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 現代川柳と400字雑文 その98

 料理の工程に、肉を叩いて薄く引き伸ばすというものがある。その日Iさんが訪れた居酒屋の厨房から聞こてきたのもおそらくその音だった。座っていた席からその様子は見えないが、どん、どん、と重い打撃音が10分以上続いていた。ひとつひとつ音の直後、なにかが小さく振動する音も聞こえる。なにかの肉を叩いて引き伸ばして成形し、フライかなにかにするのだろう。専用の器具があるのも知っていたが、おそらくそれとはちがう。ビンのようなもので叩いているのではないか………と、ふとIさんはあることに気がついた。その音が、ちょうどそのころIさんが住んでいた集合住宅のすぐ上階の部屋からと聞こえてくる音にそっくりだったのだ。といっても、上階の音は肉を叩いているのではなく、おそらくただの足音。毎日ではないが、たまに朝から晩までずっとその音がする日がある。近隣トラブルに発展して揉めるのもやっかいなのでまだ苦情は入れていないが、耳ざわりで仕方がない。厨房から聞こえてくる音は、その上階の足音によく似ていた。どん、どん、どん。うるさいなあ。思わずIさんは居酒屋の天井を見上げた。しかしその居酒屋は3階建ての建物の3階に入っていて、それより上階は無かったという。

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