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ウィステリアと三人の女たち(川上未映子)



自分の本質が姿を現す瞬間とは、いつどんな時だろうか。

自分がどんな人間か、と聞かれた時に、こういう人間ですと言い切れる人は少ないと思うのだ。
この人といる自分、あの人といる自分、一人の自分、大勢の中にいる自分ーーー
みな自分を使い分けて生きているし、これと言った定義ができないのではないだろうか。
ある日突然、知らない自分が顔を出すことだって大いにある。
例えば、口に出す言葉とあなたの態度は常に一致しているだろうか。
そもそも一致する必要はあるのだろうか。
誠実性に欠ける、と言われるかもしれない。
でもその人の誠実性とあなたの誠実性は同じ言葉でも、おそらく、確実に、全然違うのだ。


この小説は、四人の女性の人生におけるエピファニーを鮮やかに描いている。

エピファニー【epiphany】 の解説
《元来は、キリストの顕現の意》文学で、平凡な出来事の中にその事柄・人物などの本質が姿を現す瞬間を象徴的に描写すること。
(goo辞書より)


鮮やかさとは、必ずしも明るい色だけではない。

以下、簡単なそれぞれのあらすじ

◆彼女と彼女の記憶について
著名人となった主人公は中学の同窓会に出席する。そこで、小学生時代に親友だった女性が数年前に餓死した事実を知るのだ。
◆シャンデリア
主人公には、20年前に別れてそれっきり会わず、先日死んだ母親がいた。友人にお願いされて作曲したことがきっかけで、突如大金が手元にはいってきたことで毎日デパートに通ってはハイブランドブティックにお金を落とす。何かが欠けているし、何かがおかしい。死にたいのに、死ねない気持ち。
◆マリー愛の証明
主人公マリーには恋人がいた。そして、丁寧に別れ話を重ねて別れた後、彼女は元恋人に本当に私を愛していたのかと問われる。マリーはそんなことを証明することはできないと言う。神様の存在と重ねて愛の証明をするマリー。
◆ウィステリアと三人の女たち
主人公には子供はいない。いないまま38歳となった。夫は不妊治療に積極的ではなく、そのままになってしまった。ある日老女が住んでいた隣の家が解体されていることに気づく。あの老女は、死んだのだろうか。ある夜、解体途中の家に足を運び、彼女は老女の記憶を辿るーーー

 
人の本質というものはなんだろうか?

根底にあるもの。それでいてじとっとしていたり、ぬるっとしていてたり、乾いた紙粘土のようにひび割れている部分ではないか。

人の本質が浮き彫りになるのは、いつどんな時だろか?

胸が引き裂かれるような、どうにもならない、進みたくても進めない、死にたくても死ねない。
そんな絶望だったり抑えきれない欲望だったり、消えることのない悲しみに近い愛を抱いた時に見える物なのではないか?

おそらく、人の本質は、簡単には現れないからこそ象徴的であり眩しく鮮やかなのだ。

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