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前向きな自己嫌悪を志向して

こんにちは。岡崎です。

 なんだか、日が長くなってきて、どんどん暑くなってきて、冬よりもメンタルには良いですね。しかしこの頃、僕はものすごい自己嫌悪に陥ります。特に卒論提出後、ときどきふとそう言う感情が押し寄せてきます。皆さんにも同じような経験はありますでしょうか。

挫折と成長

 人は、思い出すだけで苦しくなるような失敗や、周りに感謝してもしきれないような成功を繰り返して人生を生きています。そういう中で、学校にいても、社会に出ても、反省をしたり、PDCAを回したりして、常に成長し続けなければならないかのような圧力を感じながら生きていきます。

 僕は時々、小学生の頃の自分と大学をもう卒業しようとしている今の自分にどれほどの能力の差があるのかわからなくなります。つまり、自分は全く成長していないように感じて、「振り返りと成長」「失敗を乗り越えどのようにして今の自分が形成されたか」というストーリーがいやに嘘くさく感じてしまう事があるんです。ありますよね、そういう感じで少しささくれた、いじけたもう一人の自分が顔を出すこと。

 なぜ失敗したんだろう、という考え方の本質は、「失敗」という現象の内容を自分の言葉で説明できるのに、なぜあの時には分からなかったのだろう、という後悔と苦々しさですね。

「悔しさ」と自分に向けられた「嫌悪」は薄氷の隔たりでは?

 そしてそれはまさしく、ある特殊な位相の自己嫌悪なのではないでしょうか。そして、本心では何が失敗だったのか、何をどうしたかったのかがいまいち自分自身分かり切っていないのに、周囲に対してそれを分かったように説明している状況を、「自分と向き合っていない」「自己欺瞞」という言葉で日本語を用いて表すのだと思います。

 反対にその内容を、裏表のない自分の言葉にすることができれば、そこで初めて欺瞞の無い自信となり、正しい反省が自分の中に生まれ、その悔いを一生忘れることなく教訓にしていけるようになるのだと思います。

 その上で、失敗に対して臆病になるのは良くないことだとは思っていても、失敗を一度経験するととてつもない底なし沼のような闇を感じるので、人は毎度のように一歩踏み出すのを恐れます。

 成長とは論理的なものではなく内的なものなので、一度一歩踏み出せても新たな挑戦には踏み出せずに一生を終える人もいます。そういう、取り返しのつかない後悔は一生拭いきれません。

 薄っぺらい外面の良い反省と改善の言葉では捉え切れない、深く心に残る傷跡のような自己嫌悪を抱きつつ、それをそこから先の毎日にポジティブに活かしていけるようになれば一番効率が良いのにな、と僕は思いました。

 なぜなら、若いころの自分を思い出して二度とやり直したくないと感じる昔の自己に向けられた嫌悪、または生理的な拒否感(いわゆる黒歴史)というたぐいのものほど強い自分への感情は無いからです。それを、ネガティブなままではなく前向きな推進力に変えていくことはできないのでしょうか。

 まあ、結局、人生は満帆な航海ではなく、泥船に乗って時々は沈み、藻搔いて藻搔いて進む醜い行程ですね。

我がしょうもなき近況

 ちなみに、僕自身のつまらない話を少しさせていただくと、最近の最大の後悔はもちろん大学生活全般です。もっと人と関わっていれば。もっと勉強をしていれば。もっときちんと卒論を書いて、もっときちんと就活をしていれば。そういうことを考えるだけで、吐きそうになります。孤独に、そういう悩みに向き合っています。

 ただ、僕の場合は、まだその振り返りが終わっていないのです。一人も日本人の知り合いがいなくて、ろくに友達もできませんでした。しかもイギリスの大学学部留学生が基本的に取ると言われるファウンデーション(基礎)コースも取らずに、それまで全く勉強したことのない政治学を必死に勉強しましたが、お世辞にもいい成績は取れませんでした。

 3年もかけても、まだまだ悩みが尽きず、解決法も分からないままです。夜には一人で悩んでいます。でも、こういう悩みを後進に経験してもらわないために、こういうnoteや、レンタルサーバーを借りて書いているblogに交換・正規留学生向けの文系海外大学ガイドの記事をいくつか書いてみるのは有益なはずで、絶対にやっておこうと思っています。僕自身の後悔として。

 また、就活が遅れてしまったので、院試の準備をしながら、ゆっくり就活もしていきます。孤独ですがね。長々とくだらない記事でしたが、読んでくださってありがとうございます。まあ、なんだかんだいっても今日生きているということだけでありがたい事ですよ。

それでは、また。

岡崎

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