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12/14に33歳の誕生日を迎えた「生涯巨人」坂本勇人選手を徹底分析!『坂本勇人論』第1章まで無料全文公開!

2021年12月14日にICE新書より出版された書籍『坂本勇人論』(著:ゴジキ(@godziki_55))の第1章までを無料全文公開いたします!

序章 坂本勇人はなぜ神なのか

「坂本勇人(さかもとはやと)」は、日本プロ野球史上歴代最高遊撃手だ。

 本書では、坂本のプロ野球人生から見た独自の分析やキャリア論はもちろんのこと、巨人軍でのメンタリティ、チームを引っ張っていくリーダー論、人気の高いスター性、プロ野球史上に名を残すカリスマ性などを書いている。

 2021年シーズンの開幕前に発売した、デビュー作である『巨人軍解体新書』(光文社新書)では、第4章「巨人軍21世紀スター選手論」において、坂本の分析だけで7000~8000字ほど費やした。本書では、坂本に関する内容をさらに深掘りしている。

 坂本自身、今シーズンで現役15年目を数える。彼が、実力と実績を兼ね備えた平成と令和を越える巨人軍スター選手なのは間違いない。

 この15年間という月日を野球以外の観点から振り返ってみよう。2011年の東日本大震災は今なお爪痕が消えない。2020年の新型コロナウイルスは言わずもがな、世界規模で甚大な感染を引き起こし、我々の生活を一変させた。芸能界では、「平成」の象徴といっても過言ではないSMAPが2016年に解散。2018年の安室奈美恵の引退や、2020年の嵐の活動休止も世間を騒がせた。直近では、新型コロナウイルスの感染拡大のため開催が困難と見られていた、「東京五輪」の開催。ざっくりと振り返っても、歴史上に残るレベルの大きな出来事が多かったように思う。

 一方、野球界では、2012年末に松井秀喜(まついひでき)が引退。2016年には大谷翔平(おおたにしょうへい)が史上初の二刀流でシーズンMVP・ベストナインを獲得して、最大11.5ゲーム差をひっくり返す、劇的な逆転優勝を成し遂げた。数々の記録を打ち立てた「天才」イチローも平成が終わる直前の2019年に現役を退いた。2021年はシーズン中に「平成の怪物」松坂大輔(まつざかだいすけ)が選手人生に別れを告げた。松坂引退の裏側では、2017年オフに海を渡った大谷が、MLBで2001年のイチロー以来のMVP(最優秀選手賞)を満票で獲得、世界を舞台に野球界を大きく盛り上げた。

 このように、世界、球界を取り巻く環境がめまぐるしく変化して、スポーツ界の世代交代が進むなか、坂本は15年間、巨人軍一筋でプレーを続けている。

 アメリカ球界、メディアからの熱視線がありながらも、メジャー行きを封印して2019年オフに自ら「生涯巨人」を宣言した。15年のプロ野球人生で、巨人軍を8度のリーグ優勝、2度の日本一に導いている。

 それだけではない。巨人軍はもとより、東京五輪では実質キャプテン・チームリーダーという立ち位置で、目覚ましい活躍を見せた。2度のWBCとプレミア12に出場し、2019年のプレミア12で初優勝、今年開催された東京五輪では金メダルを獲得した。

 実績や功績はすでにレジェンドそのものである。ここ一番の勝負強さ、そして圧倒的なスター性はいったいどこからくるのか。

 私自身、デビュー作では、小さい頃から憧れていた巨人軍に関する『巨人軍解体新書』を執筆。2冊目では、東京五輪に関する、『東京五輪2020 「侍ジャパン」で振り返る奇跡の大会』(インプレスICE新書)を執筆した。そして著作家デビューイヤーの締めくくりとして、現役のプロ野球選手で一番好きな選手である、坂本に関する本書に取り組めたことはこの上ない喜びである。

 本書は、私がずっと追い続けてきた「巨人軍・坂本勇人」のキャリアバイブルとして、プロフェッショナルとしての意識の高さやリーダー論、スター性、カリスマ性などを一ファンの視点で綴ったものである。坂本の「勝者のメンタリティ」の原点でもある、栄光、挫折、そしてキャリアを紐解いていく。

 坂本の凄さはどこから来ているのか?
 坂本の「勝者のメンタリティ」はいつ植え付けられたのか?
 スターとは何なのか?

