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フジファブリックに出会っていなければ見れなかった風景

私は大好きなバンドがいる。
フジファブリックというバンドだ。

今回はフジファブリックに出会っていなければ見れなかった風景と題して、#未来に残したい風景 のお題を書いていきます。

バンドのことについては、
下記のWikipediaにて閲覧ください。↓


色々あり、
今年でバンドの中心人物だった
志村正彦が亡くなって12年。

その志村正彦の故郷の
山梨県富士吉田市に
未来に残したい風景があるのだ。

それは新倉山浅間公園にある景色。
忠霊塔と富士山のコントラストが良い。
またその付近から見える
町並みと富士山の景色もまた良い。

撮影時2016年夏


今では有名な富士山と五重塔が同時に見れて、
日本の風情感じると外国の方が絶賛するほどだ。


志村正彦はこの忠霊塔のあるこの場所を
“いつもの丘”と歌った「浮雲」という曲を
フジファブリックの歌で出している。

ファンの間では浮雲の曲の
モデルとなった場所だと言われ、
訪れる人が今でも絶えない。

魅了された景色の数々

私が未来に残したい風景である
新倉山浅間公園の景色の過去の姿を
振り返りの日記形式として紹介していきます。

・・・


私が志村正彦の故郷に初めて赴いたのは、
2010年の7月。
富士急ハイランドのコニファーフォレスト。

この時は当時行われた
フジフジ富士Qのライブに
当時彼氏だった主人と訪れた。

この時は富士急ハイランド内でしかの
景色しか見ていないので、割愛させていただく。

・・・


2回目に訪れたのは2012年。
主人と結婚して1年が経とうとした所、
3人体制になったフジファブリックの
ツアーライブを長野県で見て宿泊してから、
志村正彦の故郷の富士吉田市へ
向かうという旅に出た。

そう、彼の生まれた場所の
聖地巡りをするために。
気持ち的にはこの時が初めて
富士吉田市に赴いたという気持ちだった。

彼の作ったフジファブリックの音楽は
故郷を思って生まれた曲があり、
それも感じながら、巡りたかったのだ。

その中でも忠霊塔からの景色も見に行き、
富士山や富士吉田の町並みを見ながら、
浮雲を聴いたことは忘れません。
残念ながら当時の写真は残っていませんが、
その日から志村正彦の故郷の
富士吉田市に魅了され、
足を運ぶようになります。

・・・


3回目は2013年の主人とGWに行きました。
この時はまだ人が少なかった。
日帰りでした。

2013年GWに撮影。この時は展望デッキはなく、
崖から撮影していた(^o^;)
2013年GWに撮影。
忠霊塔から少し離れた場所からの富士山と町並み。


・・・


4回目は2013年12月。
この時は志村正彦の命日に合わせて、
富士吉田市の夕方5時のチャイムが
フジファブリックの茜色の夕日
変わる日に合わせて主人と向かった。

冬の富士吉田市に赴いたのは
今の所この時だけ。
12月は仕事が忙しい。
行けたのが奇跡だ。
日帰りだったけど(笑)

2013年12月撮影。
雪が少し残っていた。
この時も展望デッキはなく、崖から撮影。
2013年12月撮影。
忠霊塔から少し離れた場所からの富士山と町並み。
2013年12月撮影。
忠霊塔から降りる時に撮影。
階段を上り下りする野球部員達がいて
しんどい練習の中、挨拶をしてくれて、
富士吉田市の人達の暖かさを感じた。


・・・


5回目は2014年7月。
この時は甲府の図書館にある
ロック詩人志村正彦展と
2日目のフォーラムに行くため
主人と甲府に泊まり、
その合間をぬって富士吉田市にも赴いた。

2014年7月撮影。
この時も展望デッキはなく、崖から撮影。
2014年7月撮影。
忠霊塔から少し離れた場所からの富士山と町並み。
2014年7月撮影。忠霊塔から降りる時に撮影。


・・・


6回目は2015年7月。
夕方6時のチャイムが
フジファブリックの若者のすべてに
変わるということで主人と行った。
日帰り。

2015年7月撮影。
残念ながら富士山が
うっすらしか見えない。
この時も展望デッキはなく、崖から撮影。
2015年7月撮影。忠霊塔から少し離れた場所から町並み。
2015年7月撮影。忠霊塔から降りる時に撮影。
残念ながら、富士山見えず。


・・・


7回目は2016年7月。
主人が会社から永年勤続表彰で頂いた
旅行券を使い、私達夫婦と義両親を連れて、
富士山を見る旅行。

河口湖の宿に泊まり
富士山5合目に行く予定だったが、
義父の体調が少しだけ悪く5合目は諦め、
急遽に行ったのが富士吉田市。
富士山がきれいに見れるよと
義両親に紹介した忠霊塔。

実はこの旅行に行く前の年ぐらいに
義母と忠霊塔で富士山を見る夢を見ていた。
正夢になった。

2016年7月撮影。
旅行前にこの場所に展望デッキができ、
撮影しやすくなった。
2016年7月撮影。
展望デッキができて初めて見るアングルで撮影。
2016年7月撮影。
展望デッキから降りる時に撮影。


・・・


8回目は2019年7月。
行かなかった2年の間に子供が授かり、
産まれて子供が2歳になった時に、
子供がトーマスにハマり、
富士急ハイランドのトーマスランドに
連れて行くという傍ら、
夕方6時のチャイムが若者のすべて
変わるということで、忠霊塔にも赴いた。

2019年7月撮影。
残念ながら、雨で富士山見えず。


・・・


9回目は2021年4月。
大変なご時世になって1年経った頃。
唯一救いだった解除の時期に、
主人が会社から永年勤続表彰で頂いた
旅行券を使い、私達家族と義両親で、
桜と富士山を見に忠霊塔を訪れました。

2021年4月撮影。
残念ながら、桜は散りかけ、
雨予報で富士山は見えず。
2021年4月撮影。
忠霊塔から少し離れた場所から。
一部の桜。富士山は見えず。
2021年4月撮影。
忠霊塔から降りる時に撮影。
残念ながら、富士山見えず。


・・・


以上が私が撮影してきた写真になります。
何かと、後半は富士山が見えませんでしたが、
見えないと分かっていても、
もうあの景色には愛着が湧き登りたくなるんです。


登ろう いつもの丘に


幾度となく志村正彦の故郷の富士吉田市を
訪れるたびに登りたくなってしまう丘。

新倉山浅間公園。
忠霊塔。

この景色は正直、
フジファブリックに出会っていなければ
見れなかった風景。

それまでは山梨県を知ることもなかったし、
絶叫マシンも苦手なので、
富士急ハイランドも行くこともなかっただろう。

フジファブリックの中心人物の
志村正彦がいたことも大きい。

今では私にとって富士吉田市は
第2の故郷にしたいくらいで、
いつもの丘にある新倉山浅間公園は
なくてはならない風景。
心の拠り所になっている。

これからも訪れるたびに
この景色を見ていたい。

本当に大好きな場所。
未来に残したい風景である。


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マユシム
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