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【読書】具体と抽象

学校が休みで暇で仕方ない娘にアプリのゲームのため携帯を取り上げられ、強制的にデジタルデトックスのなったので、久しぶりにこの本を引っ張り出して読んでみました。

結構前に一度読んでいるはずなのですが、もう一度改めて読んでみたら全く違う気づきがありました。


私自身はけっこう抽象的な話が好きで、わりと理解はしている「つもり」ではあったけど、そこは思考力が足りないのか

「○○を✖️✖️やっといて」

と言われてその仕事を抽象度をあげて理解できず、ほんとーにその通りのことができなかったりだとか。

あとは私も自分で仕事をやっているので、仕事に対するミッション的なものは抽象度をあげて考えなくてはならず、しかしそれを「じゃあ明日からどうする?」という具体的な行動に落とし込まなきゃいけないんですが、それがとっても苦手だよなぁといつも感じてます。

そして視座が違うもの同士の不毛な議論はあちこちで目にする気がします。


そして例えば、いちユーザーとか市民とかの要望、声は超目の前のことの具体的な解決策を要求しているのですが

国の政策とか、ぱっと見「そんなことやってないでさあ」て思うようなことも、もしかしたら私たちには見えないずっと違う高い目線でやってる結果なのかなと思うと、ちょっと見方は変わりますよね。
(ほんとのところは知らんけど)

そして途中で気がついたんですが、これは前田さんの「メモの魔力」とセット読みするのが最強説・・・!

自分の気づきを一旦抽象化して具体に落とし込むのが前田さんのメモの取り方です。もう一度メモの魔力やってみようかな、とも思いました。(質問に全部答えられています)


そしてですね、今回結構大きな気づきとして得たものがあります。

私は職業として人に英語を教えたりしているんですけれども、それと同時にずっと英語を勉強しているいち学習者でもあります。

大人になってから本格的に勉強を始めたので結構大変な思いをしたのですが、そのせいもあってか「英語はなんだか特別なもの」とどこかで思ってしまっていた節がありました。

そして、それと同時に。「文章を上手に書けるようになりたいなぁ」ともずっと思ってきました。自分の頭の中に浮かんだことを上手に言語化して素敵な文章にすることができたらどれだけ良いだろう、と。

そして今回、この「具体と抽象」の本を読んでみてふと気がついたのは、

英語=日本語じゃない?

ということなんです。

なぜか全く別のものと思ってしまってたのですが、どちらも抽象度をあげていくと「言語」なんですよね。まあ考えてみれば至極当たり前の話です。もちろん、頭ではどちらも言語だということくらいわかっていましたよ。

両方言語なんだけど、字体も違うし文法も発音も全然違うじゃないですか。英語と日本語は、言語学的にみてももっとも遠い関係にある言語同士なんです。そして、私としては英語に入り込み過ぎたということもあり、何か特別なものだと思ってしまっていたんですね。

でも、例えば英語で文章が読めないという人にはたくさんの英文に触れて、新しい表現に触れましょうね、というアドバイスをします。

しかし日本語で「なんかボキャブラリーが足りないなぁ。自分から出てくる語彙のバリエーションが乏しいな。」と思ったら、同じように沢山の文を読んで表現に触れるということをすると思うんですよね。

英語のことに関しては仕事として人にそうアドバイスしていて、日本語については自分で自分にそう言っていて「あれ、なんだ同じことじゃん」とふと気がつきました。

私の考え方の癖として、物事を分けて考えなきゃいけないと思ってしまう節があるということが、今回この本を読んだことで浮き彫りになりました。英語と日本語に限らず。
それは目の前にある「具体」しか見れていないということで、両方を一旦抽象化して、その共通項を見つけられていないということです。

そう考えると日本語にも英語にもフランス語にも、「言語」に興味を持つのは自分にとって至極当たり前に思えます。(学生時代はフランス語専攻)

目の前のことだけではなく、視点を高くしてそこから景色を見ること。そのトレーニングはこれからも続けていきたいと思います。

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