 尽きない疑問や展望への「答え」にまではたどり着かないかもしれないが、「考えるヒント」を提供できれば幸いだ。
 本書では「坂本勇人のキャリアバイブル」を言語化して明確化することに注力した。

 自分自身が見てきた多くの試合やプレーを中心に、今持っているすべての知識と感覚を注ぎ込んだ。坂本・巨人ファンに限らず、アンチも含めて、多くの野球ファンに楽しんで読んでもらえたら嬉しい。オフシーズンのお供としてだけではなく、数年後に本書の考察が当たっているか否かを答え合わせしてみるのも一興だろう。

 なお本文にある情報や選手の成績、所属先などは2021年12月3日現在のものである。また、本書の内容はすべて私の個人的な見解であることを断っておく。

第1章 「若武者」として伝説がはじまる

∟ダイヤの原石から始まったレジェンドへのストーリー

2007年:4試合 打率.333 0本塁打 2打点 1盗塁 OPS.667(一軍)
2007年:77試合 打率.268 5本塁打 28打点 5盗塁 OPS.846(二軍)

 坂本勇人のプロ入りが決まったのは、2006年のドラフト会議だ。坂本は、甲子園の出場はあったものの、堂上直倫(どのうえなおみち)の外れ1位で巨人軍に入団した選手である。とはいえ、球団が期待していなかったわけではない。彼にあてがわれた寮の部屋は、松井秀喜が入団時に使用していた通称「出世部屋」と呼ばれていた410号室だ。この時点で、首脳陣からの高い期待値が感じられる。当時巨人のスカウトだった大森剛(おおもりたけし)氏(現国際部課長)が、高校時代の坂本に対して下記のようにコメントしている。

「初めて坂本選手を見たのは、1年生秋の頃でした。186センチの長身ながら、とにかくセンスと雰囲気あふれるプレーに目を奪われました。バットはインサイドアウトで出るから内角も難なくさばく。守備の華やかさもある。当時、二岡の後継者を探していたチーム事情もあり『彼こそまさに』と一目ぼれしました」

 ただし、すべてのスカウトが坂本を評価していた訳ではないという。

「実は、高校時代の彼はスカウトの中で評価が割れる存在でもありました。長身で手足の長さは目を引きましたが、そのせいか『腰高の守備で、プロでは通用しない』『体の芯が弱い』とみる人もいたようです」

 大森氏はドラフト会議が近づく頃に、当時の上司に「お前がいうセンスと雰囲気って何だ」と問われた。指名か見送りか――。巨人内でも揺れていたのだ。その問いに大森氏はこう答えた。

「似た背格好の選手を100人集め、全員真っ白なユニホームを着させて練習させても『あれが坂本』と誰でも見分けることが出来ます。どこにいても一目で分かる。それがセンスと雰囲気です」

 こうして大森氏が強くプッシュしたこともあり、外れ1位での指名になったのだ。

「今でこそスイングや打球の速度、角度など、数字で選手の価値を証明する機器は増えましたが、それでは評価の差は出ない。高校時代の坂本はそういうデータでは計れない部分が魅力でした」

 このコメントを見ても、坂本の素質はデータでは表せない、類い稀なる才能を秘めていたことがわかる。

 坂本のルーキーイヤーの成績を振り返っておこう。2007年は、二軍で77試合に出場して打率.268、5本塁打、28打点の成績を残した。ルーキーイヤーで特筆すべきは、容態がよくなかった母親を招待した試合で放ったホームランだ。1年目、しかも母親を招待しているという特別な試合でしっかりとパフォーマンスを残している。この時からスター選手としての片鱗を見せていたと言えよう。

 さらに、一軍では9月、優勝争いさなかの中日戦でプロ初安打初打点となる決勝タイムリーを放ち、鮮烈なデビューを果たした。このヒットでプロとしての〝キセキ〟が始まったと言えるだろう。

