「蓮生宛百首」表裏番い版

2435.「蓮生宛百首」まとめ(表裏番い版)
しこしこ大分時間をかけてを詰めたのですが結論↓・・当たらずと言えども遠からず・・

「蓮生宛百首」表裏番い版として総括します。繰り返しますが、一つの作品として、百首全体を通して読むことがポイントです。百首一覧して整理して置きます。なお、◯)推定番号、 #◯は百人一首の歌番号。

【歴史認識】
1)#1:秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露に濡れつつ ・・・ 天智天皇
100)#94:み吉野の 山の秋風 さ夜更けて ふるさと寒く 衣打つなり ・・・・・・・・ 参議雅経
2)#2:春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山 ・・・・・・・持統天皇
99) #98 :風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける ・・・・・ 従二位家隆

以上2組4首で、天皇藤原体制の確立と崩壊、京都は政治から文化(和歌)の時代へ

【人生論、価値論】
3)#3:足引きの 山鳥の尾の しだり尾の 長長し夜を ひとりかも寝む ・・・・柿本人麻呂
98) #91 :きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む ・・・・・後京極摂政前太政大臣(良経)
以上、男の旅路の一人寝、人生の孤独の象徴
4)#4:田子の浦に 打ち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ ・・山部赤人
97) #93 :世の中は 常にもがもな 渚こぐ あまの小舟の 綱手かなしも ・・・・・・・ 鎌倉右大臣(実朝)
以上、崇高自然と身近な暮らしの人々の大切さ得難さ
5)#5:奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき ・・・・・・ 猿丸大夫
96) #83 :世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる ・・・・・・・・皇太后宮大夫俊成
真理(和歌)の道の追求とその困難さ
6)#6:かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きをみれば 夜ぞ更けにける ・・ 中納言家持
95) #89 :玉の緒よ 絶えなば絶えね 長らへば 忍ぶることの 弱りもぞする ・・・・・ 式子内親王
宇宙夜空の大きさ美しさと愛の無限の深さ
7)#7:天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも ・・・・ 安倍仲麿
94) #86 :嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな ・・・・・・・・ 西行法師
望郷と涙、月(自然)のせいではない人自らの思いのいとしさ
8)#8:わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり ・・・ 喜撰法師
93) #84 :長らへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき ・・・・ 藤原清輔
人生の憂鬱、しかし長生きも悪くはない
9)#9:花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに 小野小町
92) #96 :花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり ・・・・・・ 入道前太政大臣(公経)
女の美貌も男の権勢も時には勝てず所詮虚しいもの
10)#10:これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関 ・・・ 蝉丸
91) #95 :おほけなく うき世の民に おほふかな わが立つ杣に 墨染の袖 ・・・・・・ 前大僧正慈円&nbsp
人生は旅、宗教で人を救うのも一つ
11)#12:天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ ・・・・ 僧正遍照
90) #81 :ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる ・・・・・・ 後徳大寺左大臣(実定)
瞬間美・芸術を追う道もある
以上、まあ定家(京貴族)としては、政治でもなく宗教でもなく、今後は芸術・和歌を追うとの表明、でもありましょう。

【隠岐配流の後鳥羽院を偲ぶ】
12) #11 :わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟 ・・・ 参議篁
89) #76 :わたの原 漕ぎ出でて見れば ひさかたの 雲居にまがふ 沖つ白波 ・・・・・ 法性寺入道前関白太政大臣(忠通)
以上、堂々と配流につかれた、有罪無罪は立場による、そろそろ赦されては、と鎌倉に還御要請
13) #16 :立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む ・・・ 中納言行平
88) #75 :契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり ・・・・・・ 藤原基俊
以上、後鳥羽院も還御を期待され京も望んでいる
14) #17 :千早ぶる 神代も聞かず 竜田川 唐紅に 水くくるとは ・・・・・・・・ 在原業平
87) #92 :わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね かわく間もなし ・・・・・ 二条院讃岐
こんな長期の遠流は神代も聞かずご本人も血の涙でお過ごしだ
15) #18 :住の江の 岸による波 夜さへや 夢の通ひ路 人目避(よ)くらむ ・・・・ 藤原敏行
86) #67 :春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ ・・・・・・周防内侍
武家の世論を気にされているのか、京貴族の言いなりになると結果とんでもないことになると鎌倉は怖れているのか
16) #13 :筑波嶺の 峰より落つる 男女(みなの)川 恋ぞ積もりて 淵となりぬる ・・ 陽成院
85) #77 :瀬を早み 岩にせかるる 滝川の 割れても末に 逢はむとぞ思ふ ・・・・・・ 崇徳院
今生か来世かはともかく、後鳥羽院とはきっと再会できる、信じている。
17)#14:陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに ・・・・ 河原左大臣(源融)
84) #90 :見せばやな 雄島の海人の 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変らず ・・・・・ 殷富門院大輔
関東鎌倉故に京(天皇藤原体制)は揺らぎ涙にくれている、どうか同情して欲しい

