天満レインボーチャーチ

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天満レインボーチャーチ主催者の村島健一郎といいます。天満レインボーチャーチはLGBTQ+フレンドリーのキリスト教会です。YouTubeチャンネルもご覧ください https://www.youtube.com/channel/UCMe-fkY9xLZgvE0ConBVNkQ

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最近の記事

教会学校お話し集 イエスと働く私たち ルカ5:1-11

今日の聖書のストーリーは、たぶんこんな話ではないということから言いたいと思います。 ・このストーリーは、ペテロが自分の罪を告白した話ではない。 ・このストーリーは、何もかも捨ててイエス様に従わなければならないという話ではない。 ・このストーリーは、クリスチャンは伝道しなければならないという話ではない。 イエス様が12人の弟子たちを招くストーリーの始まりです。奇跡を目の当たりにしたペテロはイエス様に言います。「主よ、私から離れてください。私は罪深い人間ですから。」こんな奇跡

    • 最後の晩餐 -契約の血ってなんだ?- (マタイ 26:26-29)

      今日のお話は、最後の晩餐と呼ばれている食事の様子です。つまり、イエス様と12人の弟子たちが地上で食べる最後の晩御飯。この食事は、ユダヤ教の大切なお祭りでの食事です。その祭りとは過越の祭。過越の祭とは、旧約聖書に書いてあるエジプトからの脱出を記念して行われる祭りです。過越の祭とは、神様がエジプトでの奴隷の苦しみから解放して下さった恵みを感謝するための祭りです。 エジプトから逃げる時、イスラエルの民は一つのことをしました。それは小羊が犠牲として殺され、小羊の血を家の門に塗りまし

      • 神学校の宿題 -あなたならどうする-

        【良き隣人】 ジャニスとロバートは自称 "聖書を信じるイエス信者 "である。 彼らは最近、新しい近所に引っ越してきたのだが、彼らの言葉を借りれば、そこは「とてもフレンドリーで親切」な場所だった。 新しい家に引っ越して最初の 1 ヵ月は、近所の人たちが自己紹介のために立ち寄ってくれた。 中には手作りのパンやクッキー、ジャムを持ってきてくれた人もいた。 ジャニスとロバートは、神が自分たちを隣人たちの生活の中で用いてくださるようにと祈っていたので、新しい友情を簡単に築けた

        • イエスさま、エルサレム入城

          教会学校でお話ししたことを掲載します。 教会学校で話をする時は、①ポイントを1つに絞ります(これは大人に話す時も同じですが)、②「あーしましょ~」「こーしましょ~」ということは言いません。神様、イエス様がどんな方かを話します。 【説教】 いよいよイエス様がエルサレムにやって来られました。 エルサレムの人たちはイエス様を大歓迎します。 しかし、その歓迎の仕方も少しオーバーな感じもします。大人気のイエス様とはいえ、自分の上着を道に敷いて、イエス様を迎えるってどういうことで

        教会学校お話し集 イエスと働く私たち ルカ5:1-11

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        • 神学
          5本

        記事

          The radiance of life that God gives (John 1:1-14)

          <A New Creation> The Gospel of John begins with the curious sentence, "In the beginning was the Word. "In the beginning..." reminds us of "In the beginning God created the heavens and the earth" in Genesis 1:1. I believe John was aware of

          The radiance of life that God gives (John 1:1-14)

          神が与えるいのちの輝き(ヨハネ福音書1:1-14)12月23日 燭火礼拝メッセージ

          【新しい創造】 ヨハネの福音書は「はじめにことばがあった」という不思議な一文から始まります。「はじめに・・・」という出だしは創世記1章の「はじめに神は天と地を造られた」を思い起こさせます。ヨハネもそれを意識して、このフレーズを使ったと思います。この天地創造には「ことば」が関わったと言います。そして、これから新たな歴史が始まる。新たな世界がやって来る、新しい創造がはじまるという宣言をしています。ヨハネはロゴスという単語を使っています。ここではイエス・キリストを指します。恐らくヨ

          神が与えるいのちの輝き(ヨハネ福音書1:1-14)12月23日 燭火礼拝メッセージ

          マリアに宿る神の子 (ルカによる福音書 1:26-38)

          イエス・キリストの誕生について私たちはすでに多くのことを知っていると思います。教会で上演される子供たちの聖誕劇は、ルカの福音書に沿って行われます。聖誕劇はどこか平和で牧歌的な雰囲気さえ漂います。 【苦しみのイスラエル・苦しみのマリア】 しかし、ルカの福音書1章は、多くの社会的・政治的・宗教的情報が埋め込まれています。福音書の1章だけでは、まだよく理解できないことがあります。ストーリーはガリラヤから始まります。ナザレという町に住むマリアという女性に天使が言います。「あなたは

          マリアに宿る神の子 (ルカによる福音書 1:26-38)

          対話に感動するイエス(マルコ 7:24-31)

          聖書を読むのは簡単なことではありません。そもそも読み書きというのは、「話す聞く」よりも、さらに訓練を要します。しかも新約聖書は、2000年前の話ですし、書かれた文化も今と違います。ですから、聖書に書かれていることすべてが21世紀の人々も従うべき倫理観だということにはなりません。聖書にはミソジニー、外国人ヘイトがあちこちに見られます。特に今日の聖書の箇所はスキャンダラス、衝撃的です。 神であるイエス・キリストが、何と、ひとりの女性を「小犬」呼ばわりしています。この箇所は長年多

          対話に感動するイエス(マルコ 7:24-31)

          誰にでも当てはまる真理はあるか?(格差社会を生きる私たちに聖書は役にたつか)

          アジアのある国で仕事をしていた時のことです。日曜日の朝は教会に行くわけです。その国の福音派と呼ばれる教会の説教は、大方道徳的なものです。例えば、「みんなに親切にしましょう」とか「聖書の教えに従いましょう」とか「私たちは神様に従順でなければなりません」というようなものです。 教会にはいろいろな人々がやってきます。この国では、日本では考えられないほど経済格差があります。経済格差というのは、お金持ちと貧しい人が持っているお金の量が違うというだけではありません。お金持ちの家は未来永

          誰にでも当てはまる真理はあるか?(格差社会を生きる私たちに聖書は役にたつか)

          キリスト教の愛について考えてみる(アガペーとは何か?)

