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💟坂出市天皇と白山市三浦との神風串

はじめに

このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)について記述したものです。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。

串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。 地名(地文ちもん)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

ここでは、香川県坂出市の「天皇」と白山市の「三浦」とを結ぶ神風串呂をご紹介しています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、無秩序な群雄割拠ぐんゆうかっきょの戦国時代(120年以上)に無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。



1、崇徳上皇の御霊よ安らかなれ!

坂出市西庄町の「天皇」という地名は、三浦芳聖が解明した串呂の中で、超重要な地文でありながら、地図上から消えて久しく、非常に残念に思っておりました。

ところが、ネット検索のお蔭で、香川県坂出市の「高照院天皇寺」の住所が「西庄町天皇1713-2」と出ていて、坂出市に「天皇」という地名が現在も存在する事が確認でき慶賀に堪えない所です。

またこの地に、「天皇」という地名が存在するのは、貴族の内部抗争である「保元の乱」で、保元元年(1156)讃岐に配流され、不遇のうちに46歳で崩御された崇徳上皇を祭る「崇徳天皇社」が造営された由来による事も判明しました(神風串呂史観)。

串呂哲学的見地から申し上げますと「崇徳上皇」は、串呂主宰神の設計された青写真を完成する為に、讃岐に配流されたという事になりますので、感謝と共に、崇徳上皇の御霊よ安かれとお祈り申し上げる次第です。


2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。


3、坂出市天皇と白山市三浦との神風串呂

三浦芳聖は、香川県坂出市西庄町の天皇と石川県白山市の三浦とを串呂すると下記のようになると述べています。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第一章

由良岬」(愛南町)-「御在所山」(西予市鬼北町)-「天皇・卍天皇寺」(坂出市)-「龍子」(たつの市)-「高長」(姫路市)-「寺野」(神河町)-「大門」(福知山市)-「大丹生」(舞鶴市)-「大丹生町」(福井市)-「大聖寺」(加賀市)-「小松市」(石川県)-「三浦町」(白山市)-「神代」(氷見市)

(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第一章39頁、現住所に改めた。)

【地文のみ掲載】
「由良岬」-「御在所山」-「天皇・天皇寺」-「龍子」-「高長」-「寺野」-「大門」-「大丹生」-「大丹生町」-「大聖寺」-「小松市」-「三浦町」-「神代」

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)

(1)由良岬(ゆらみさき、愛媛県南宇和郡愛南町)
由良は、「よしなが」と読み、三浦芳聖を表わす串呂上の符号であります。岬という漢字の旁は甲(きのえ)であり、(4)龍子とあわせると甲辰年生まれを表わす。

後醍醐天皇の皇子の名前には「良」が付いていて「よし・なが」の両方に読める。ここから、「よしなが」は、後醍醐天皇の嫡孫家を表わすのではないかと思います。由良についての詳細はこちらを参照ください。

(2)御在所山(ございしょやま、愛媛県西予市鬼北町大字小松)
何がおわしますか?(何がございますか?どなた様のどのような行在所ですか?)を鑑定する重要串呂起点。標高915m。御在所山は全国に6ヶ所ある。ここでは「龍子は三浦皇統家に降誕されました。」と解読する。

三重県三重郡菰野町の御在所山の詳細はこちらを参照ください。

愛媛県西予市鬼北町大字小松(地図マピオン)

(3)天皇卍天皇寺(てんのう・てんのうじ、香川県坂出市西庄町)

坂出市天皇
香川県坂出市西庄町天皇(地図マピオン)

高御座(たかみくら)に就かれた天皇を表わす。また、どのような天皇だったかを鑑定する重要串呂起点でもあります。

昭和40年(1965)頃に買い求めた「新日本分県地図 香川県」(日地出版株式会社)には、この「天皇」という地名が掲載されていますが、その頃から国土地理院発行の20万分の1の地勢図には掲載されなくなって、残念に思っておりました。

この度、ネット検索で下記の記事を見つけました。また巻頭に掲載した「グーグル地図」でも「天皇」の地名が出ています。

高照院天皇寺の住所は「坂出市西庄町天皇1713-2」である。

天皇寺HP
(一社)四国八十八ヶ所霊場会

卍高照院天皇寺は、香川県坂出市西庄町天皇にある真言宗御室派の寺院。山号は金華山。過去の経緯から院号の高照院(こうしょういん)で呼ばれていたこともある。本尊は十一面観世音菩薩。四国八十八箇所霊場の第七十九番札所。 

境内は崇徳上皇を祀っていた白峰宮に隣接し、白峰宮が崇徳天皇社であったときその別当寺であった。 現在は、崇徳上皇を祀ってはいないが歴史的経緯から天皇寺の名称を持つ。『ウィキペディア(Wikipedia)』天皇寺 (坂出市)

崇徳上皇が、貴族の内部抗争である「保元の乱」で、保元元年(1156年)讃岐に配流されたことによって、この「天皇」あるいは「天皇寺」の地文が存在することが判明しました。(神風串呂史観)

串呂哲学的見地からは、崇徳上皇の讃岐配流は串呂主宰神の設計された青写真に基づくものと考えることができますので、崇徳上皇に感謝申し上げると共に、ご冥福を祈念申し上げます。

(4)龍子(りゅうこ、兵庫県たつの市揖西町)国内唯一の地名。

龍子
兵庫県たつの市揖西町(地図マピオン)

「龍子」は、大宝天皇が大般若600巻を念書して、後世直系皇孫に神武・応神・後嵯峨・後村上・松良、五皇一体の八幡大明神を降誕せしめて必ず天下を平定し給わん事をと、皇威回復を熱祷祈願されたその「五皇一体の八幡大明神」三浦芳聖を指します。下記の神風串呂を参照ください。