 1年目から一軍に出場していた坂本だが、金属バットをメインで使用していた高校時代から一転、木製バットの世界に足を踏み入れて日はまだ浅い。にもかかわらず、高卒とは思えない適応力の高さを見せていた。

 野球用具メーカーSSK岩元正氏は、坂本の適応力についてこのように語っている。「高卒1年目で一番重くて扱いが難しい金本モデルを選んだ……驚きました」

 岩元氏は、1年目の坂本を見て、早い段階でさまざまな記録を残す選手になると予感しており、「他の選手とは違う」と思っていたようだ。

 また、とあるバット職人も坂本の1年目の思い出についてコメントを残している。

「入団1年目に思い出深いシーンがあります。試合で木製バットを使ったことのない高卒1年目の選手は、まず木製バットを振れないんです。できるだけ軽く短いバットを私に求める選手が多いんですが、坂本選手はバットの重さが920グラム。一番重くて扱いが難しい金本知憲(かねもとともあき)選手モデルのバットを選んでいました。高卒の選手に900グラム以上のバットは重いので、890グラムとか900グラム以下を求めるのが一般的なんです。驚きましたね」

 さらに、バット職人はこうも続ける。

「1年目の春季キャンプからしっかり振れていました。当時、坂本選手が原監督とバットの話になった時に、原監督がバットの重さを確認すると坂本選手が『920グラムぐらいです』と返答。原監督は『「おぉ~バットは重たい方がいいんだ』と驚いたようです。このやりとりで『自分が選んだバットは間違いがないんだな』と思ったようですね」

 バット職人は坂本の野球選手としての素質についても言葉を続けた。

「彼は巨人というプレッシャーのかかる環境で、高卒2年目からレギュラーとして試合に出ています。私がジャイアンツ担当になったのは1993年以降ですが、高卒の早い段階において一軍で結果を残したのは、私の知る限り松井秀喜さんだけです」

 数多くのプロ野球選手を間近で見てきたバット職人も、松井以来の高卒生え抜きのスター選手である坂本の素質の片鱗に気付いていたのだ。

 また、坂本の活躍の裏には同世代のスター選手の存在もあると言えよう。同世代であり同じ少年野球チームに所属していた田中将大(たなかまさひろ)は、高校時代からの高い評価に応えるかのように、ルーキーイヤーから11勝をあげる活躍をみせる。その結果、パリーグの新人王に輝いた。この田中の活躍は坂本にとってもいい刺激になっていたのではないだろうか。

∟「若武者」としてがむしゃらに駆け抜けたシーズン

2008年:144試合 打率.257 8本塁打 43打点 10盗塁 OPS.650
タイトル:新人特別賞

 2年目を迎えた坂本のシーズンは、転機の年だった。二岡智宏(におかともひろ)が左膝を手術した影響もありキャンプから一軍に帯同した。

 キャンプを訪れた長嶋茂雄(ながしましげお)氏が坂本についてこうコメントしている。

「坂本君へのメッセージ? 君の将来を期待している。19歳? 最高のバッティングだ。体のバネをつければいうことないね」

 長嶋氏がこう話している間にも、坂本は魅せた。5回の第2打席には左前に、7回の第3打席には中前に、痛烈な2安打を放ったのだ。

 この様子を間近で見ていた長嶋氏は「高い球は高いなりに、低めは低いなりに打っていける」と熱いメッセージを送った。

 2年目のオープン戦は15試合に出場して、1本塁打を含む打率.240、3打点、OPS.643を記録した。前年、主に5番打者として、打率.295、20本塁打、83打点、OPS.803を記録した二岡の穴を埋めるには、物足らなさはあった。しかしながら、二岡以上に守備の才能は見受けられた。

 肩の強さで、年齢的な衰えによる守備範囲の狭さをカバーしていた二岡と比較しても、一歩目の早さから守備範囲の広さは光るものがあったのだ。ポスト二岡としての活躍が期待されていた坂本だったが、二岡は開幕に間に合わせてきた。坂本は開幕スタメンを外れる可能性が生じたのだ。その状況の中で、開幕戦で坂本は二塁手として、スタメン出場を果たす。巨人では、松井秀喜以来の10代での開幕スタメン入りだ。坂本のスタメンの理由のひとつに、二塁手のレギュラーが確定していなかったこともあった。しかしながら、この起用法にはさらに裏話もある。ヘッドコーチを務めていた伊原春樹(いはらはるき)氏は、当時についてこう語る。

