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「やりたいこと」は既に自分の中にある 【“深く考える人”が幸せになれる 仕事の辞め方ガイド 1-3】


「仕事を辞めたい」と思うと、こんな否定が
頭の中で聞こえるかもしれません。

「やりたいこともないのに辞めるなんて、ただの逃げだよ。」

自分の中に密かに
「仕事を辞めて、これやりたいなあ」
というようなことが浮かんでいたとしても、
上記のようなことを言ってくる人の
「やりたいこと」には当てはまらない感じがして、なぜか自信がなくなってしまいませんか。


この記事を読むことで、
そんな軽い言葉にたじろがない、
本当の「自分がやりたいこと」を見つけるヒントになります。
また、そのやりたいことを世の中に役立てるために必要な観点についてもお話しします。


この記事はこちらのマガジンの連載の一部ですが、単体でもお読みいただける内容となっています。



本当の「やりたいこと」は自分の中のどこにある?


「やりたいことなんてない」と、言わされているのかも


冒頭の「やりたいこともないのに辞めるなんて、ただの逃げだよ」という言葉ですが、
そういう周りの人たちが言ってくる「やりたいこと」って一体何なんでしょう。

新しい会社に行くこと?新しいビジネスを起こすこと?
独立すること?家業を継ぐこと?学生になること?

逆に言うと、それぐらいしかないんじゃないでしょうか。

その枠に自分を押し込める必要って、本当にあるんでしょうか。


私たちは幸せになる手段を選べる


私が1社目を退職した時、本当にやりたかったことは
「今までと違った暮らし方に触れてみたい」
2社目を辞めたときは
「自分を休ませ、自分らしい状態で作品を生み出したい」でした。

どちらも、一般的な「退職の理由」とは
イメージがかけ離れていると思います。

でも、それで良いんです。

なぜなら転職や起業、留学であったり
上記の私が退職した理由も全て、
自分の人生を良いものにする手段
の一つだからです。

私たちは、決して自分以外の誰かを
満足させるような人生を歩むためではなく、
自分の思う幸せ(あるいは自分にとって本質的なもの)を手にするために自分の人生を生きていいはずです。

なのでその幸せになるための「手段」は
世間の常識に合わせるのではなく、
自分の自由な発想で選び取っていい
はずですよね。

「いや、具体的にお金を稼げる何かでないとダメでしょ!」
「”何者か”になることこそが、自分の目指すことだ!」
と思う場合は、この先の話はあまり合わないかもしれません。

これは後になってわかることだと思うので、
今はイメージだけで良いのですが、
本当に自分のやりたいことをやっていくと
いずれいつの間にか転職や独立、起業
のような形になっていくのかもしれません。

でもそれはあくまで「結果」です。
今は、堅苦しい目的や結果からは
一旦離れた方が良い
です。

そうやって一旦遠回りして初めて、
自分が本当に進むべき方向が見えてくるものです。

方向さえ分かれば、後の具体的なことは、
自然と見つかるようになります。


堅苦しさを手放すと「やりたいこと」が見えてくる


例えば、私の話です。

転職のためにたくさん勉強していましたが、
ふと思うところあってそれをやめてみたら、
途端に「絵を描きたい」とのめり込み、
いつの間にか絵を商売にしていました。

自分の中の堅苦しいものを外していった結果、
自分の純粋な「好き」を見つけ、自然に行動が起き、
それが「商売にする」という
具体的な行動に結びついたんですよね。

「やりたいこと」なんて本来、
そんなに立派なものや他人に説明できるものじゃなくて大丈夫
です。

というかむしろ、
他人に説明できないような複雑なことなのかもしれません。

それが「商売」などに具体化した時、
初めて誰かの目に見えるようになるだけです。
しかしそれは、全てではないと思います。

やりたいことをやる時、
はじめは「こんなことやって何になるのか」
「お金になるのか」「評価につながるのか」
などと考える必要は、全くありません。

それよりも、
自分が心から納得しているか。
心地良さを感じているか。

自分のエネルギーをこの世界にちゃんと出せているか。
の方がはるかに重要です。

まずはその感覚を捉えられるようになることを、優先してみてください。


そもそも「仕事」って何だろう


「仕事をしないと生きていけないじゃないか。世捨て人になるのか?」

冒頭の人格がまだ頭の中に残っていたとしたら、そう言われてしまうかもしれません。

じゃあそもそもの話、そんなにみんなが言う
「仕事」って一体何なんでしょう。

そこをきちんと考えることの方が大事ではないでしょうか?

