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胸を切った彼女なら、ペニスを切り落とした僕を愛せるはずだった 第17話

【女・交際】

 女は言われるがまま、男と会った。男は彼と同じ病院に勤める医者らしい。近い間柄ゆえ、病院内では人に言えない揉め事が多々起こるのだと彼は話したい。どんな嫌な男かと女は構えていたが、実際に会うと拍子抜けした。容姿は彼よりも劣るが、いかにも優しくて良い人に女の目には映った。

 だが目的は、男との偽装恋愛。親しくなったら、男から聞き出して欲しい事があると頼まれていた。その男と彼との間にどんな経緯があったのかは、何度尋ねて彼は決して教えてくれなかった。
「ごめん、今は話せない。話したら、絶対嫌われる」
「そんな事無い。私は貴方が……」
「僕も、こんな事を誰かに頼むなんて初めてなんだ……君を信頼している。これが終わったら……」
「これが終わったら……」
「うん。君なら、もしかしたら……」
 彼の思わせ振りな言葉に、女は胸をときめかせた。

『好きな人が居るんだ。でも、ずっと片想いだと思う。きっとこれからも報われる事は無いからね』

 以前、彼から聞かされた言葉を思い出す。確か、好きな人は居るのかと尋ねた時だった。報われない恋を引きずる位なら、私が彼の理想になってみせるから、私に振り向いて欲しい。あの時、そう心に決めた。
 だから、どんなチープな台詞でも、恐らく彼だったら信じてしまう。
 もう彼しか居ない――女はそう思い込むようになっていた。胸に対するコンプレックスをどうにかしたいだけだった当初の考えなんて、頭から抜け落ちていた。もはや後戻りは出来ない。胸を落として顔を焼き、彼の理想に近付けるために自分自身すら変えた。彼に命じられるのであれば、誰かを騙す程度なんて、今更何の躊躇いも無い。
「君なら上手く出来ると思う。どうかアイツと仲良く振る舞って欲しい。君が頻繁に連絡を取ってくれたら、きっと気が逸れて、僕への嫌がらせを忘れてくれる」
「……分かった……けれど本当に、私で……」


 女の心配は無用だった。相手の男は傍から見ても分かり易いくらいに、女への好意を早々に寄せてきた。男は第一印象通り、とても優しかった。
 当初とは違う不安を相手に抱き、女は恐る恐る尋ねた事があった。何故私で良いのかと。男は多くを話さなかったが「化粧や服で外面だけを着飾っている女の人と、君は比べ物にならない」と女に伝えた。男の素振りからは、嘘をついているようには見えなかった。この人は本当に私を大事にしてくれるのかもしれない。そう感じて、男に心揺らいだ時期が確かにあった。他の事は忘れて、目の前の優しい男だけを見ていると、本当に愛せる気がしてきた。デートも地味だけど楽しかったし、ご飯を作ると何でも美味しそうに食べてくれた。夜だって、男なりに精一杯尽くしてくれた。男性器が無いと知った時は驚いたけれど、私と何ら変わらない。シンパシーすら覚えた。

 けれど、やはり駄目だった。彼と最初に出会った時を思い出すと、どうしても彼しか考えられなかった。優しい男と居ると心安らぐ時もあるが、最初に共感してくれた彼が頭から離れない。
「やっぱり駄目か」
 そう切り出したのは、彼の方だった。切り出したと言うよりも、独り言のように呟くのを女は聞いていた。
 男が当直で帰ってこない時、時折こうやって二人でこっそりと会っていた。女は胸を躍らせていたが、この日、彼は何処と無く上の空で、女は心配になって声を掛けた。
「駄目って……?」
「……子宮か」
 彼がポツリと漏らした単語に耳を疑う。とても怖くて復唱は出来なかった。
「ねぇ……そろそろ子宮取ってみない?」
「……何を言っているの」
 女が返すと、男はようやく視線を彼女へ向けた。それまでは宙を見つめて、男は何かを考えている様子だった。
「アイツとまだ仲良くなれていないだろう?」
「そんな事は……仕事が終われば、いつもすぐに帰って来るし、その……夜だって……」
「それじゃ、まだ駄目だよ。だってプロポーズされていないじゃないか。今の君では、アイツは足らないのかもしれない。あれだけ女を毛嫌いしているんだから、やっぱり子宮まで取らないと」

 この人、おかしい。
 何を言っている?
 誰を中心に話をしているの?

