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「あなたのその心に」


こんばんは。




今日は昨日の宣言通り

高校時代の事と、

自分の代表曲について、

書いていこうと思います。



押さえつけられた中学時代を過ごし、

高校は自由な校風の場所へ、と

心の中で決めていました。


中学の時には既に

好きな事を仕事にしたいという欲は強く、

まず最初に選んだ高校は

地元の調理科のある高校でした。

説明会に参加し

雰囲気も良く、家からも近く、

「ここに通おう」と

すぐに決めました。


塾の先生にも学校にも

その方向で進む事を伝えて

準備をしていたある日、

父に呼ばれて話をしました。


「本当に料理がやりたいのか?」


散々考えた結果だったので、

勿論僕も意見を曲げませんでした。

毎日りんごの皮剥きの練習もしていましたし。

ただ、父の意思も強く、


「高校を出て、それでもやりたかったらにしなさい。

   それと、地元(区内)ではない所にしなさい。」


その言葉を言われて、

それ以上はもう言い返しませんでした。

あの時父が賛成していたら今どうなっていたか

想像も出来ません。


そこからまた新たに進学先を探し、

目に留まったのが

・クーラー完備

・服装髪型自由

それを見て、決めました。

今は移転して別の場所にありますが、

僕が通っていた頃は

オフィスビルが建ち並ぶ都会に

場違いな校舎。

学生服が異常に目立つ場所でした。


推薦入試で難無く決まり、

受験勉強を一切やる事なく

高校進学が決まりました。



そして

入学。


MDウォークマンでブルーハーツを聴きながら

学ランを着てオフィス街を歩く。

自由しかない。

髪型の規定もなければ

服装の規定もない。

携帯電話を持っていようが

コンビニに行こうが

鉄槌を下される事もない。

自由の素晴らしさを噛み締めながら、

高校生活は始まったのです。


色んな髪型や髪色

自分らしい服装

自分の暮らしていた場所以外の人たち


誰一人自分を知る人のいない中で

全てが新鮮で、

何もかもが新しい。


驚いたのは

みんなのコミュニケーション能力の高さ。

前へ前へ出て行く勢いに圧倒され、

毎日本当に楽しかった。


部活の強制参加もなく、

入っている人の方が少なかったです。

でも、入学した時点で既にやりたい事を決め、

それに向かって歩み出している子が多かった。

そこでやはり、

自分のやりたい事をやりたいという欲が

限界まで膨れ上がるのです。


学園祭で友達のバンドを観たりしていましたが、

自分があの場所へ、とは

その頃は思ってはいませんでした。



2年生になり

クラス替え。

担任になった先生が偶々ハーモニカ奏者で、

放課後クラスメイトと数人で

ハーモニカを習い始めました。

このハーモニカ講習がきっかけで、

またギターを始める事になりました。

そして人生を左右する

友人の何気ない一言により、

僕の音楽生活はスタートします。


高校生になって

初めて友人達とカラオケに行くようになり、

人前で歌う事が日常化しました。

ただ、一つ僕には弊害があったのです。

それは、

声が低い

という事。

その頃キーを下げるなんて知識はありませんでしたし、

歌える曲がほとんどありませんでした。

でも、歌う事は楽しかった。


そんなある日、

休み時間友人とトイレで用を足していたその時、


「歌上手いからバンドやれば?」


その一言で、動き出すのです。

自分が歌を歌えているという実感は一切ありませんでした。

それでも物事は動いていくのです。


気が付けば、1学期の終業式の日に

バンドのボーカルとして舞台に立つ事に。

1ヶ月の猛特訓の末、

初ライブの舞台へ。

同級生や先輩が大勢いる中、

初めてのライブ。

あの光景は

忘れられません。

生きている

これしかないと思いました。


ただ、そのバンドは学校内での限定。

ライブの為に生きていた1ヶ月が終わり、

長い夏休みに入ります。


少し弾けるようになったギター。

物書きをしたくて書き留めていた詞。

人の曲が歌えない低い声。

何かを創り出したいという創作欲求。


この全てが重なって、

僕は僕の歌う歌を

作り始めます。


そこから1日5時間の猛特訓。

詞を書いては消し、書いては消し。

授業中も、プリントの裏は

書いた歌詞でびっしりでした。

やっと出来上がった1曲のみで

路上ライブを始めます。


人通りの多い帰宅ラッシュ時間帯、

渾身の1曲を、何度も繰り返し歌いました。

家に帰りまた練習し、

曲を増やして

また路上。

これを2ヶ月間。

誰が聴いてくれる訳でもなく、

立ち止まる人はおろか、こちらを見る人すらいない。

それでも歌いました。

いつか有名になってやる

それだけが原動力でした。


そんな中、

初めてのライブが決まります。


2006年12月26日、大雨。

観客、ゼロ。

1万円のギターで

16歳のあの日

誰もいないライブハウスが

僕の船出です。


誰にも聴かれなかったあのライブ。

スポットライトを浴びながら

薄っすらと見える誰もいない客席。

これが僕のシンガーソングライターとしてのスタートでした。



2007年はとにかくライブを繰り返しました。

月に3本は欠かさず

とにかく経験を積む。

そして曲を沢山作る。

音楽漬けの1年でした。


2008年

高校を卒業し、大学に進学する事となり

その春休みに書いた曲があります。

自分の書きたい歌詞が初めて書けて、

自分の歌いたい歌が初めて作れたその曲が、

僕の代表曲となりました。

初めてライブで歌って以降、

全てのライブで歌っている唯一の曲。


高校生活最後のライブでその曲を初めて歌い、

それをライブハウスのスタッフさんがYouTubeに

載せてくださいました。

その頃はまだスマホもなかったので

YouTubeを見ていた人も少なかったですが、

自分でも何度も見返して

あぁ、頑張ってよかったなぁ、と思えました。



これから音楽を再出発していく中でも、

必ず大事な所で出したい、

そう思える1曲です。

販売を始めるまではYouTubeに載せています。

何年も前に録音したもので、

これから録るものとは雰囲気も違ってくると思います。

是非大勢の方にお聴きいただきたいです。

歌詞も載せますので、

併せてお楽しみいただければ幸いです。


「あなたのその心に」

作詞作曲 山丸遼介


古びた駅の改札口で

準急列車を二つ見送って

最終列車がホームにやってきて

寂しさ混じりのため息一つ


よく見上げるここの空は

いつもと何も変わらない

星も月もすごく綺麗で

素敵な場所さ これからも


あなたのその心に

しがみついて 剥がれないような

そんなセリフの一つくらいは

言えたはずだと 自分に言い聞かせた


四つの季節が変わるように

人と人も変わってゆく

蒸し暑さにだらけた日々も

今では恋しくなる


囁いた愛のしるしと

風の音が重なり合って

また懐かしい想いを運んだ

そんな初夏の昼下がり


さみしさに溺れている

そんな日々はもうごめんだ

今また焦りと不安で

見えない何かを 手放してしまった


新しい希望の種も

やがて虚しく 消えてしまうかな

とりあえず今だけは

消えてしまわないように

祈っておこう


あなたのその心にも

希望の種を植えつけたい

そしたらどんなに綺麗な

花が咲くんだろう


あなたのその心に

あなたのその心に




あの日、17歳の僕が作った曲が

こんなにも沢山の時間を経て、

ここまで辿り着いた。


理解して応援してくれた両親、

支えてくれた全ての人と

聴いてくださる皆様に感謝しながら、

今日も、明日も、その先も

歌っていきたいと思います。





では、また明日。



今日も最後までお読みくださり

ありがとうございました。

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