…なんて偉そうに言えるほど
バリバリと「仕事」をしてきたわけではないのですが、
バリバリな「仕事」ではない方の観点から、
私なりの考えをお話ししたいと思います。

これから言うことは、
「本当のやりたいこと」をこの世界で実現していくのに、大事な見方となると思います。


「仕事」というものに対して身構えなくていい理由


私は、「noteを書くのも私の仕事」と思っています。

別に私はnoteで生計を
立てているわけではありません。
なのに「仕事」だなんて、
どういうこと?と思われてしまいますよね。

「仕事」と聞くと、
ある職業のことであったり、
生計を立てるために従事すること、
というイメージがあるかもしれません。

また、「お仕事」という言葉からは
目上の人や世間様に対して
自分を抑え立場をわきまえ、奉仕する
そんなイメージも湧いてきます。

でも、本当はそんな身構えてしまうような
捉え方をする必要はないと思っています。
ここでは一旦、仕事に対する
「お金のために世間に貢献する」
みたいなイメージを取り払ってみてください。

「仕事」の語源は、
「する(仕)」「こと(事)」
です。
初めはただの「Do」だったんです。

ただの「Do」。「する」。
人間はなぜ「する」かというと、
全ての本質は「生きるため」
です。

人は生き物として生きていくために
息を吸い、食べ物を食べ、眠ります。
また人間社会の中で生きていくために
時に話して協力し合い、うまく交渉をし、
無駄な衝突を避けるために他人に敬意も示します。
そして現代は、お金を稼ぐことも
生きるためにすることの一つとなりました。

だけどそれだけではありません。

歌ったり、踊ったり、花を育てたり、
絵を描いたり、文章を書いたり…

現在は”趣味”と言われるような、”習慣”とも言われるような、

自分の心が喜び、
またそのことで人の心も喜ぶようなこと。
それも、「生きるためにする」ことです。

だって、そういう自分が好きな事をしている時、
心から「生きている」と感じませんか

今はまだ飛躍的に感じるかもしれませんが、
生きるためにすることが「仕事」なら、

自分の心が喜ぶ感覚や魂が踊る感覚、
ただ「生きているな」と感じられることも、
本質的には「仕事」と言える
のではないでしょうか。


「仕事」とは自分のエネルギーの放出である


よく「赤ちゃんは泣くのが仕事」と言いますよね。

当然、泣いてもお金がもらえるわけではありません。

でも、泣けば必要なお世話をしてもらえ
泣くことで運動になりストレスを発散できます。

学術的な観点からは少し違うかもしれないので、
ここではただ比喩的な意味のつながりを
感じ取っていただければ十分なのですが、
私は、赤ちゃんは生きるために泣くのだと思っています。

赤ちゃんは「泣く」という行為に
自分の持っているエネルギーを
これでもかと乗せて、外へ放出
します。

(だから泣くだけでお腹が空いたり、疲れて眠ってしまいますよね)

何でそんなに犠牲を払ってでも
エネルギーを使い果たすかというと、
それが彼ら彼女らにとって
生きるために必要な事だからだと思います。

しかもそれを、
誰に言われるわけでもなくやっています。
赤ちゃんにとって「泣く」という行為は
生まれながらにして身体に備え付けられたものなんです。

大人になった私たちは、そんなに簡単に
快不快を感情で表すことは
しなくなりました。

でも誰に命令されるわけでもなく、
自分のエネルギーを注ぎ込むほど
夢中になってしまうようなこと
があるとすれば、
それは赤ちゃんが泣くのと同じことであり、
天命の「仕事」と言っても良いのではないでしょうか。

