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音楽は手段か目的か

この前の記事の続きである。

また考えが深まったので書いてみようと思う。

私にとって音楽は、手段でも目的でもないと思った話である。


私が音楽で人の役に立てることはなんなんだろう?


私は私が人の役に立てることは何だろうと考えた。できたら音楽関連で、と。


音楽の素晴らしさを自分の演奏を通して伝える音楽家。

音楽と何かを掛け合わせて新たなビジネスモデルを考えること。

音楽を通して子供たちに何かを伝えること。


どれもピンと来なかった。


でも、じゃあなんで、私はここまで音楽を選んで、飽きもせずに続けているんだろうか。

私は音楽しかできないから音楽を選んできたんじゃない。

何か理由があるはずだ。








好きだから。

以上。



「そりゃそうだわ!誰かの食い物にされてたまるか!音楽なんて私のものでもないし、誰のものでもないわ!」

これ至った時の私の気持ちね。



音楽しかできないから音楽を選んできたわけじゃない。


大学には平気な顔でこう語る奴がいた。

「俺(私)には音楽しかない」


困った。

私は別に音楽しかできないなんて思ってない。


なんでも新しくやることは楽しいし、

なんだって工夫次第で面白がれる。


私が音楽しかできないだなんて、少しも思ったことがなかった。

その人達と比べたら私の音楽に対する情熱は弱いんじゃないかって、本気で心配して、悩んだ。

でも結局、音楽でなくても良かったけど、私は音楽を選択してきた。



私は素であっち側行きたい勢だった

ここで思い出した話をひとつ。

小学生の時に、芸術鑑賞会でホールでオケを聴いたことがある。


私はその時、

「うわー!かっこいい!私もあっち側(ステージの上)に行きたい!」

と心底感動したのだ。心が動いちゃった。

終演後、私は友人に

「私もあっち側に行きたいって思っちゃったー」と話した。

しかし友人はそんなこと露にも思わなかったらしく、びっくりされた。

普通はそんな風に思わないよって。


ショックだった。
私もあなたも楽器やってる同じ人間なのに。



たぶん演奏を聞いた時の受け取り方は3パターンある。

1.あっち側行きたい勢

2.すごい演奏だったー勢

3.あっち側に行きたいと思うべきだと思った勢


この3がやっかいである。


たぶん普通は1.2だけなんだと思う。

だけど、自分の周りの、将来演奏をしていきたい、音楽が大好きな知人の中には3がいる。

演奏家になるためには、あっち側に行きたいと思わないといけない、という呪いをかけられてしまっている勢である。


音楽を続けていると、

毎日長時間練習しなければいけないとか、

色んな音楽を聞かなくてはいけないとか、

当たり前にのさばっている呪いがたくさんある。


私に自分には音楽にしかないと語ってきた大学の友人達は、この呪いにかかっているんだろう。


こういう呪いにかかってる人たちを、
この呪いを呪いとも思わずに狂気のような努力をする人たちを、
私は尊敬できない。

まぁ私が許せなくてもそういう人はいるのだけど。


でも、私はシンプルに、素直に、自分の心に従って音楽と共にありたい。


何が言いたいかって

私は、音楽しかできないから音楽を選んできたんじゃない。
私には音楽でなければならない理由がある。こじ付けの理由ではない。社会に合わせた大義名分でもない。

好きだからだ。







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