常識と非常識とは
こんにちは。今回は常識と非常識とはというテーマで話していきます。
よく常識的に考えておかしいみたいな言葉ってあると思うんですよね。そこで私は常識って何だろうと思ったので、まとめてみました。
常識と非常識の定義
常識と調べた結果
健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別。
らしいです。健全な一般人って定義微妙ですよね。
それに対して非常識は
常識にはずれていること。
らしいです。これに関してはとても分かりやすい定義だなと思います。
私が考える常識
私が考える常識とは
環境、時代の中での当たり前
と考えています。
環境と時代の二つに分けて説明していきます。
環境
まず、環境から説明していきます。
例えば、大学受験をするのが当たり前の偏差値60の高校と、ほとんどの人が専門か就職をする偏差値40の高校の二つがあるとします。
この二つの高校で第二次世界大戦が終戦した年は?と聞いたら、偏差値60の高校では知っていることは常識だと思われているはずです。
しかし偏差値40の高校では知らない人が大半で、知ってるとむしろ知ってるの!!となってもおかしくありません。
何が言いたいかというと、その周りの環境が知ってて当たり前=常識となるということです。
偏差値40の高校では知っていることは当たり前ではありませんので、終戦した年は常識にはならないということです。
時代
次に時代について話していきます。
30年ほど前の部活って水を飲まないことが時代だったと思うんですよ。おそらく、部を強くするために水を飲まないことが有効な手段だと思われていたんだと思います。
つまり30年ほど前は部活で水を飲まないことは常識だったということです。
今でこそ、水を飲まないことは非常識だという考えが浸透していますが、この時代においては常識とされていました。
つまり、時代によって常識が変わるということです。
常識はどうやって変わるのか
結論から話すと、常識が変わる方法は科学だと考えています。
私たちは常識を疑うこと、常識が変わることを受け入れがたい生物だと思います。
例えば、現代でもデジタル庁が発足し国を挙げてデジタルを活性化しようとしていますが、なかなか進まないですよね。
それは、私たちが新しいことをするのが面倒だったり、億劫だったりするからです。
変えていこうとしても、今はまだ...とか、今のままでいいやん...とか、それって本当なの...とか変わるよりも現状維持の思考になると思います。
しかし唯一科学が今の常識が違うことを否定できると思います。
科学
先ほどの水を飲まないことが常識だった時代から今は水を飲むことが常識の時代になりました。
それはなぜかというと、水を飲まないことが科学的に悪いことだということが分かり始めたからです。
これが仮に水飲まないことが何となくしんどい、とかパーフォーマンスが下がってる気がするとかだと現状の常識は変わらないということです。
そうではなく、水を飲まないと熱中症になるリスクが何パーセント上がり、脳卒中のリスクが何パーセントが上がる、と科学的に説明することで、常識から非常識に変わるということです。
結論
まとめると、常識は環境、時代の中での当たり前ということと、常識を覆すには科学が必要ということです。
常識的に考えて...というのは自分の環境や時代がその常識を作っているということを認識して話す必要があります。(そうでないとうざいから)
また今の常識は間違っていると否定するときには、科学的根拠を出さなければなりません。何の根拠も伴わない説明には誰も聞く耳を持たないし、常識を変えることはできないからです。
最後になりますが、人に常識や非常識を押し付けないようにしましょう。
「常識とは 18 歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない。」この言葉知ってるのは常識ですか?...アーメン
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?