          キリスト教と言えば「愛」なのだが、その「愛」とは何を意味しているだろうか。 私が28年の信仰生活でキリスト教の「愛」についてこんなことを聞いてきた。 ・キリスト教の愛とはアガペーである。アガペーとは「無私の愛」「犠牲的な愛」を意味している。 ・新約聖書で「愛」は動詞で記されている。したがって「愛」とは単なる感情ではなく、行動である。 上の言説はキリスト教会でしばしば用いられるものだが、正直に言うと、まったく理解できない。 「新約聖書で『愛』は動詞で記されている」という

          キリスト教の愛について考えてみる(アガペーとは何か?)

          「意識啓発だけでは解決しない」-聖書の読み方を考える。

          このタイトルは、青山学院大法学部の谷口洋幸教授の時事通信の記事から取られています。 あらゆる差別に関して、メディアで記事が書かれる時、それは単に情報のやり取りではないはずです。単に何が差別かとか、何が起こっているのかなどの情報を発信することが目標ではありません。 情報を発信している人は、差別を受け、その人権や人格が著しく歪められている状況をいかに変えるために、私たちに何ができるか、何をすべきが実際的に取り組むことを願っているはずです。 これは聖書を読むときに大切な考え方

          「意識啓発だけでは解決しない」-聖書の読み方を考える。

          愛を注ぐ女性の話(ルカ 7:36-50)

          今回はルカによる福音書の7章のストーリーですが、比較的分かりやすい話のように見えます。しかし、今までの解釈を別の視点、疑問を投げかける時、別のストーリーが見えてきます。 福音書では、しばしばパリサイ人はイエスの敵として描かれています。しかし、このストーリーでは、あるパリサイ人がイエスを食事をしたいと自身の家にイエスを招きます。私たちはパリサイ人というある種のイメージをもっていると思いますが、必ずしもそのイメージに当てはまらないようなパリサイ人もいます。 その食事の場面に、思

          愛を注ぐ女性の話(ルカ 7:36-50)

          非暴力の世界を目指して②(マタイによる福音書 5:38-48)

          今週も「非暴力の世界を目指して」のタイトルでお話しをいたします。先週は、聖書に顕された神とは「愛に溢れ、自己犠牲的で、非暴力的で、敵を受け入れる神」ということをお話ししました。それは聖書に描かれたイエス・キリストの姿でもあります。「愛に溢れ、自己犠牲的で、非暴力的で、敵を受け入れる神」という聖書の神観は、教会やクリスチャンの生涯にも適用されます。今日はクリスチャンとしてより実践的な内容をお話ししたいと思います。 グレン・スタッセンという神学者の”A Thicker Jesu

          非暴力の世界を目指して②(マタイによる福音書 5:38-48)

          非暴力の世界を目指して(マタイ 5:9 )

          --------------- 平和をつくる者は幸いです。 その人たちは神の子どもと呼ばれる --------------- 日本に暮らしていますと、8月は戦争の記憶を呼び戻す季節になります。広島・長崎の原爆投下、そして終戦の日と続きます。私が若いころは、教会でも戦争を体験した方々のお話しを伺う機会がありました。 今日は平和について、非暴力の視点から話をしたいと思います。マタイの福音書5章9節の有名な言葉を味わいたいと思います。「平和」とは何か。「神の子と呼ばれる」とは

          非暴力の世界を目指して(マタイ 5:9 )

          「怒りを捨てろ」と言われましても・・・ エペソ 4:24-32

          今日はエペソ人の手紙の4章に書かれている著者から教会への勧め、命令が書かれています。この命令は、24節にある通り、「神にかたどり造られた新しい人を着」た私たちクリスチャンが身に着けるべき性質や避けるべき言動を示しています。 箇条書きにしてみますと、次のようになります。 · 隣人とは真実を話しなさい。(4:25) · 怒っても、罪を犯してはならない。(4:26) · 盗人は、もはや盗みをせず、自分の手で働き、困っている人々

          「怒りを捨てろ」と言われましても・・・ エペソ 4:24-32

          不倫を告発された女性と出会ったイエス(ヨハネ 7:53-8:11)

          私は今アメリカの神学校のオンラインコースで勉強しています。私の指導教官は女性なのですが、この先生が紹介する参考文献は、その多くが女性の神学者が書いたものです。 今回もこの箇所を学ぶために何冊かの解説書を読みました。そうすると分かったことは、男性の神学者と女性の神学者では、注目するポイントが違うということです。私は一人の男性、日本人、50代の人間として、聖書を読むときに、私自身のレンズを通して、聖書を読むことになります。しかし、そのレンズはいつも不十分で、著者のメッセージのす

          不倫を告発された女性と出会ったイエス(ヨハネ 7:53-8:11)