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ドラマチックでドラスティックな2020



ウソみたいな、夢のような2020年が瞬く間にわたしを駆け抜けていった。


昨年のとある日、ドラマチックに自然発生的に『心灯杯』というイベントが立ち上がった。

立ち上げたのではなく、“立ち上がった”というのが適切であろう。


『心灯杯』というのは、創作落語を執筆するイベントである。


ある時、何気なく「こんな落語聴いてみたいんだとnote上で呟いてみたところ、それに応えるように数名のnorterさんがササッと落語台本を作ってくださったのだ。

そのnoterさんたちの“洒落た遊び心”“粋で知的な遊び方”に痛く感動したのも束の間、中には執筆した台本で落語音声まで聴かせてれる人まで現れて、あれよあれよという間に、それは“創作落語de『心灯杯』”というイベントへと昇華したのだった。

さらに、第2回『心灯杯』読者人気投票1位となった作品が、プロの噺家さんによって高座に掛けていただけることになり、年末12月には『心灯らくご会』という落語会を開催する運びとなった。

それはわたしが2020年3月30日にnoteに登録をしてから、約9ヶ月後に起きたことだった。




「ねぇ、さや香さん。僕ね、心灯杯の賞金、まだ使ってないんですよ。どうせ使うなら、なにかおもしろいことに使いたいと思っていて」

そう。

第1回、第2回の心灯杯には賞金が用意されていた。

第1回はさや香の独断、第2回は読者からの人気投票でV2を奪取した砂子・H・砂男先生からの何気ないひとことだった。

酒好き・女好きを地でいく砂男先生のことなので、「勝利の美酒だー!俺の奢りだーー!」と【芝浜】の勝五郎みたいにどんちゃん騒ぎでもって、賞金なんぞはとっくに“ジョニーウォーカー黒ラベル”に化けて、若いおねーちゃんたちの胃袋に流れていったのだろうと勝手に思っていたので意外だった。



「僕、考えてみたんですけど、プロの噺家さんに【正夢祈願】を演ってもらえないですかねぇ」

第2回心灯杯がすべて終わった後に、“賞金のおもしろい使い道”として砂男さんから思いがけない提案があった。

これに関してはこちらにも記載した通りである。

ただ、コレには上記のnoteには書かれていない“こぼれ話”がある。




実は当初、砂男さんからは“賞金のおもしろい使い道”として4つの案があがっていた。

そして、その4つの案の中で、時間・労力・費用を特に要し、一番実行するのが大変そうなものが『プロの噺家さんを呼んで、こちらの用意した【正夢祈願】という台本を高座にかけてもらうこと』であった。

しかしながら、イメージしただけでワクワクと胸が躍り、他の3案よりもグンを抜いて楽しそうだったのも、コレであった。

一瞬だけ迷いはあったものの、それは本当に一瞬だけのことで、砂男さんから提案のあったその日のうちに桂竹紋氏にコンタクトを取った。

「さや香さんの知り合いに若手の噺家さんいないですかねぇ」

と砂男さんから軽く言われたが、正直なところ、わたしは芸能界にも落語界にもコネクションなんて持ち合わせていない。体当たりで連絡を取りに行った。




『あなたが何気なく過ごした今日は、昨日逝った者が切実に生きたかった明日である』

これは二十歳のわたしが使っていた手帳に記載されていた言葉である。今調べてみたところ、韓国のベストセラー小説『カシコギ』の中の一節らしい。

『だから、あなたが代わりに今日を大切に、命を大事にして生きましょうね』

だなんて偉そうなキレイゴトを言うつもりは毛頭ない。

人間なんてものは果敢ない。人生なんてものは短い。明日なにが起こるかわからない。それを嫌と言うほど、全世界に知らしめてくれたのが2020年という年だったのではないだろうか。

わたしは人生を全力で楽しむために生まれてきて、世の中を掻き回すために生きている。

そして、明日自分が散ってしまっても「我が人生に悔い無し!」と高らかに言えるし、そんな日々を送ることを瞬間ごとに努めている。

実際今のわたしの仕事というのは“綱渡りのエブリデイ”なので、確かな保証などどこにも無いし、明日くたばって、その辺で野垂れ死んでもおかしくは無い。「明日から結構です」と顧客に言われてしまえば、食いっぱぐれる生活なのだ。

そんなヒリヒリとした状況でさえも、人生丸ごと賭けて楽しんでいたりする。

遊びも仕事も全力で、全身全霊で味わいたい!堪能し尽くしたい!

