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【童話訳】 少女とマッチの火 (1846)

19世紀デンマークの巨匠アンデルセンによる、邦題『マッチ売りの少女』の原作。改行済み重訳。


ヘレン・ストラットンによる挿絵 (1899) 以下同


 ひどく寒くて雪の降る大晦日です。冷たい夜の街角を、フードもかぶらず裸足の少女が一人、とぼとぼ歩いています。

 両足はしもやけとあかぎれまみれです。うちを出たとき靴は履いていました。でもお母さんの靴だったので大きすぎて、昼間に道を渡ろうとして馬車に追い立てられたとき両方とも脱げてしまったのです。たまたまそこにいた少年が右足の方を拾って、

「こりゃめっけもん!」

と持っていってしまいました。左足の方は、どれだけ探しても見つかりませんでした。

 ぼろぼろの前掛けエプロンの中には、マッチの箱がいくつか入っています。そのうち一箱を手に、少女は売り歩いているのです。でも、一日じゅう歩き回っても一箱も売れてはいませんでした。

 寒さと空腹に震えながら、少女は歩いています。雪が次々きれいな髪に落ちてきます。今朝がんばって結わえた髪は、とっくにほどけていました。

「おおみそかだもんね……」

 髪のことは気にせず、少女は考えていました。あたりの窓は光に満ちて、香ばしいガチョウのにおいが漂っていたのです。

 二軒のお宅に挟まれた隙間に腰を下ろしました。かじかんだ両足を折って、おしりが地面につかないよう正座します。でも、どんどん、どんどん寒くなってきます。

 うちには帰れません。一円も稼げなかったのでお父さんに叩かれるのです。あちこち隙間風の吹くあばら家ですから、寒いことも変わりません。

 両手が冷たくて、もうちぎれてしまいそうです。売物のマッチに火を点ければ、まだ暖かくなるでしょう。少女は一本だけマッチを取り出して、おそるおそる壁に擦ってみました。

シュッ!

 火花が散ったら、途端に明るくなりました。蝋燭のように暖かくて、すぐさま両手で包んで大事にします。

 なにやらおかしな火です。まるで豪華なストーブに当たっているような気分です。確かに大きな鉄製のストーブが、火に照らされて光る真鍮しんちゅうのふちが、目の前に見えます。

 なんて大きな火でしょう。なんて暖かく心地よい火でしょう。両足も伸ばして、少女は束の間くつろぎました。

 やがて火が消えました。ストーブも消えて、マッチの燃えかすだけが残りました。少女はもう一度、一本取り出しては壁に擦りました。

シュッ!

 たちまち明るい火が灯ります。明かりは目の前の壁に当たって、薄いヴェールのようにそれを透かしてみせました。室内がよく見えます。テーブルにおいしそうな晩ご飯があって、ローストされたガチョウがまるまる一羽ほかほか湯気を立てています。焼きリンゴにプルーンつきです。

「グワッワッ!」

 いきなりお皿のガチョウが飛びあがり、床へと降りました。そのまま歩いてきます。ナイフとフォークつきで、よちよち、よちよち、────

 そこで火が消えました。目の前には分厚く冷たい壁しかありません。すぐにまた一本マッチを壁に擦りました。

シュッ!

 まばたきしたら、見事なクリスマスツリーが現れました。大きくて美しく、この前お金持ちの家の窓に見かけたものよりずっと素敵です。百千ものキャンドルがあちこちにきらきら灯っています。色とりどりのデコレーションが、まばゆいほどに輝いています。

 少女は両手を伸ばしてみました。すると火が消えました。しかし、百千もの明かりは消えません。夜空に星とまたたいています。そのうちひとつが長い尾を引いて落ちました。

「だれか亡くなったんだわ」

 少女は思いました。おばあちゃんが教えてくれたことです。

「星が流れるときはね、だれかの魂が、天国に運ばれているんだよ」

 少女はおばあちゃんが大好きでした。いつも優しくて温かい人でした。今はもう亡くなっていました。

 少女はもう一本、マッチを壁に擦りました。

シュッ!

 光がまぶしく広がります。そのただなかに、おばあちゃんが、ほほえんでいます。

「おばあちゃん!」

 少女は叫びました。

「おねがい、置いてかないで。このマッチの火が消えると、おばあちゃんもいっしょに消えちゃうんでしょ。ストーブみたいに、ガチョウみたいに、ツリーみたいに。わかってるの。おねがい!」

 そして少女は、おばあちゃんが消えてしまわないように、箱の中のマッチをすべて握りしめて、壁に擦りました。

シュッ──!

 マッチの火は太陽より明るく輝いています。おばあちゃんは、ますますおばあちゃんでした。

 少女は大好きなおばあちゃんの腕に抱かれて、高く高く夜空へ昇ってゆきました。寒くもお腹が減ることもない、楽しく幸せな天国へと、二人いっしょに、昇ってゆきました。 

 二軒のお宅に挟まれた隙間、その一方の壁に、少女がもたれていました。まっかな頬で、にっこりと、たくさんの燃え尽きたマッチを握りしめ、死んでいました。初日の出が、その小さな姿を照らしています。

「暖まりたかったんだろうね……」

 集まった人びとがささやいています。でも、その中のだれも、最期に少女が見たものを知りませんでした。どれほど少女が幸せだったのかも、知りませんでした。



ハンス・クリスチャン・アンデルセン (撮影1869)






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