【季節と恋の日々】
18) #15 :君がため 春の野に出でて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ ・・・・ 光孝天皇
83) 秀 : 春日野の 下萌えわたる 草の上に つれなくみゆる 春の淡雪 ・・・・百人秀歌73 源 国信
京は今や恋と季節を愛でる日々。春日野藤原に対して鎌倉の雪は連れないとも読めましょう。
19) #19 :難波潟 短き芦の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや ・・・・ 伊勢
82) #50 :君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな ・・・・・・ 藤原義孝
20) #20 :侘びぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ ・・・元良親王
81) #88 :難波江の 芦のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき ・・・・皇嘉門院別当
以上2組4首は男女の愛の歌ではありますが、同時に、(後鳥羽に)短い間でも逢わずにいられない(京貴族)、いやいや長く安定した関係のためにそれでいい(鎌倉)、身を尽くして逢いたい(京貴族)というが一時の浮気心ではないか(鎌倉)、とも読めましょう。
21) #21 :今来むと 言ひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな ・・・・素性法師
80) #59 :安らはで 寝なましものを さ夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな ・・・ 赤染衛門
22) #53 :嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る ・・ 右大将道綱母
79) #85 :夜もすがら 物思ふころは 明けやらで 閨のひまさへ つれなかりけり ・・・ 俊恵法師
以上2組4首も、もちろん女の一人寝の歌ですが、後鳥羽シフトで読めば、京貴族はもう十数年も後鳥羽が赦されて還御することを待っているが、未だに実現されない、となりましょう。
23) #30 :有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし ・・・・・ 壬生忠岑
78) #80 :長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は 物をこそ思へ ・・・・・・・・ 待賢門院堀河
まあ、この番い一組は、純粋に後朝の歌、と読むのが妥当でしょう。

漸く秋の紅葉歌から季節歌が始まったのかと思ったのですが・・・
24) #24 :このたびは 幣(ぬさ)もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに ・ ・ 菅家(道真)
77) #60 :大江山 生野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立 ・・・・・・・・・ 小式部内侍
25) #26 :小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの 御幸(みゆき)待たなむ ・・貞信公(忠平)
76) #58 :有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする ・・・・・・・・ 大弐三位
以上2組4首は、山と旅の歌、で、旅の無事と自然有情を歌うものでした。

【秋ー冬ー春ー夏、の順で季節歌】
26) #32 :山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ 紅葉なりけり ・・・・ 春道列樹
75) #69 :嵐吹く み室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり ・・・・・・・・・ 能因法師
27) #47 :八重葎(むぐら)しげれる宿の 寂しきに 人こそ見えね 秋は来にけり ・・ 恵慶法師
74) #71 :夕されば 門田の稲葉 おとづれて 芦のまろやに 秋風ぞ吹く ・・・・・・・ 大納言経信
28) #23 :月見れば 千々にものこそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど ・・ 大江千里
73) #70 :さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば いづこも同じ 秋の夕暮れ ・・・・ 良暹法師
29) #29 :心あてに 折らばや折らむ 初霜の 置き惑はせる 白菊の花 ・・・・・・ 凡河内躬恒
72) #79 :秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ ・・・・・ 左京大夫顕輔
30) #37 :白露に 風の吹きしく 秋の野は 貫き止めぬ 玉ぞ散りける ・・・・・・ 文屋朝康
71) #87 :村雨の 露もまだひぬ 真木の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ ・・・・・・・・寂蓮法師
31) #22 :27吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ ・・・ 文屋康秀
70) #74 :*憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ 激しかれとは 祈らぬものを ・・・・・ 源俊頼
以上、6組12首、が、純粋な秋歌、でしょう。
32)#28:山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も 枯れぬと思へば ・・・・・・源宗于
69) #52 :明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほうらめしき 朝ぼらけかな ・・ 藤原道信
33)#31:朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪 ・・・・・・・坂上是則
68) #64 :朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木 ・・・・・ 権中納言定頼
以上、2組4首が冬歌。
34) #35 :人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける ・・・・・・・紀貫之
67)#61:いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな ・・・・・・・ 伊勢大輔
35) #33 :28ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ ・・・・紀友則
66)#73:72高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山の霞 立たずもあらなむ ・・・・・・ 権中納言匡房
以上、2組4首が、季節としての春歌。
36) #36 :夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ ・・・・・・ 清原深養父
65)#57:巡りあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし 夜半の月かな ・・・・・ 紫式部
以上、1組2首が、季節としての夏歌。