「原監督がいきなり『セカンドは坂本で行きましょう』と言い始めた。私は焦った。なぜなら、勇人はセカンドでノックすら受けたことがなかったからだ。セカンドは付け焼刃でできるポジションではない。ゲッツーの際、ランナーからのスライディングを受けてケガを負ってしまう可能性もある」

 伊原ヘッドコーチは、原辰徳(はらたつのり)監督に考え直すようにと言葉を返した。

「待ってください。危険ですよ」

 ところが原監督は譲らない。

「監督が決めたことにそれ以上反論することはできません。最終的には了承しましたが、正直開幕ヤクルト戦(3月28日、神宮)でセカンドの守備位置に就いている勇人に対して『変なことが起こるなよ』と祈る気持ちで見ていましたよ」その状況の中で、二岡は試合中に肉離れを起こして、すぐさま登録抹消された。さらに、スキャンダルもあった。

 この二岡の離脱に坂本がハマった。二岡が2007年のような働きをしていれば、坂本は二塁手としてフルシーズンを戦い、調子が下がり始めてきた時に外された可能性はあっただろう。そんななかで、フルシーズン出場できる状況を勝ち取った実力はもちろんのこと、スター選手特有の「運命力」を発揮した。「持っている」という言葉だけでは表せないものがあったと感じずにはいられない。

 坂本に限らず、今ではMLB(Major League Baseball)で活躍している大谷翔平は、入団時に中心選手だった糸井嘉男(いといよしお)がトレードで移籍したことにより、開幕スタメンでの出場を勝ち取り、二刀流への大きな飛躍の年のスタートを切った。さらに、福岡ソフトバンクホークスに所属をしていた川崎宗則(かわさきむねのり)は、小久保裕紀(こくぼひろき)がオープン戦で大怪我を負ったため、開幕スタメンでの出陣を果たす。その結果、ダイハード打線の切り込み隊長として一気に台頭した。

 坂本もシーズンを通してみると、プロ初本塁打を満塁弾で記録するなど、スター選手の卵としての片鱗を見せていた。疲れが見え始める5月に調子は下がったものの、主力のアレックス・ラミレスや小笠原道大(おがさわらみちひろ)、阿部慎之助(あべしんのすけ)に助けられ引っ張られながら、シーズンを完走した。守備の要であるセンターラインで、オープン戦15試合から、ペナント144試合、オールスター2試合、クライマックスシリーズ4試合、日本シリーズ7試合まで戦い切ったのだ。総試合数はなんと「172試合」であり、2年目ながらもタフに試合に出続けたことがわかる。

 ラミレスは、坂本についてこのようにコメントしている。

「2年目の彼を見て、将来はジャイアンツを代表する選手になると直感した」

 ラミレスも坂本の才能を間近で感じていたようだ。遊撃手を守り抜いている「若武者」である坂本に触発されるように、不調だった小笠原は復調を遂げて、ラミレスとの強力なクリーンアップで、劇的な逆転優勝を遂げた。まさに「持っている」ものと実力がかけ合わさった結果、「坂本勇人」というスター選手が全国区になったシーズンだった。

 原監督は、2年連続で「奪回」というスローガンを掲げたが、この「若武者」がいたからこそ、リーグ連覇はもちろんのこと、前年逃した日本シリーズ出場を「奪回」できたのだろう。

∟原石だった「若武者」がダイヤの輝きを放つ

2009年:141試合 打率.306 18本塁打 62打点 OPS.823
タイトル:ベストナイン
2010年:144試合 打率.281 31本塁打 85打点 OPS.836

 3年目のシーズンは、さらに飛躍した年だった。この年は、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)があったこともあり、代表監督だった原氏はもちろんのこと、阿部や小笠原といった野手の主軸が不在の期間が長いシーズンだった。そのなかで、前年にフルシーズン戦い抜いた坂本は、巨人軍の主軸であるという「トップとしての責務」がさらに芽生えていただろう。

