“愛”と“幸せ”について
みなさん、突然ですが、“愛”と“幸せ”ってどちらの方があなたにとって大切ですか?
今回はそれぞれの言葉の定義について追求はしません。
みなさん、想像してみてください。
愛する我が子が何者かによって殺されたとしましょう。
あなたは深く悲しんだ。なぜなら我が子はあなたの“愛”そのものだったから。だからこそ犯人を憎んだ。
そして“愛”のために復讐に燃え、やり遂げたとしましょう。
復讐を遂げ、歩いていると、話しながら笑い合って歩いている家族とすれ違いました。別に家族じゃなくてもいい。カップルでも、高校生の集団でも何でもいい。ただ、それが些細な“幸せ”に見えた。
その時、確かに復讐を遂げたことで満たされるものがあったでしょうが、あなたは気づいた。復讐心を満たすよりも、些細な“幸せ”を感じる方が、よっぽど気持ちいいだろうなと。
というところまで想像をした上で、あなたは考えます。
愛する我が子が何者かによって殺されたとして、あなたは復讐のために生きるのか、自分の“幸せ”のために生きるのか、どうしますか。
なぜこの話をしたかというと、“愛”と“幸せ”の関係と、例で挙げた復讐と些細な幸せの関係は似ているからです。
改めて、自分は”愛”とは言い換えれば“執着心”だと思っています。
そういった極限状態で究極の分岐点に立った時、あなたは(自分の)“愛”を選ぶか、(自分の)“幸せ”を選ぶかどうしますか?
ちなみに自分は“愛”を選びます。自分の“幸せ”を切り捨ててでも“愛”を選びます。なぜなら自分はそういう人間だからです。
あくまでイメージしてもらうための例ですが、親が子を命懸けで守るのも同じです。自分がいなくなれば我が子の心に深い傷を負わせることになるかもしれない。不幸にさせるかもしれない。我が子の幸せを蔑ろにした選択だと言えるでしょう。しかし、それがわかっていても、親は命に変えてでも守ることを選ぶのです。それと似たような感じです。
あくまで答えは人それぞれでしょう。
しかし、これを考えたことで、自分がどんな価値観で何を一番大切に生きているかということが少しわかったような気がします。
何のために生きているのかはわからなくても、自分がどんなものに心が動き、何を大切に生きているのかは、わかるかもしれません。
改めましてたくみんです。
いかがでしたでしょうか。
「なるほど」と思ったでしょうか。
「いやいや自分ならこうだ」と思ったでしょうか。
少しでも何かを感じていただけたり、考えていただけたなら、自分は嬉しいです。
さて、一昨日劇場でアニメ『地球外少年少女』という作品を観ました。次回は、その感想を綴ろうと思います!
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