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誰かは...ではない。自分の言葉で語る。

"音楽は絶対の癒しの力がある"というようなものではない。
音楽の感動は基本的に個人の誤解。
感動するかしないかは勝手なこと。

この大変な時期、感じることは人それぞれ。
だからこそ、否定ではなく肯定の視点を持ちたい。

出来事は結局、自分がどう捉えるかによって全く違う意味を持つ。
そんなことを書いてみました。

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都会の空と伸びていく線

「ブルーインパルスを飛ばすことが、なぜ医療従事者へのエールになるの?」

そう問われたとき、僕は何も答えられませんでした。

「医療従事者は室内にいて外で飛ぶブルーインパルスを見れないのではないか」
「飛ばすだけの予算を医療に回す方が良いのではないか」
こう、さらに言葉は続きました。

...きっと正しい意見ではあるのだと思う。

けれど、僕はブルーインパルスを見た時、胸が高まるのを感じた。
広大な青いキャンバスに6つの白い線がどこまでも伸びていく。
それは普段は見上げることの少ない、都会の空の美しさを教えてくれてるみたいに思えた。

ブルーインパルスは直接的な支援ではないかもしれない。
けれど、そこに何を見出すのかは結局自分次第なのだと思う。
誰かのために...とやった行いが必ずしも相手に理解されるわけではない。

人の考えや感じ方を変えることはできない。
出来るのは気づきを与えることだけ。

誰かの行動を批判の姿勢で捉えるのは、もうやめよう。
人の感じ方が違うように、心が動くところも違う。

今回の自粛生活で改めて娯楽の大切さに気づけたとも思う。
人の心を救うのは、必ずしも実利的なものじゃない。

どうしようもなく疲れた時、夕日が綺麗だと思った。
たったそれだけでどこか癒される、そう感じる人だっている。
そんな人を否定したくはない。

個人の裁量

以前、”「音楽の力」は恥ずべき言葉”という記事を読みました。

記事で坂本龍一さんはこんな話をされていました。

"音楽は絶対の癒しの力がある"というようなものではない。
音楽の感動は基本的に個人の誤解。
感動するかしないかは勝手なこと。
音楽にそういう力があるわけではない。
音楽を作る側がそうした力を及ぼしてやろうと思って作るのは言語道断。
自分は好きだからやる。

”感動するかしないかは勝手なこと”
この言葉がどこか新鮮で、だけれど納得感のある一言でした。

誰かのために...そうして行う行為はとても素敵です。
だからこそ、そこに見返りは求めてはいけないのだと思います。
そうした行為を目にする側も自分がそれにどう思うか、それ以上の話はしない。
〇〇には役に立たない、そんな言葉を他人の自分が言っても何にもならない。

自分の心を救えるのはきっと自分だけ。
前向きに人同士が支え合える社会であることを望みます。

ライ

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