「君にしか頼めないんだ。ここまでやってくれた、君しか」
 女が呆然としていると、彼が顔を覗き込んでくる。眉を寄せて、必死に訴え掛けてくる。
「子宮も取らない? そうしたら、アイツがもっと君に食い付くはずだから」
 彼が好きだった。彼の綺麗な顔も、共感してくれる姿勢も。共感が傾聴とオウム返しだけで、心を込めた言葉が無かったとしても、彼女にとっては十分にその効果を発揮していた。
 彼が好きだった。彼の理想に近付くためなら、出来る限りの事はしたい。でも顔と子宮なら、顔を崩す事を選んだ過去がある。今回ばかりは流石にすぐに頷けなかった。
 そもそも、私は彼のために体を作り直したの? 彼の同僚のために、体を作り変えるの?
「……い、いや……ごめんなさい……子宮は……」
「どうして?」
「……子供が欲しいから……貴方の、子供が……!」
 女は泣きながら、彼の体に抱き付いた。そこで初めて、彼の体温が思っていたよりも低いと知った。低血圧だと話していた下らない世間話を思い出した。
「……俺の子供?」
「うん……それにあの人、アレが無いから、夜はいつも道具ばかりだし……全然……私、ずっと貴方が好き……貴方のために、ここまで我慢して……」
「……俺との子供が出来たら、子宮取ってくれる?」
 一瞬、言葉を失う。彼の頭にはそれしかないのか。でも彼女の頭には、彼に選ばれる事しかないのだから、似た者同士かもしれない。
「…………うん……いいよ、考える……」
「じゃあ、俺としてみる?」

 彼と初めてのセックスは、意識が飛ぶほど気持ち良かった。幸せだった。やはり好きな人とする愛の行為は全く違うのだと純粋に思いたいが、ペニスが生々しいのも恐らく理由だった。ちゃんと熱くて、ちゃんと脈打って射精する。
 彼の愛撫は男と違い、手荒で短い時間だけだった。それでも女の膣は十分に潤った。何もない胸元を彼の手ですうっと撫でられるだけでもゾクゾクした。早くそのペニスを挿入して欲しくて、彼の体に足を絡ませた。女が誘う仕草に彼は表情を変えず、淡々としたまま、自身のペニスを彼女の下半身へねじ込んだ。その手慣れた様子からは、彼の女性関係の多さが窺い知れた。
「もっと……ねぇ、こっち見て……」
 彼女は過去の女達に嫉妬心を抱いた。彼にだったら、切り捨ててしまった胸を揉まれたかった。でも今、彼が選ぼうとしているのは自分。彼の首に腕を回して、女はキスをねだった。
「ごめん、キスは……」
「……何で? ここまでしているのに、私じゃダメなの……? 貴方のために焼いた唇とは、キス出来ないの……!?」
 はち切れそうな想いから、女は初めて彼に向かって声を荒げた。ここまでしているのに、私には彼しかもう居ないのに、今更捨てられたらどうしようと思うと不安どころか殺意すら湧いてきた。
 だが男に取り乱す素振りは無い。むしろ口元には笑みを浮かべ、眉は下げて、女が好きな表情で返す。困ったように笑うその姿はいつでも幼気な少年のように見えた。
「……子供が出来たら、キスしよう」
「子供が……?」
「うん」
「子供……嬉しい……」
 彼との家庭を想像する。彼が居て、彼とよく似た子供が居て、幸せな生活。穏やかな時間。彼は医者だから、きっとお金に困る事は無い。私は彼と家庭を支えて、静かに生きていく。それしか望まない。代わりに色んなものを捨ててきたのだから、それくらいは叶えて欲しい。
「このまま……全部、出して……」
 彼の精液が見えないのは残念だが、子宮までしっかり届いて欲しいから我慢する。彼の子供。彼との子供さえ出来れば。

 彼と逢瀬を重ねると、同棲している男への気持ちが次第に薄らいでいった。ご飯を作って待っているのも億劫になり、買ってきた惣菜を並べて済ませる。それでも男は美味いと言って食べていた。今となると、この人、口に入れば何でも良いんじゃないのかとさえ思えてしまう。いつまでこんな生活を続ければ良いのだろう。でも子供が出来たら、彼も考えを改めてくれるかもしれない。彼からの返信を待って、スマホを握り締めて日々を過ごす。

 そうして幸いな事に、子供は早く出来た。やはり彼と私の相性は良いに違いない。妊娠検査薬の結果を写真に撮り、女はすぐ彼に送った。
 やがて返信が来て、次の週末に会う事になった。
 これで人生が変わる――そんな予感に女は胸を高鳴らせた。



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