尋問になる
「そうですか、辛かったですね。でもなんでそんなこと言ったんですか?

⚠️質問が批判になる
相手も同じように辛かったかもしれませんよね?生きている限り、辛いのはみんな同じではないですか?

❷体験を否定しない
❸わかったつもりにならない
難しく言うと「他者の他者性」を尊重するということだ。他者というのは、「私の認識」を遥かに超えた計り知れない深みを持った存在のことである。言い換えると、他者と言うのはどこまで行っても理解できない部分を持った存在だと言うことだ。

❹批判やネガティブなことは言わない
⚠️リフレクティングで自説開陳
でもね、この人ただのわがままなんじゃないかとわたしは思います

オープンダイアローグの職場での活用

オープンダイアローグを職場で活用することは可能だろうか?

会社という組織は、一定の目的のために存在し、運営されている。そのため、事業運営において結論=意思決定が決定的に重要だ。

しかしながら、ぼくたちは会社の目的のためだけに働いているのではない。だって、人間だもの。

他者性の坩堝とも言える職場の人間関係というのは、合目的的に割り切れるようなものではない。

だから、みんないつも人間関係に悩まされている。

でも人間関係というのは、何らかの結論が必要なものではないのではないか?

ある時点で「ぼくとあなたとの間にある問題については、このように解決します」という結論を出したとしても、それが次の場面では通用しないということばかりじゃないだろうか?

それがまさに他者性というものだ。

相互に他者性を秘めた人間関係に求められるのは、会話ではなく、対話なのだ。

職場においても、いまこの場面で必要なのは「会話」か?「対話」か?を日々判断しつつも、職場の人間関係において重要であるのは基本的に対話だと心得ておくことだ。

対話のポイントを復習すると、結論(合意と同一化)を出さない・目指さない、相手をコントロールしようとしない、複数で対応する、当事者のいないところで当事者の話をしないということだ。

「で、結局どうしたいんですか?」
「わたしはこういう風にしていますよ」
「こうしたらいいんじゃないですか?」
「じゃあ、こうしてください」
「お悩みですね。(これまで何十人の悩みの解決に関わってきた)わたしがお聞きしましょう。安心してください、わたし一人ですから」
「さっきの○○さんの話どう思った?」

ぼくたちは、ともするとこうした「会話」をしがちである。

人間関係における議論や説得などのメリットは、同一化に求められる。同一化が進めば、自己が拡大するような感覚を得られ、「わたし自身」がエンパワーメントされる。

しかし一方で、議論や説得は、当事者の力を奪ってしまう。「相手」はエンパワーメントされるどころか、逆にパワーを奪われるのである。

相手を尊重し、対話したいのであれば、ぼくたちは上記のような会話を止めるべきなのだ。

そうは言っても、これまでに染み付いてきた会話文化を対話文化に切り替えるのは容易なことではない。

普段の会話の中に、対話的な要素を増やしていくことを意識してみたい。

結論や解決を目指さない対話、対話自体が目的の対話には、多くの沈黙が伴うかもしれない。

「シーン」という場面。ぼくたちが耐えられないあの場面だ。

だが、オープンダイアローグは次のことを教えてくれている。

沈黙が多いのは、それが意味のある対話になっている証拠である。

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