そんなわたしなので、今回砂男さんから提示された4案の中で、一番楽しそうなものを選ばないはずがなかった。




【正夢祈願】の台本が、年末の風物詩とも言われる【芝浜】のオマージュであったため、落語会を12月開催とすることに決定した。

そうなると、どうせ年末に演るならば【芝浜】も聴きたいなぁ、と思い立つ。

「芝浜、芝浜、、、あ!イカルス渡辺!!!」

つい先日YouTubeで見つけたばかりの、イカルス渡辺氏を思い出す。

気付いたときには、イカルス師匠とのアポをすでに取り付けていた。

そして時すでに、イカルス師匠への出演交渉は完了していたので、もちろん砂男先生への連絡は事後報告であった。



砂男さんは、わたしの自由っぷりを責めないでいてくれた。それどころか、遠巻きにあたたかく見守ってくれて、いつも労ってくれて、「僕の夢が叶います。ありがとう」と感謝の言葉までくださった。

フツーだったら、なんでも勝手に進めてしまうわたしの奔放さにブチ切れてしまうであろうところを、大人の余裕で対応してくれた。

フェミニストで紳士だった。

少なくとも、このときほど「女の外見」をしていて良かったと思ったことは無い。

外見まで男だったら、確実にボコられていただろう。←




そしてわたしは、やはり改めて自身の協調性の無さに驚いた。

“組織で動いてなんぼのサラリーマン”が務まらなかった理由をとくと実感した。

そして、自分の本当の居場所は、やはりあそこでは無かったのだと、この現状が背中を押してくれたことで深く納得したし、今は自分の二本の足で地を踏み締めているのだと思うと喜びと充実感と誇らしさがこみ上げてきて、たまらなかった。

時間も金も、自信という名の自己肯定感さえも持っていなかったあの頃のわたしに、今の自分を少しだけ見せてあげたい気持ちになった。




奇しくも、会場は高円寺に決まった。

落語の街、高円寺。
ロン毛の街、高円寺。
わたしの思い出が輝く街、高円寺。

といっても、わたしが「高円寺で落語会をやりたい」と言ったわけではなかった。

“マイクを通さない落語”と“爆音で弾けるロックミュージック”との両立を叶えてくれるハコは、都内でもごくごく限られていた。

最終候補に2つのハコが残り、その2軒を演者さんたちに実際に見ていただいて決めた。

通常は主催者が決めた会場で演っていただくものであって、演者さん本人が主催者でもない限り、素人の趣味の落語会の会場選びになんて足を運んではくれない。それを嫌な顔ひとつせずにガンガンに付き合ってくださった。本当になんて良い人たちなのだろう!

怖いもの知らずのド素人、演者さんたちを気軽にブンブンと振り回したが、わたしとしても、“演者さんたちがよりご機嫌で演れる会場”でのパフォーマンスを楽しんで欲しかったので、非常に嬉しかった。



会場見学の帰り道、街中に『高円寺フェス2020』の看板やポスターをいくつも見つけた。

大槻ケンヂと、みうらじゅんと、タブレット純の名前とがあって、こんなにもロン毛の聖地にロン毛が大集合するというのに、なぜあの人が居ないのだろう。不自然だ。と思いながら歩いていた。

“あの人”というのは、度々わたしがnote内で熱い想いを綴ってきた稲田一馬氏のことで、わたしがnoteをはじめて1ヶ月くらいが過ぎたころに偶然見つけた大阪を拠点としている流しのミュージシャンである。

年末に【芝浜】が足りないなと思えば、イカルス渡辺を呼ぶ。

高円寺にロン毛が足りないなと思えば、稲田一馬を呼ぶ。

そう。単純なことだ。←

「なんで一馬が高円寺に居ないんだろう。フシギ。」と思った次の瞬間には、まだ一度もお会いしたことの無い稲田一馬氏を高円寺(での落語会)に招いていた。

実際の一馬は画面の中で拝見する以上に魅力的な人であったと、また別のnoteにてお伝えしたい。




当日の『心灯らくご会』は、予想以上に盛り上がった!!!大盛況である。


なにが嬉しいって、“笑いの感度の高いお客様”が多かったということ。


舞台は、“能動的参加型瞬間芸術”なのである。特に落語は、それの極みである。お客様がいて、はじめて作品が成立するところがある。

皆さん、前のめりで積極的にその空間を味わって堪能してくれた。その光景を後ろから見ているだけで、凄くシアワセな気分になった。

終演後、「楽しかったです!」と言ってくださった竹紋さんのファンの方、立地的な事情で久しぶりのライブに来ることができたというイカルスさんのファンの方、イカルスさんと竹紋さんとスリーショットでお写真撮っていた方、予め可愛い和柄のポチ袋に丁寧に木戸銭を包んできてくださった方、そんな方たちの笑顔を目の当たりにしたら、とてもとても胸が一杯になってしまった。

