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ちらちら

光ってる それが小さな 埃でも
子供(わたし)の目には きらきらしてた


カーテンの隙間から差し込む光の中で躍ってるきらきらした光の粒たちの正体はなんなんだろう。綺麗だなあって眺めていたけど、それは空気中を漂うホコリらしかった。
信じられなかったな。あんなに綺麗に見えるのに。


こどもの頃の感覚、忘れたくないのに気付いたらなくなっているものだなあ。
実際、物理的に目線なんかまるでちがうから仕方あるまい。

でも、ずっと同じ人間を生きているなあと思う。
地続きで、飛び石ではない。



本当は、感情に任せてそのまま心情を書いてしまおうかと思ったけれど、そんな文章は目を滑っていくだけだった。とても、つまらないってこと。

つまらないものがいちばん良くないものだな。

じゃあ何を書こうかと考えて思い出したのが少し前に作った短歌だった。


気が滅入っている時こそ何かを吸収するか何かを作るべきなんだ。
負の力が何物にも勝ることもありうるから。
どっちもエネルギー使うから無理な時は無理だけどね。


エネルギーの作り方?
プリンかドーナツ食べたい。
ご飯で言うとオムライスか中華食べたい。

今思ってもお店閉まってるなあ。


SNSを見ていて、「これは綺麗でロマンティックな絶望だなあ」という投稿を見つけて。
絶望もロマンティックで詩的なら美しいかもしれないと思ってしまった。


高校生の時に「自分の部屋だけ時計も止まって世界から切り離されてしまう気がする」と深刻に友達に話した時に、その子は冷静に「やたらとロマンティックな落ち込み方だね」と言ってきたのをふと思い出した。


わたしにもできるのか、ロマンティックな絶望の仕方。

もうね、ドラマチックな絶望か、エンタメに昇華する材料になる絶望しかいらないな。



今年は人の分を買うついでにえ〜かわいい〜おいしそ〜とか思って自分の分のバレンタイン買いすぎちゃった。でも人に渡したのと同じものしか食べられないからまだ全然バレンタイン続きそう。愛でしょうか?



冬は嫌いだ。寒いのが苦手なのもそうだけど、
まわりの人の命日が多いから、
毎年乗り越えるのがなかなかに厳しい。

あたたかくなるまで安心できない。


わたしは悲しくなると死んだ人のことばかり考えるからわかりやすいな。
それに気付くと馬鹿だなあと笑ってしまうけど。




そういえば、久しぶりに寂しさを感じる出来事があったな。

自分の声がいなくなったこと。
わたしにとって大事なものだったって気付いた。


わたしはわたしの声が近くにいないと寂しいらしい。ずっと自分と遊んできたから。

自分がいれば寂しいことはなかったけど、声がしないといなくなったみたいだった。


ひとりっ子特有の感覚かもしれない😐

帰ってきてくれてよかった。もういなくならないでほしい。




今日のBGM

光の跡/星野源

英題は『Why』らしい。

年明けに地震が起きて世の中が不安を感じている時に一緒に不安になろう時間を共有しようって貴重なお休みを返上して生放送でラジオを配信してくれた星野源さん。
曲の感想として寄せられたお便りに涙ぐんでいたのが印象的だった。
それぞれの心象風景を思い出させてくれる曲だと思います。


おともだちもサイコーです!
おともだちは『Odd Couple』(おかしなふたり)だそうです。

こちらタイトルは言わずもがな、歌詞から拝借しております。トゥース!


來世


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