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すべては、"出会い直す"ために。

働くこと、自分の私生活、日々感じること。
その中で生まれた気づきや感じ方を僕はnoteに書くようになりました。

初めて書いた大学3年の時から2年半が経ち、「最低月一回」というシンプルなマイルールでどうにか今も書き続けています。

「何か発信をしたい」「アウトプットこそ学び」そうした理由で自分を高めたいと思って書き始めましたが、
続けていくうち”自分を高める”以上に、”自分を見直す”ことが重要ではないかと気づきました。

自分のルール、スタイル、自分だけが持つ習慣を続けていく中に、自分の変化や成長を捉えることができるのではないか。
そんなことを書いてみます。

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なぜ行動量が求められるのか

僕も社会人になり、もうすぐ1年が経とうとしています。
出来るようになったこともあれば、ミスをしたり苦しい思いをすることもありました。

そんな日々の中で最近、同期が大きな成果をあげました。
その同期も当然、上司からも大きな売り上げ目標を課されたり、行動1つ1つの指摘に、もがき苦しんでいました。
けれど彼はその環境に文句ではなく、行動量で応えていき、その結果1つ大きな成果にたどり着きました。

彼の尊敬すべき点はまさに、その壁を1つひとつ超えていく行動量にあり、
成果以上に彼の普段の努力を彼の上司や周りの人間は評価するようになりました。

僕も仕事の中で、自身のボスには「まずは行動量」といった一見泥臭いアドバイスをよくされます。
正直な話、行動量の前に目指すべきポイントや具体的なアドバイスなどを伝えて欲しいと思うこともありましたが、
今では少し、その”行動量”の意味するところがわかる気がします。


エジソンも実は似たような言葉を残していました。

私は世の中が必要としているものを常に探し求めている。それが分かればあとは一心不乱に発明するだけだ。
首から下で稼げるのは一日数ドルだが、首から上を働かせれば無限の富を生み出せる。

エジソンは1日18時間以上働いていたエピソードや「天才とは1%のひらめきと99%の汗である」といった格言も残っています。
しかし、エジソンが意外にも重要視していたのはこの”1%のひらめき”の部分で、思考なき努力に意味がないことも理解していました。

そしてこのひらめきも、ただ机に座って頭を巡らせるだけでは答えは出ない。
現場に出て、実際に試し、1つひとつの可能性を検証していく中で、まだたどり着いていなかった答えに出会っていったのです。

エジソンは小学校も通っておらず、無教育だからこそ、科学雑誌などを読み漁りその分野の知識を入れた。
自身の関心を最大限に引き出したことで次の発想へつなげていきました。


話を現代に戻すと、努力や行動量は前提として必要。
その中で何がダメで次にどうすべきかと言うことを考えて挑戦していく。

たとえ答えを目の前に提示されたとしても、自分自身がその答えを使いこなせるだけの存在にならなければどんなアドバイスも無意味なのです。
たとえ泥臭くとも、まずは行動量から自分自身の知見を積む。

これが世の多くの人々が求める”行動量”への、ひとつのアンサーではないかと考えます。

記録と記憶の出会い直し。

仕事での話が続きますが、
ありがたいことに最近は学生さんの面談を担当したり入社後のギャップを話す機会も増えてきました。

その中で日々感じるのは、自分は何故この会社を選んだのか、という問い。

もちろん会社の考え方、社風、仕事内容など様々な要素を掛け合わせて今の会社を選びましたが、
そうして条件を羅列する以上にもっと明確にコレだ!という直感めいた感覚があったことを覚えています。

そして、この直感が1年経ってだんだん言語化出来なくなってきているようにも感じるのです。

先日も学生さんに入社理由を問われましたが、
この直感的感覚をうまく表現出来ずに自分の中では満足のいく話が出来ませんでした。

その理由もいくつかありますが、最も大きなものは日常の環境が変わったということ。

ある意味、自由に好きなことだけ出来て興味関心に突き進んでいた学生時代と、
日々の目標や業務から成果を求められるようになった社会人とで、
プラスにもマイナスにも変化があり、自分の感じ方や考え方そのものが環境に呼応して変化してきているのを感じます。


そして、"直感"の言語化はこれまでの自分にも、これからの自分にも非常に大きな意味を持つのです。

かつての自分は何を求めて今この道を選んだのか。
当時の感覚が、いつか道に迷った時の自分の指標になるのだから。


以前、幼少期に住んでいた地を久しぶりに訪ねた際、
「ここはこんなに小さかっただろうか?」と当時と現在で見える感覚の違いを実感しました。

感じ方というのは環境や年齢、その他の要素と繋がって日々変化していくもの。
だからこそ、その時、その瞬間感じた直感を言語化して残す必要がある。

感情という点の記録を繋げて振り返った時、その変化の大きさや今と違う感じ方やあり方に出会い直すことになるのです。

人の感情や感覚というのは目に見えないけれど、その情報を残す手段はいくらでもあるのです。

こうしてnoteのように感情を言葉にし、文章というカタチにする事。
カメラを構え、そのフレームに映る瞬間を画として切り取り残すもの。

言葉と写真は"時間の経過"という目に見えない変化を感じさせることの出来る、人間が生み出すことのできた数少ない発明なのではないでしょうか。

僕自身、言葉を紡ぐこと、写真で風景を切り取ることに魅力を感じるのはこうした発見、出会い直せる感覚があるからかもしれない。

だからこそ、今この瞬間の感情を残そう。
続けていくこと、その先に見える景色があるから。
すべては、出会い直すために。

ライ

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