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過去も含めて、肯定してもらえた気がした【#みんなで書く部】
これまでのわたしは、自信がないと言って、いろんなチャレンジから退いてしまうことが多かった。
自ら、チャンスを手放すことが多かった。
その時その時を、しっかり地に足をつけてやってきたと思っているし、そのことに、嘘偽りはないのだけれど。
はたから見ると、もう少しやってみればいいのに…と思われていたかもしれない。
でも、いまのわたしが、判断をするのなら、
わたしは努力が足りなかった。
自分へ誠実であることに対する努力。
とあるバンドの曲の歌詞に、こんなフレーズがある。
不安には期待しないと出会ったりしない
期待は自信の種からしか芽を出さない
その自信は諦めなかった経験の証
わたしは、このフレーズと出会って、ようやく目が覚めたような思いになった。
小さい頃から、不安感強めの子だったと思う。
自分で言うのもなんだけど、根底の部分がはっきり定まらなくて、ふわふわしていた。
そのふわふわ感が、良さとして出ていたこともあったと思うけれど、わたしがこれまでに感じてきた不安とは、かなり漠然としていたことは、いつも、課題だと思っていた。
なぜ、漠然としていたのか?
それは、自分のことを知らなかったから。
どちらかというと、自分を知ることへの恐怖の方が強くて、自分を直視できなかった。
いつも、自分以外の誰かが喜ぶような回答を探していたと思う。
時の流れ、外的なもののせいにして、自分の成長を止めていた。
自分という生き方、存在に対して、誠実ではなかった。
自分を支える根っこの部分こそ大切なのに、木の部分ばかり、大きく立派に見せようとしてた。
この状況のどこに、期待を持てるだろう。
どこから自信が生まれるだろう。
自分のことを信じられるきっかけ、理由を、自分の力で見つけなくてはならなかったのに。
自信を持てる要素なんて、ひとつもなかった。
そんなわたしに、神様が与えた試練は、新体制を余儀なくされた事業の主任だった。
責任と、やるべきことが明確になった。
自分の心身が慣れるまで、何度も体調を崩した。
与えられた期間は、1年間しかないのに。
そう、焦ってばかりいた。
この頃から、自分の立ち位置をかなり意識するようになった。
自分がどこにつまづいているのかを把握しなければ、相談なんてできなかったし、相談相手も決められなかったから。
自分に、ベクトルを向けざるを得なかった。
自分の中に、答えはなかったけど、目指したい理想は見つけた。
そこに向かっていく仲間もいた。
うまくいかないことは多かったけど、与えられた役職のおかげで、頑張り通せた。
困難があっても、しぶとく、立っていること。
理想に近づけるために、自分に何ができるのか、考えて、行動してみること。
ある程度の期間、続けること。
あの経験をしたから、今があると思えるようになった。
新しい仕事には、まだまだ力が及んでいないけど、継続から見えてくることがきっとある、と思えること。
自分に期待を持てること。
歌詞を思いながら聴くと、自分の体験が、重みを持ったことを実感した。
すべて自分だった。
ただ流されるがまま、やみくもに日常を過ごしていたら、わたしはいつまでも気づくことができないままだったと思う。
たくさん、遠回りした。
逃げようともした。
何度も強い向かい風が吹いてきて、挫けそうになった。
事業を任される前の職を含めても、涙が溢れた日も数知れず。
周りと比べて、自己嫌悪になることもいっぱいあった(いや、それは、この記事を書いている時点でもある。)
今、わたしが自分の足で立ち、歩みを続けようと思えるのは…
自分に期待を持てるようになったのは…
乗り越えられた時のよろこびを知っているから。
どんなわたしであっても、見守ってくれる心強い味方がいることを知ったから。
不安には期待しないと出会ったりしない
期待は自信の種からしか芽を出さない
その自信は諦めなかった経験の証
先にあげたこのフレーズは、次のひとことで締められている。
歓ぶための涙で育つのが 決心
いろんな涙はあるけれど、やり遂げた時に上司から「お疲れさま」と言われた時に流した涙が、今も自分の心を支えてくれている。
わたしの仕事は、達成感を実感できないことが多々ある。孤立感だったり、自分の不甲斐なさも感じている。
泣きたくなることもある。
なんのために、生きているのか、わからなくなることもある。
それでも、諦めずに、今を生きようと思えるのは、
過去の経験もあってこそ、わたしである
と思えるようになったから。
この歌詞の意味が、自分の過去と紐づけることができた時、とんでもなく自分という軸(根)を持てなかった過去も含めて、自分のゆっくりなペースの歩みを肯定してもらえた気がした。
「それがいいんだよ」と言ってもらえる気がして、下を向き続けた視線を前に向けることができた。
結果が求められたり、重視されることはあるけれども、そこに至るまでのプロセスが大切。
と、わたしが思う所以は、自己肯定ポイントにつながるということも、あったのかもしれない。
毎日が通過点。
一日一日を、大切に暮らしていきたい。
〜 あとがき 〜
#みんなで書く部
企画が開催されると知って、
まずはじめに何を投稿するか
迷いましたが、なんとか書ききりました。
今回のテーマは
「この歌詞が刺さった!グッとフレーズ」
でした。
こんなことを言っていますが、
未だに、優柔不断が発揮される場面があります。
それは、義家族との外食です。
何食べるか、食べたいのか決められない。
一気に思考停止します。
それを察して、夫がさくさくっと注文してくれます。笑
悪く言うと、夫に依存。
いかに、幼少期自分で選択してこなかったか、
周りの意思を汲んで
それを自分の回答にしてしまっていたかが
垣間見えますね。
この記事を書いていて、
過去の記事を思い出したので、
リンクはっておきます。
自分の備忘録です。
◎
最後までお読みいただき、
ありがとうございました!
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幸せが訪れますように🍀
また次の投稿で、お会いいたしましょう。
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