【参照】二所の宗廟から牧平大門を鑑る!藤太夫島 と佐久島
龍子-石清水八幡宮-三浦芳聖降誕地-佐久-藤太夫島-安房大神宮

【参照】「たつの市揖西町龍子」についてはこちらを参照ください。

(5)高長(こうちょう、兵庫県姫路市夢前町)国内唯一の地名。

尊良天皇を表す地文。「高長」は、「たかなが」と読めるので、尊良天皇を表わす地文。

【参照】
高長についての詳細はこちらをご覧ください。

(6)寺野(てらの、兵庫県神崎郡神河町)

神河町寺野
寺野(兵庫県神崎郡神河町)(地図マピオン)

愛知県岡崎市夏山町寺野にある「寺野薬師堂」(大宝天皇御座所跡)を表わす地文。(7)の寺野薬師堂(夏山町寺野)とで、寺野二串の定立証の串呂を構築。

【参照】寺野薬師堂についての詳細はこちらをご覧ください。

【参照】尊良天皇御陵と与位との神風串呂
獅子ー与位ー寺野(神河町)ー後嵯峨天皇・亀山天皇御陵ー聖護院ー尊良天皇御陵ー寺野薬師堂ー佐久
(「寺野」でリンクしています。)

(7)大門(だいもん、京都府福知山市)

大門(だいもん)は、「おおみかど」と解読します。大御門(おおみかど)=大帝(おおみかど)=天皇(または皇居)という意味と解釈します。ここでは、龍子(三浦芳聖)降誕の地「牧平町大門」を表わす地文と解釈します。

【参考】三浦家の系図によれば、大宝天皇は、享徳3年(1454年)愛知県岡崎市牧平町大門に移住し、皇后三浦佐久姫の姓を名乗り、三浦藤太夫と称した。牧平町大門は天照大御神が五皇一体の八幡大明神の降誕予定地として指定された「日本天皇蒙塵(もうじん)の地」であり、大宝天皇以降、三浦家累代 450年間の住居であり、三浦芳聖の降誕地であります。

🟡牧平町大門についてはこちらをご覧ください。

(8)大丹生(おおにゅう、京都府舞鶴市)

大丹生は「だいたんじょう」と読めるので、「大誕生」に通ずると解釈することもできる。三浦芳聖は、「龍子」(五皇一体の八幡大明神・三浦芳聖)の降誕を表わすと述べている。「大丹生二串」で確定立証の串呂を構築。

(9)大丹生町(おにゅうちょう、福井県福井市)

上記の(8)に同じ。「大丹生二串」で確定立証の串呂を構築。

(10)大聖寺(だいしょうじ、石川県加賀市)国内唯一の地名。

「聖」は天皇を表わす。「大聖」は偉大なる天皇を表わす。

ア、「大聖寺」は、尊良天皇と松良天皇を隠祀せる「卍寺野薬師堂」が、大聖(天皇)をお祭りしてある寺院であることを昭示する地文とも解釈できる。
イ、三浦芳聖は、寺は如来や菩薩などの仏像を安置する場所(建物)であることから、母や妻を表わすと解釈し、「大聖寺」は、母親・元子を表わすとしている。

(11)小松市(こまつし、石川県)

「小松」は神皇正統第98代「小松天皇」を表わす。

【参照】皇大神宮内宮から藤太夫島を鑑る! 
「⛩皇大神宮内宮」-「高松町」-「小松原町」-「和田」-「小松」-「小松天皇御陵」-「藤太夫島」-「松長」-「聖岳」

(12)三浦町(みうら町、石川県白山市)

白山市三浦町h
石川県白山市 三浦町(地図マピオン)

三浦皇統家を表わす。

【参照】「三浦」についての詳細はこちらをご覧ください。

(13)神代(こうじろ、富山県氷見市)

神代(かみよ)を表わす。『古事記』の神代の巻に出ているような不思議なことが起きるという意味だと思います。

実際、三浦芳聖の身辺では、神秘的で奇跡としか思えないような事象が日常茶飯事で起きていました。

大本教のお筆先には「弥勒の神代の初春ぞ」、「栄え三浦の皇統家は」「神国の神代の姿備はりて」と出ています。

【参照】大本教のお筆先についてはこちらをご覧ください。



4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

「由良岬」-「御在所山」-「天皇・卍天皇寺」-「龍子」-「高長」-「寺野」-「大門」-「大丹生」-「大丹生町」-「大聖寺」-「小松市」-「三浦町」-「神代」

地文が多いので、この串呂の解釈は、視点によっては幾通りにも解釈できると思いますが、ここでは、三浦芳聖の著書に従って、「尊良天皇」「小松天皇」「大宝天皇」の嫡皇孫に「龍子」(五皇一体の八幡大明神)三浦芳聖が降誕したと解釈します。

香川県坂出市西庄町の「天皇」の地名の由来で判明しましたように、串呂主宰神は、必要な地名の為なら、上皇様を配流にしてまで、神風串呂を構築して来られました。

串呂主宰神である天照大御神様が、神風串呂に、これだけ力を入れておいでになることを日本国民は、しかと受け止めねばなりません!

串呂主宰神が、こうまでして、極秘のうちに構築してきた神風串呂である事を思う時、串呂に対して、もっと厳粛に取り扱う必要があるのでは!と反省している次第です。


💟皆様方の御支援に感謝しています!

読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。


🔴神風串呂を学びましょう!


💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志著)
💟開鏡の神風串呂-天の岩戸開きへの道


🟡バックナンバー(総合)

🟠情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№38)
🟢次号(№40)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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