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「約束の虹 プライドの虹」創世記 9:8-17

創世記の6章から9章までが、有名なノアの話です。クリスチャンでない方も、ノアの箱舟の物語と言えば、聞いたことがあるかもしれません。アダムとエバがエデンの園から追い出されてから、世界中に悪がはびこりはじめます。神はそれを見て、悲しみ、全人類、被造物を滅ぼそうとされました。その中で、正しい人と呼ばれたノアとその家族、そして動物たちを救い出されました。ノアは洪水の後に、アダムのような存在となり、人類の元となっていきます。

神は、ノアに宣言をします。「大洪水が再び起こって地を滅ぼすようなことはない。」別に川や海の災害が起こらないということではなく、「神は洪水や津波によって、人を罰し、滅ぼすようなことはしない」ということです。9節で、神は「わたしは、わたしの契約をあなたがたとの間に立てる」と仰います。聖書の中で初めて「契約」という言葉が出てきます。契約とは言いますが、ここでの契約は、神が一方的に、ご自身が造られた被造物を慈しみ、愛し、守るという宣言をします。ノアとだけなされた約束ではありません。これは神が人類と被造物にされた永遠の約束です。

神ご自身とすべての被造物との契約がしつこいほどに繰り返されています。神はその契約のしるしとして、空に虹をかけました。そして、これからも虹をかける時、その契約を思い出すとおっしゃいます。先ほどの繰り返しもまるで、神がご自身に言い聞かせているかのように聞こえます。クリスチャンはこれを「約束の虹」と呼びます。

昔の神学者はこんな風に想像しました。
「虹は暗い大地に輝く。そして、愛の光が怒りの燃える闇に打ち勝つ勝利を象徴している。天と地の間に広がる虹は、地平線をまたいで、天なる者と地にあるものの平和の絆であり、神のいつくしみがすべての被造物に届くことを指し示している。」

神の愛と平和が全世界、全被造物を覆うという約束です。イエス・キリストが地上に来られた時、この約束がイスラエルから、さらに進んで、全人類に、全被造物に広げられることがはっきりと示されました。これは、イエスの時代のイスラエルにとっては、スキャンダルでもありました。「ユダヤ人にならなくても、ユダヤ人の習慣を取り込まなくても、イエスをキリストとして受け入れ、そのイエスに従って生きるなら、神の民となり、アブラハムの子孫となる」ということは、驚くべきことでした。これは、当時のユダヤ人には受け入れがたいことでした。そして、イエスの弟子たちの間でも、迷いや様々な議論があったことと思います。ガラテヤの信徒の手紙では、パウロが牧会していた時に、ユダヤ人クリスチャンとパウロや教会の間に葛藤があったことが描かれています。しかし、それこそ、約束の虹の最終的な成就となるわけです。

今日のタイトルを、「約束の虹 プライドの虹」としました。6月はプライド月間でした。海外のSNSを見ていると、プライド月間にちなんだ投稿をよく見ました。それと同時に、最近、このような写真がSNSで出回っています。プライドフラッグとして知られている虹色の旗ですが、保守的なクリスチャンたちがLGBTQの象徴として虹色の旗を使うことを非難しています。虹は、神の約束の虹であって、プライドの虹ではないというのです。

こういうことは、キリスト教の世界ではしばしば起こります。そして、ある時はそれが国会規模や世界規模で起こることがあります。ジョン・レノンが、生前、「ビートルズはキリストよりも有名になった」と発言したことがありました。当時のアメリカの保守的なクリスチャンの指導者たちは、ビートルズのレコードを廃棄し、燃やすように呼びかけました。ジョン・レノンが言ったことは決して間違いではありません。今でいうなら、日本ではキリストよりもBTSの方が良く知られているといったところでしょうか。プライドフラッグへの非難、性的少数者への非難も同じ流れの中にあります。

プライドフラッグは、6色の虹色だけでなく、様々なセクシュアリティを代表するフラッグもあります。それは、性の多様性をしめしています。私は、プライドフラッグを見る時、そのカラフルさに目が留まります。私もプライドパレードに参加したことがありますが、参加者みんなが楽しそうで、自信にあふれて行進します。アライの人たちが、フラッグを掲げる時、それはセクシャリティの多様性を理解し、その理解を推し進めていく意志の象徴となります。

それと同時に、LGBTQの方々は、この社会の中で抑圧されている存在でもあります。「LGBTQ理解増進法」が国会で可決されてから、LGBTQの方々がヘイトスピーチに曝されています。保守的なクリスチャンからも、あからさまな嫌悪が表されています。そういう状況の中で、プライドフラッグには、喜びや多様性だけでなく、抑圧されている人々の苦しみの叫びが表されているように思います。

さきほど紹介した神学者のことば、「天と地の間に広がる虹は、地平線をまたいで、天なる者と地にあるものの平和の絆であり、神の慈悲がすべての被造物に届くことを指し示している」ということばは実現されていません。神の愛や慈しみに反して、虹の旗は憎しみ、嫌悪の対象となりました。地平線をつなぐ虹は、分断を象徴する虹のようです。

プライドフラッグを見るたびに、性的少数者の叫び、嘆きが私の耳に響きます。神はLGBTQの人々の声を聴いていらっしゃると、私は信じています。約束の虹は、プライドの虹でもあります。平和を待ち望み、苦しみに耐えている人々のための虹です。クリスチャンでいうならば、それは十字架です。十字架は、私たちの苦しみ、罪をすべて抱えて、イエスが掛けられたものです。そして、その十字架に私たちを苦しめる罪と悪もかけられました。いまだに悪と罪は完全には滅びていませんが、イエス・キリストが再び来られるときに完全に滅びます。そのイエスに従う時、クリスチャンは平和を待ち望み、「平和をつくる」ために苦しみに耐えていきます。しかし、イエスは、ご自身に従う者たちと共にいてくださいます。イエスは苦しんでいるセクマイの方々、そしてアライの人々のことをしっかり見ていらっしゃいます。必ず、助け出してくださいます。天満レインボーチャーチは、十字架とともに、プライドフラッグもしっかり掲げたいと思います。

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