 キャンプでは、右打者のお手本であるラミレスと谷佳知(たによしとも)から、貪欲に学ぶ姿勢が見受けられた。さらに、オープン戦では、5位に入る打率.345を含む、1本塁打、8打点、OPS.859を記録した。オープン戦の成績は、参考記録に過ぎないが、若手でありながらここまでの成績を残した坂本が、このシーズンの個人目標で、「3割20本塁打」を目標に掲げている。「やってやる」という非常に強い気迫があったのだろう。

 しかし、開幕戦では、中途半端な打撃をして走塁も全力疾走を怠ったため、途中交代をさせられてしまう。その悔しさをバネにするかのように、破竹の勢いで打ち続けた。天性的な内角打ちも披露し、結果を残した。4月終了時点で5割近い打率を残した坂本は、5月6日の横浜戦で初の1番打者として、スタメン出場を果たす。この年の巨人軍は、坂本と新人王に輝いた松本哲也(まつもとてつや)と1・2番を組む形だったが、実力と人気ともにトップクラスであった。センターラインでありながら、坂本・松本のコンビがチャンスメイクをして、小笠原・ラミレスと、台頭を見せた亀井義行(かめいよしゆき)が、ランナーを返す活躍を見せる。この年の巨人軍はセリーグだけではなく、日本シリーズでも圧倒的な強さを見せて、坂本自身初の日本一に輝いた。

 さらに高卒3年目までで史上11人目の3割を達成し、ベストナインに輝いた。このシーズンは、チーム・個人ともに、大きな飛躍を遂げた年であった。

 坂本以外の選手にも触れておこう。巨人に在籍していた松井はニューヨーク・ヤンキースでワールドシリーズMVPに輝く。巨人では阿部が、日本シリーズでMVPに輝いた。三世代に渡る巨人軍の生え抜きスター選手である、松井・阿部・坂本の三選手が揃って活躍したメモリアルな年だったのは間違いない。

 ただし坂本にとって輝かしい成績だけが残ったわけではなかった。内角が得意なことが災いして、日本シリーズでは外角攻めに合い、打率は2割を切った。日本一にはなったものの、自らが貢献した日本一ではなかったため、悔しさが残ったのではないだろうか。

 翌年の2010年のシーズンでは、開幕前からワンランク上のレベルを目指すために、外角への対応や右打ちを意識して実践に取り組んでいた。この年は打撃自体が荒削りだったことから、打率は前年と比較して下がったものの、巨人の遊撃手としては歴代最高となる31本塁打を達成した。さらに、プロ入り高卒4年目までの30本塁打は、プロ野球史上8人目で、巨人では王貞治(おうさだはる)・松井に続き3人目の快挙だった。この記録の偉大な点は、一塁手の王や外野手の松井とは異なり、守備の負担が大きい遊撃手がこの記録を打ち立てたことにある。遊撃手が30本塁打以上記録すること自体が快挙であるなかで、坂本は高卒4年目でそのハードルを超えてみせた。

 かつて、坂本を発掘した大森氏が、「長距離砲としての資質もある」と評価していた通り、プロ野球での長距離砲としての一つの水準である、30本塁打も達成してみせた。一流打者の証である3割や30本塁打を達成したこの2シーズンの打撃成績から、坂本自身は「当たり前」の基準値が上がったと見ている。だからこそ、キャリアで初めて優勝を逃したことやCSを欠場したことは、期待されていただけに当たりも強かったのではないだろうか。

∟一流の舞台で果たし始めるトップの責務

2011年:144試合 打率.262 16本塁打 59打点 OPS.714
2012年:144試合 打率.311 14本塁打 69打点 OPS.815
タイトル:最多安打、ベストナイン、アジアシリーズMVP

 2011年のシーズンは、試行錯誤を繰り返していた打撃に加え、更なる試練が続いた。開幕前には東日本大震災もあり、コンディションを整えるのも難しいシーズンだった。さらに、統一球の導入により、投高打低のシーズンが2年ほどあった。坂本も、統一球の1年目はかなり苦しんだ。