「好きを仕事にする」
という言葉がありますが、そもそも
心からの「好き」は、既に自分の”仕事”
になっているんだと、私は思います。

そこに「稼げるか」「どこかに所属できるか」「何者かになれるか」ということは、関係ないんだと思います。


「仕事」とは自分と世界との関わりのことである


「憲法で『勤労の義務』が定められているじゃないか。それを破るのか?」

また人格さんが出てきましたが、
そんな風に言われてしまうかもしれません。

ここでちょっとお堅いですが、
日本国憲法の内容をおさらいしますね。

国民の三大義務の一つ「勤労の義務」は、
義務でありながら権利でもあります。

第二十七条 1項 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

日本国憲法

別に働いていないからといって罰を受けることはありません。
むしろ強制的な労働は禁じられています。

そういうことからも、あくまで
倫理的な意味合いを持った定めなのだと考えられます。*

ではなぜ、勤労をわざわざ
「権利であり義務」として定めているのでしょうか。

あくまで私の解釈ですが、
国民が社会作りに参加することを
禁じるのでなく、奨励したいからであると考えます。

人々の社会参加への方法として
「勤労」という限定的な表現しか
なかったのが残念に思いますが、
昔に定められた憲法であるため、
そこは仕方がないかなと思います。


これまで私は、仕事を
「(自分らしく)生きるためにただ『する』こと」
「自分のエネルギーを放出すること」
であると説明してきました。

そう考えると、この世界に
仕事を全くしていない人は誰一人いません。

人は誰もが生きるために行動し、
エネルギーを放出し、
誰かしらに影響を与えて生きています。
そのことにより、人は誰もが
世界の構成の一員であると言えます。

ここで重要なことは、
自分がどのような形で
世界の構成の一員でありたいか
ということ
だと思います。

自分の「仕事」について考えることは、
自分が世界にどう関わっていくのか
を考える事でもあるのです。

そして話が廻るのですが、
自分が世界にどう関わるか
と考えて行き着く先は、最終的には
「自分らしく生きること」
「自分のエネルギーを心地よく出せること」
になると思います。

もちろんこの「世界」とは、
「海外」「グローバル思考」のことではありません。

自分の家族や友達だってこの世界の一部です。
「どう関わるか」ということには
どの人に、どこまでの範囲関わるか
ということも含まれます。

そのヒントは自分の内側にあります。
抽象的な答えだとしても意義があります。
すぐ出るようなものではないと思います。
やりたいことをやっているうちに、自然と浮き出てくるものです。

このように、仕事とは
「しなくてはならないこと」「義務」
なのではなく、
自分の本当の「やりたいこと」をやるようになった時、
結果としてそれがどのような形で世界に出ているのか、
ということなのではないかと思います。


参考文献 *慶應義塾大学通信教育課程 教員コラム「『勤労の義務』について考える」
https://www.tsushin.keio.ac.jp/column/category/entry/column-064661.html


自分の中にある「やりたい」を見つける&扱いのコツ


ここまでで、
・仕事とは自分が「生きているな」と思えること
・自分が好きだったり夢中になれることはすでに仕事である
・仕事とは「やりたいこと」をやった時の世界との関わり方

といったことをお伝えしてきました。

そうは言ってもはじめのうちは、
「やっぱりやりたいことなんてわからない…」
と思うかもしれません。

確かにここまでの説明は、
ただただ本質的な「仕事」の話だったと思います。
まだ混乱している方も、いるのではないかと思います。

というわけで、ここからは自分の「やりたい」を見つけるコツと、その扱い方についてお話ししていきます。


まずは自分を休ませ、小さなことからはじめよう。


ここで、焦らないことが重要です。
そのように混乱している場合は、
まずは休むことから始めるのが重要です。

自分を休ませれば、やがて自分の内外ともに整ってきます。

整えば、自分の中で「したくないこと(不快)」と
「したいこと(快)」の区別が
以前よりはっきりしてきます。

つまり、本来の自分に戻るということです。

そうしながら、自分の中の「やりたい」を扱うコツとしては、

浮かんだことがどんなに小さくても
とにかくやってみる(近づいてみる)のです。

やってみて(近づいてみて)、
はじめてわかることもあります。

「自分は本当にこれがやりたかったんだな」
「意外と、これはやりたくないことだったかも」
「これは違ったけど、新しく見つけたこっちならやりたい」
というように、自分の中でどんどん
明確化・具体化していくことができます。