「こんなご時世でなければ、会場まで行きたかった」という方がたくさんいらっしゃったのもの知っている。その他、立地的な都合、仕事の都合、持病の都合、様々な事情で泣く泣く来れなくなってしまった方も実際にいらっしゃった。

それでも、らくご会成功のためにと、本当に本当にたくさんの方が想いを寄せてくださった。もう、それだけで心が震えた。

あの日、会場にきてくださった皆様、遠くからでも想いを寄せてくださった皆さん、そして、当日一緒に楽しんでくださったアヤコ14世さん、YYさん、砂男さんには改めて心から感謝を伝えたい。


多くの方にとっては、“ただのなんでもない落語会”である。

でも・・・

わたしにとっては、この先も“忘れられない落語会”である。




「僕を見つけてくれてありがとうございます」

これは、ある時イカルス渡辺氏からいただいた言葉である。

落語は好きだけども落語家さんとの二人会をやったことが無く、落語ファンの前で“演芸ロックミュージカル”を披露できることが嬉しい。とても楽しみだ、と。




「わたしを選んでくださってありがとうございます」

ほぼ同時期に、別のタイミングで桂竹紋氏にはこう言っていただけた。

こんなにもたくさんの噺家がいる中で、わざわざ自分を選んでくれてありがたい。嬉しい、と。



自分がすごくすごく大好きな、画面の向こうの、舞台の上の人たちに面と向かってそんなこと言われたら、もう涙が出そうなほど胸が熱くなってしまった。




ある日、何気なくnoteを書き始め、突如『創作落語de心灯杯』という企画が立ち上がり、そして、その企画内での人気創作作品が、ついには本物の噺家さんに高座にかけていただけるという『心灯らくご会』へと繋がった。


そんなドラマチックなこと、他にあるだろうか。


しかも、この一連の流れ、わたしが動かしているように見えて、実はずっと見えない何かに“動かされている”いるような気がしていた。

もちろん、身銭を切ってやりたいことは全てやり尽くしたし、本当に心の底から満足している。

けれど、こんなにも全てのことが短期間で、パズルのピースを埋めていくようにパタパタと予定調和で進むものだろうか。あまりにもうまく事が運びすぎて、はじめから用意されていた道をわたしがタタタタ・・・と歩いて行っただけのようにも思えてならないのだ。

それは、初期の頃から心灯杯に参加してたくさん遊んでくださった方々の思い、心灯らくご会に興味を抱き応援してくださった方々の思い、はたまた、「プロの噺家さんに台本を読んでもらえたらな」という砂男さんの思いや、「また東京に行きたいな」という一馬の思い、「落語ファンの前で【芝浜】演ってみたいな」というイカルス師匠の思いや、「落語をできる機会をもっと増やしたいな」という竹紋さんの思いなどが全て相まって、ここに集約されたのではないかと、ふと思っている次第。


過去の自分自身のダメ出しから、次への改善点と自信が見えてきた2020年。

たくさんの人に遊んでいただき、たくさんの人に優しくしていただいた2020年。

会いたい人に会えた2020年。

大好きな人や物がたくさん増えた2020年。

“ハートの宝石箱”に詰め込みたい“宝物”がたくさんできた2020年。

noteをはじめていなければ、見ることのできなかった世界にたくさん触れることができた2020年。


2020年、あなたのハートには灯がともりましたか?

わたしはあなたのハートに灯をともすことができたでしょうか。

わたしのハートにはたくさんの人たちのおかげで、あたたかい灯ではおさまらなくらいのアツい想いがともっています。

本当に本当にあたたかくて、幸せな気持ちでいっぱいです。



2021年もnoteで遊び尽くします!どんなことをしてゆこうかな☆


そして・・・

あなたのハートにもわたしのハートにも灯をともすような・・・

第3回 創作落語de心灯杯 #三題噺

絶賛開催中です!!!


今年もたくさんの人たちと、思いっきり遊んでもらおーーーっと☆


ひとりでも多くの方のハートに灯がともりますように・・・!









誰でも参加できちゃう!
大人の文化祭やってます♪
2021年もまだまだ突っ走ります!










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