 長いキャリアと実力を誇る選手たちも成績不振にあえぐ。当たり前のように、3割30本塁打を記録していた小笠原が体力の衰えもあって急降下し、8年連続で100打点以上を叩き出していたラミレスも100打点を下回る。

 坂本も同じだ。右方向への打球に意識が強くなり、左肩が早く開きすぎたが故に、一時期は、得意の内角ボールに対して上手く捉えることができなかった。

 結果的には、打率と本塁打、打点といった、打撃3部門の成績は下降した。そのなかでも、得点圏打率はリーグトップの.361を記録した。打撃面では、試行錯誤を繰り返していたシーズンだったが、ここ一番の勝負強さがついてきていたと言える。右打ちに関しては、当時首位打者を獲得していた同僚の長野久義(ちょうのひさよし)から学ぶことがあったのではないだろうか。この学びが、翌年のシーズンで一気に結果に結びつくことになる。

 また、このシーズンでは巨人軍は2年連続で優勝を逃し、坂本は2008年から4年連続で失策がリーグワーストを記録した。試合に出続けることによる疲労から雑になる場面は多々あり、失策に繋がったのだろう。守備範囲の広さからファインプレーは多かったが、安定感に欠けており、イージーミスが多い。捕球やスローイングの確実性が課題であった。

 この時期の坂本には守備が下手なイメージがついていた。しかしながら、坂本が一歩目のスタートが早く、捕球できる範囲が広いが故に失策が多かったにすぎない。天性的なセンスはあった。守備において確実性を高めたい坂本は、当時東京ヤクルトスワローズに所属をしていた、宮本慎也(みやもとしんや)氏に弟子入りした。坂本自身は、宮本氏への弟子入りについてこう語る。

「守備がうまくなりたいと思っていた。ショートで超一流と言われる人とやるのは覚悟がいるし緊張する。でもこれが近道」

 それに応えるように宮本氏も熱く指導する。

「勇人っ、頭が突っ込んでいるぞ!」
「コラッ! 今、楽して捕っただろ」
「足の使い方が違う」

 宮本氏からの厳しいアドバイスが飛ぶ。キャッチボールに関しても、宮本氏は手を緩めない。

「もっと上から投げろよ」
「肩が温まればいいという感じのひどいキャッチボール。あれじゃ、うまくならない。たとえ短い距離のキャッチボールでもいいかげんにやるんじゃなくて、球の回転とかチェックしてやらないと」

 宮本氏の熱い指導が今後のスローイングの安定さにつながっていったのだろう。さらに、15メートルほど離れた距離から、守る側の左に転がしたゴロを捕って投げるという練習に関しても、宮本氏は檄を飛ばす。

「もっと右から入れ!」
「頭が下がっているぞ!」
「足が使えてないぞ!」

 少しでもグラブの芯を外して捕ると注意されるなど、細かなミスを厳重にチェックされた。

 この自主トレの成果はシーズンですぐに出た。失策数は、2012年のシーズンで初めてリーグでワーストから脱した。打撃面でも、最多安打を獲得して、長野とその栄光を分け合った。長野と安打数が並んだ際は、二塁ベース上で感極まる場面もあった。それに関して坂本はこう語っている。

「もし逆の立場だったら、きっと僕も素直に喜べていたと思うんで、そうやって気持ちがつながっていたことが嬉しくて……」

 原監督は、次の打席で坂本も代打に送っているが、これはチームを牽引してきた2人が歴史に名を刻めるよう配慮したものだった。

 坂本は、このシーズンで文句なしで攻守にわたり、チームの中心となる。そしてリーグ優勝と日本一の大きな原動力となった。この年の勝利は、2009年のリーグ優勝と日本一よりも、明らかにチームの中心として坂本が導いた結果であった。課題だった右打ちも克服の兆しを見せており、統一球で打者が低迷していたなかで、当時ではキャリア最高の打率.311を記録した。日本シリーズでも打率.360を記録して、文句なしの最高遊撃手であった。

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無料版はここまで。以降では歴代最高遊撃手への軌跡や今後のキャリア等についても徹底的に分析し、語りつくしています。

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