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【モチベーション】誰かの作った正しさなんて、自分の中の正義じゃない。自分に自信を持つ方法。


こんにちは。りこです。

今回は、他人の正義や期待、価値観の押し付けについての私見から、わたしなりの自信を持つ方法についてまとめてみました。

この記事が、自分が自分らしくあることについて悩んだり迷ってる方々のヒントに少しでもなれば嬉しいです。



世の中の正義とは。

世の中には、「正義」という名のもとに自分の主張やエゴを押し付ける人間が一定数います。

整形なんて悪だ、親からもらった身体に傷をつけるなとか、そんなに痩せたってモテないよとか、勉強したって無駄じゃん、とか…

ちょっと言ってしまうと

産んでくれて感謝するのと自分の身体をどうにかするのは別だし、

モテるためにダイエットしてるわけじゃないし、

死ぬほど限界まで勉強して自分を追い込んでから言ってみて。

個人的にはこういったことを細々と考えるのですが、まあそれも一種の自分の中での正義なのかもしれないし。

要するに、人間はいつも自分が一番正しいと思っています。

そういった価値観の中で、共有したり生活したりして人って無意識にその影響を受けているなって思います。

1日3食、いい大学出て就職して結婚してとか、子供を産むことが女の幸せだとか…

でも、それって自分らしくあることや自分の人生を豊かにすることとはちょっと違って。

正義は、必ずしも自分を幸せにしてくれるものじゃない。

わたしはそう思います。


なぜ正義が押し付けられることがまかり取るのか。

では、どうして世の中に主観的な正義がまかり通っているのでしょうか。

個人的な観点だけども、主にこのような理由があるかなって思います。


・秩序を保つため。

人間がコミュニティを作って生きていくことに、秩序は必ず必要なものです。

その中で、やっぱり大なり小なり決まり事とかが生まれてくるのは必然で。

そういったことで培われた価値観が、こう生きなければいけないという見えない枠組みといった正義を構築していくと思います。

・成功体験や満足を発散したがる。

生きてきて経験を重ねていくと、人間って自ずと自分の成功体験を正義だと勘違いすることがあります。

こうやったら良くなった、とか満足しただったり、それをこうしたほうがいいよと人に伝え、人がそれを実行し満足することに意味を持つようになってくる気がします。

自分が良かった、というものを人に紹介したり薦めたりすることはごく自然な行為だと思います。

わたしも、これ良いなって思ったものは誰かに教えたくなります。

でも、その範疇を超えて他人の考えまで変えようと働きかけるのは

単なる自己満の押し付けです。

他人は自分の満足を満たすための道具ではありません。

・エゴの押し付け。

自分の思っていることをわかってほしい、この価値観が絶対だということを正義という名を借りて押し付けるパターンです。

論外です。

・知らないものを怖がる。

知らない世界や環境に飛び込むことが不安なとき。

そういったときの気持ちと同じように、人間って知らないものに対しては無意識に危険信号を発することがあります。

それは生きていくために必要な機能なんだと思いますが、それが自分の知らない考え方や知らない環境で生きている人間に対して発せられることがあります。

つまり自己防衛の一環としての、自分が今迄生きてきた環境が正しいという思い込みが正義へとつながることがあると思います。

・異質なものを排除する国民性

これは島国を生きる知恵であり、先祖から培われてきたものなので決して悪いことばかりではないと思うのですが…

日本は本来、災害の多い島国であり資源も少ない土地です。

自然災害や飢えを凌ぎ生きていくためには、どうしても個々を団結させてもっと大きな力を作っていかなければいけません。

そのため、団結するのに障害となる異質なものを排除しようとする性質があります。

右向け右ができなければ、村がなくなってしまうかもしれません。

そのため、同じ見た目や考え方の人間以外に警戒心を持ち所属するコミュニティこそが正義だということまでしか思考せざるを得なくなる気がします。


そこに自分の意志があるか?

わたしたちは生まれたときから、そういった様々な外的要因にさらされています。

若者は、女性は、社会人は、大人は、人間はこうであるべき。

そうした様々な枠組みや形から外れることは、悪だと思い込まされます。

その中で無意識に、こうしなくてはいけないだとかこれは仕方がないことだとか自分の中で折り合いを付けようとします。

まわりの意見を聞いてれば無難。

誰かの満足になることが自分の生きる手段。

他人の期待に応えなければいけない。

合わせなければ一人ぼっちになってしまう。

それに従うことで、誰かのせいにして正当化することがまかり通るようになります。

こう言われたからやった、でもできなかった。

自分は従っただけ。自分のせいじゃない。

そこに、自分の意志がないから言い訳ができるんです。

誰かや何かのせいにしたほうが、全力を出す必要がなくて楽だから。


大丈夫、世界には必ず居場所がある。

自分に自信を持つことって、ものすごく大変な作業です。

これを書いているわたしだって、まだまだ自分に自信はありません。

綺麗じゃないし、最近太ったし、頭も良い方じゃない。

でも、自信を持つというのは他人に自慢できる何かを持つことじゃなくて。

自分がどうでありたいのかを信じることだと思います。


自信を持つことは決して自慢じゃない。自分を信じること。


ダイエット、勉強、整形…自分のやりたい、やっていることに素直になる。本来の自分がこうでありたいという信念を大事にして、それを信じて実行するその意志が自信なんだと思います。

そのためには、誰かや何かという言い訳になるものを取り払って自分に向き合う作業が必要です。

そうしてほんとうに自分がどうしたいか、どうありたいか、どうなりたいかを明確にしそれを心の中に持ち、信じて実行する。

大丈夫、今いるその場所の誰かに受け入れてもらえなくても世界には絶対に居場所があります。

住まいや自分を取り巻く人間環境といったものに限らず、精神的な居場所ならなおさら見つけるのがカンタンな現代です。

自分はこれでいいんだって自分そのものを認め、そこから自分のなりたいものや好きなことを作って手に入れていく。

その積み重ねが、自信につながると思います。


自分の人生に期待する。

誰かの作った正義や世界、期待じゃなく自分の期待に応えることだけが、自分の人生をより豊かにする。

誰かの期待に応えないことを怖がらない。

そのために、世の中の正義を掲げる人間の言葉から一歩離れてみて、自分がこうでありたいという芯を大事にする。

それが自分の人生を自信をもって生きることなのかなって思います。

誰かの作った正しさは、自分の中の正義じゃない。

いらないものを捨てて、できたスペースを好きなものやほんとうに欲しいもので少しずつ埋めていって、自分を好きになる。

そうして欲しいものをもっと手に入れられるかもという自分自身の将来に期待する。

それが、自分を信じることひいては自分の自信につながると思います。

なんかちょっと長々と意味不明なことたくさん書いちゃったけど、これが抑圧されて辛かったりする誰かの何かの役に立てたら嬉しいです。

またね♪


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