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”視点”の違いは新たな”正解”のきっかけ。

こんにちは。
日常の中で誰かと言い争いになることってあると思うんです。
相手は良かれと思って自分に伝えてくれることでも、どうにも自分にはしっくりこない。
それってそれぞれの問題に対する”視点”がずれているからなんだと気付いたので僕なりの考えをシェアです。

-目次-
・彼女ができないのは何故か論争
・違い≠間違い、それぞれの正解を認識する

<彼女ができないのは何故か論争>
”視点”のズレを意識したのはある日の家族との言い争いからです。
事の始まりは、「お前、少しは運動しろよ、太ったぞ」と父の一言。
別にそこまで運動したくもない僕は適当にあしらっていると、父からさらに「だから彼女できないんだよ」と追い打ち。

僕自身、彼女いないことを悲観してるわけでもないですが、あんまりあれこれと言われ放題なのでカチンときてしまい反論。
以下、泥沼の言い争いに…。笑

今回は「僕に彼女がいない」現実をどう変えるかという方法論を巡って父と僕で食い違いが起きたのです。
(こんな話題を自分で解説するのもなんだか虚しいけど。笑)

父の主張
「ライに彼女がいない」
(認識)昔に比べて太った今の姿。昔はもっと細かったし、その時は彼女がいた。

(解決策)痩せてほしいし、筋肉があったりする方が魅力的。だから運動しなよ。

というもの。親心ですね。笑 
僕のことを心配してくれたからこその提案だと思っています。
それに対して僕の意見をまとめると、

ライの主張
「ライに彼女がいない」
(認識)人に踏み込んでいくのが少々怖い。割と1人の生活もエンジョイしている。

(解決策)人との向き合い方から変えていく必要があり、もっと相手を知っていくコミュニケーションをとる。

というものです。

それぞれの注目している部分が僕の容姿(外側の部分)と僕の性格(内側の部分)で大きくずれているので「彼女がいない」の解決策を話しているのに全く噛み合わなかったのだと思います。


<違い≠間違い、それぞれの正解を認識する>
今回の僕と父のように同じ問題に目を向けながらも、立場や感じ方の違いから全く異なるアプローチが生まれることって、日常的にもあると思うんです。
でも、自分と全く違う相手の意見を”正解”として受け止めることは難しい。

そんなことを思っていたら一枚の画像に出会いました。

(原典に巡り会えなかったので引用の引用で申し訳ありませんが...)
The Education treeというインドの学生団体のPRにある文章のようで、
「あなたが正しいからといって、私が間違っているわけではない。あなたが私の立ち位置から人生を見たことがないだけ。」
と伝えています。

あぁ、なるほど。
同じものを見ていても意見が食い違うのは”視点”が違うからなのだと。

この画像が示すように”視点”が違うだけできっとそれぞれの”正解”が存在するのだと思いました。

議論の場でも日常の会話でもこの考え方って通用するように思います。
自分と違うから意見を遠ざけるのではなく、違いはどこかを明らかにすることで新しい正解に出会えるのではないでしょうか。
自分の考え方や視点を相手にわかるように表現でき、理解も得られれば、1人の正解が2人の正解になり、共通の問題に対して、より広がった視点の解決策が誕生します。

それには

・理解してもらえるように表現すること。
・相手の表現を受け入れようとすること。

この2つの取り組みが必要なのではないかと考えます。

あなたが正しいからといって、私が間違っているわけではない。
逆も然りで、正解はひとつじゃない、なんて意識を僕自身、大切にしたいなと思います。


今回の内容はここまでになります。

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そこは違うんじゃない?などの意見やスキを押してくださるのも大歓迎です。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

ライ

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