【定家流賀歌】
37)#34:誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに ・・・・・・・ 藤原興風
64)#66:もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし ・・・・・・・ 前大僧正行尊
38) #45 :あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな ・・・謙徳公(伊尹)
63)#55:滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ ・・・・・ 大納言公任
年老いて友がないと思うなら自然を友にせよ、権力者で同情を得たいなら善政を施し名を後世に残すように努力せよ。

【恋歌22首のシリーズ】恋の進捗にほぼ順じます。折り返し百首50番いの最後に置くのはやはり定家は恋愛至上主義者なのでしょう。ここは普通の順に戻して
39)#46:47由良の門(と)を 渡る舟人 舵を絶え 行方も知らぬ 恋の道かな ・・・ 曾禰好忠
40) #27 :36みかの原 湧きて流るる 泉川 いつ見きとてか 恋しかるらむ ・・・・ 中納言兼輔
41)#39:37浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど 余りてなどか 人の恋しき ・・・・・・・ 参議等
42) #40 :41しのぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで ・・・ 平兼盛
43)#41:42恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか ・・ 壬生忠見
以上、初初しい恋に、しのぶ恋。

44)#25:35名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな ・・・三条右大臣(定方)
57)#62:60夜をこめて 鳥の空音(そらね)は 謀るとも よに逢坂の 関は許さじ ・・・ 清少納言 

45)#38:39忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな ・・・・右近
56)#72:74音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の 濡れもこそすれ ・・・・・ 紀伊
以上、フラレル恋や遊技性の恋歌
46)#43:40逢ひ見ての 後の心に 比ぶれば 昔は物を 思はざりけり ・・・・・・・・権中納言敦忠
47)#44:44逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし ・・中納言朝忠
この辺がクライマックス、で
48)#42:45契りきな かたみに袖を 絞りつつ 末の松山 波越さじとは・・・・・・ 清原元輔
49) #49 :48御垣守 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそ思へ ・・・ 大中臣能宣

50)秀 :53よもすがら 契りしことを 忘れずは 恋ん涙の色ぞゆかしき ・・・・百人秀歌53 一条院皇后宮
51)#68:54心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな ・・・三条院

52)#78:81淡路島 通ふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守 ・・・・・ 源兼昌
53)#48:46風を傷み 岩打つ波の 己のみ 砕けて物を 思ふころかな ・・・・・ 源重之

54)#51:50かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを ・・藤原実方
55)#63:68今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな ・・左京大夫道雅
この辺からは、徐徐に下り遠くなり
再56)#62:60夜をこめて 鳥の空音(そらね)は 謀るとも よに逢坂の 関は許さじ ・・清少納言
再57)#72:74音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の 濡れもこそすれ ・・・紀伊

58)#54:55忘れじの 行く末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな ・・・・儀同三司母(貴子)
59) #56 :61あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな ・和泉式部

60)#65:75恨み侘び 干さぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ ・・相模
61)#82:83思ひ侘び さても命は あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり ・・・・道因法師

62)秀 :90紀の国の 由良の岬に 拾ふてふ たまさかにだに 逢ひみてしがな ・百人秀歌90 権中納言長方

前記事(略)のように(61)道因で終わっていたとするならか何とも悲しいお話ですが、ここからは上記裏(後半)部分に戻り読むこともできるわけで、(62)に戻るなら再び新たな恋の冒険が始まるのかもしれません。どのようにもお気に召すままに読まれよ、という処でしょう。

以上、定家の意図は自明、でしょう。他の誰でもない鎌倉の在京窓口(代理人)の蓮生に宛てた百首だったのです。定家原作(原編集)とは、番いを数組間違えている可能性はあり、話の展開がやや異なることはあっても大筋、こんな所でしょう。ここに「蓮生宛百首」の並びを復元した、と言っていいと思います。まさに定家自ら明月記に唯一「天智天皇より以来家隆雅経に及ぶ」と明記し書き残した自信作だったのです。

 
【*代替】  山桜咲き初めしよりひさかたの雲居にみゆる滝の白糸 ・・・・百人秀歌76 源俊頼

【百人一首 から除外の3人3首】
#97 来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ ・・・・権中納言定家
#99 人も惜し 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は ・・・・・後鳥羽院
#100 ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほ余りある 昔なりけり ・・・・順徳院

(つづく)

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