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映画自評:「システムクラッシャー」は常識クラッシャーであり、概念クラッシャーだった。

分かっていたつもり。
分かっていたはず。
ある程度知っていたことに対して、或いは、
ある程度経験したことに対しては、それ以上の
予想外のことに出会うと、
予想を上回る展開に出会うと思わず口に出てくる言葉だろう。

プーチンなんかもこの映画のことは全く系統が違うが今の時代の政治のシステムクラッシャーなんだろう。

人はどうしても自分の世界基準から考え、経験値や学習、見聞き、その専門世界の常識の範囲でしか中々思考を越えられない。だけど中にはそれを軽々と越えてしまう人がどうしてもいるのだ。
今も昔からも。

「システムクラッシャー」は本人の意思と社会とが悲劇的に重なることなく、それが子どもであるが故なおやり場がないドウシヨウモナク悲しい映画である。
以下ネタバレを含む。


日本でも、どこの国でもいるだろうし、過去にでもいて、現在大人になってでもいるだろう、そんな人が。

孤独や死に至ってしまう人や犯罪、裏社会、或いは表社会の適応法を学んでも苦しんでいる人もいるだろう。いずれにしてもこのような人たちが一般概念の「幸福」を手に入れられたとは考えにくい。
この映画のこの子のようだと薬を飲んでも症状があまり改善できていないようなのだから。
ボクが知っている範囲で言えば、薬で改善できる程度までだ。
両親も放置はしない程度だ。

「一般社会」からは認知されにくい存在なのだ。
でも確実に存在しており、苦悩している。周りの人たちも苦悩している。
森でキャンプする程度で改善される人も実際いるだろう。
優しい育ての親御さんが付くことで改善される人もいるだろう。

だがそれらの今までの常識を超越してしまう存在の子もいるのだ。そんな子に対しては、やはり現場から国に直接声をかけられるような体制を作り、国が自治体を越え迅速に動けるようにしなければならないと思う。

おこがましい言い方だが、親の教育は必須だろう。
親の改善無くして、子ども本人の変容はあり得ない。
この映画の理性的なリーダーがあの親に対し陰で思わず暴言を吐いてしまうくらい糞親なんだから、やはり親の再教育は国の拘束力を発揮してでもすべき問題じゃないかと真剣に思う。

この映画はどうしてもドキュメンタリー映画として受け止めてしまう。
また、他国の映画とは思えない。

エンディングをあのようにしたのは、答えをただ単に出せなかったのも一つの理由ではないだろうか。

いま日本では「子ども食堂」のような手弁当スタイルで、ようやく法人レベルを持てて小さな対応する送迎付き施設ができている。多少の補助金が下りるようだが充分ではない。もちろん職員の確保も困難だろう。
そんな状態でこの映画のような症状の子を十分に対応できる施設など早々ないだろう。そもそも親があの状態ではダメだ。

トーヨコキッズなりグリ下キッズの中にもこの映画のような子が含まれているのかもしれないが、本来助けてあげるべきは、国だ。
個人の手を越えている。

恐らく日本映画なら、森へ行って寛解した映画になるだろうが、あのような終わり方になってしばらく頭から離れない。
文章の書き方も雑。


で、この度
元町映画館のサポーターズクラブに加入してきた。

観客数が激減しこのままでいくと一年で閉館やむなし、と言うことでサポーターズクラブを設立したという。
勿論支援しますよ。

ただし、サポートはしますが、恒常的なサポートができるかどうかは分かりません。前にも書きました。ただのカンフル剤としての一撃となるだけのサポーターズクラブならボクはしない方がいいかもしれないと思います。
この一年で経営を見直し立て直す猶予の一年にするためのサポーターズクラブなら十分価値はあると思います。
だって、今後もずっと続く年間クラブ費+鑑賞代なら普通の映画館より高いし、これが「元町映画館愛」代だというなら、甘えすぎだと思うんですよ。

工夫、創意、やる気、生き残る気、をガツガツと見せて欲しい。
ボクが銀行の行員ならこの程度のやる気や工夫で「頑張ってます!」って言われても、全く信じる根拠にならないのでお金を貸すつもりにならないと思う。

京都のみなみ会館もいつしか潰れてしまったが、あそこもいい映画館だったが、惜しまれつつ終わってしまった。あそこもコロナを理由にしてた。
それ以前にもっと努力をしたのかな?
ミニシアター好きなボクのところまでに閉館危機の情報が閉館が決まってからしか届かなかった。
どゆこと。



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