繰り返し言いますが、はじめは具体的な「仕事」や「活動」と言えるものに結び付けなくて良いんです。

好きなもの、近づきたいものに「触れてみる」、それが第一歩です。


「なったことがない」人に相談しても無意味


その時に、注意したいことがあります。
それは自分が向かおうとしている方向について、
安易に人に話さないことです。

まだ芽が出たばかりの「やりたい」は
自分が思っている以上に、ものすごく繊細なものであることが多いです。

なぜならそれは、
自分の心の奥深くと結びついた複雑なものだからです。

ここで
「やりたい」と思うことが出てきた時に
絶対にしてはいけないことをお話しします。

それは、自分の目指すものに
「なったことがない」人
…例えば親や親戚など身近な人に、相談することです。

人は自分が進んできた道を正しいと思いたい生き物です。
それ以外の道は、応援してくれる可能性もありますが、
あまりその人の価値観から離れたものだと、
お説教や無意味な質問攻めなどで、
遠回しに否定されることがあります。

だけど仮にそういう人に自分の夢を否定されたとしても、
落ち込む必要は全くありません。

なぜならその人は「なったことがない」からです。
興味がなく、「なり方」を知らないので
そもそも知識がありませんし、
「なりたい」と思ったこともないので
共感してもらうこともできません。

そういう人たちに、自分の向かう場所について納得してもらう必要など、どこにもありません。

「こうします」「応援してください」という「宣言」や、本当に気が許せる人への「近況報告」などでなく、「相談」をしたいならば、
「なったことがある」人に聞く以外、ないと思います

極論かもしれませんが、本当にそうなのです。

もちろん、本当に応援してくれる確証のある相手だったり、専門的にコーチングなどをしてもらえる場面でなら、自分の中の整理のために話すことは問題ないと思います。


わかりやすいものの中に探そうとしない


もう一つ念頭に置いておいて欲しいことがあります。

それは「やりたいこと」は本質的には
「職業」や「ビジネス」「学問」
等の中にはない
ということです。

目指すべき到達点は常に
「自分自身になる」「自分自身で在る」
ことだと思います。
そのための最適な方法が
一発で見つかることは、
そうそうないと思います。

なので一度決めたことに執着しすぎず、
「違うな」という考えが湧いたらまた別を探してみるなど、

この先も丁寧に丁寧に、
自分がどの道を進むべきか、
何を選択すべきか、
考え続けることが大切
です。


やりたいことなんて、ないならないでいい。


そして究極を言えば、
「やりたいことなんて、なくても良い」です。

「やりたいこと」が見つからなくて混乱する場合、
「やりたいことを見つけねば」という義務感を
潜在意識の中に持っている可能性があります。

「したい」と「義務」は相反するものなので、
かち合って「したい」が出てこないのかもしれません。
そんな時は、見つけること自体を手放しましょう。

そうすることで、自然な自分に戻れる人もいると思います。



込み入った書き方をしましたが、
このように自分のために生きることを丁寧にやり続ければ、
今の仕事を辞めても
「社会の底辺層の人間」「廃人」
なんてものにになることは、絶対にありません。

今は怖いかもしれませんが、安心して、まずは自分を休ませ、整え、
自分の心に耳を澄ませてみてください。



長くなりましたが、ここまでが「本当のやりたいこと」と
「それを仕事に結びつけるには?」という話でした。

お読みいただき、ありがとうございました。

次回は、一度自分で入ると決めた会社を「やっぱりやめる」ということをしてもいい理由を、お話しします。


マガジンの目次、全体像はこちらです。


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