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💟大神子‐神子橋‐初沢町!新串呂解明25-平坂町鈴木家の串呂公開5(№412)

🎀串呂哲学研究ノート 第412号

1、大神子おおみことは何か

🌺まず下記の串呂図を見て頂こう!これは三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第三章に掲載されている大神子おおみこの代表的な串呂であります。

高標山の意義は最高の標本という事です。三浦芳聖師の長女「幸枝さん」は大神子おおみこであり、この串呂はその標本であると解釈します。

長女「幸枝さん」の現住所と旧姓「加納」を串呂する実証の神風串呂です。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第三章

この串呂については「三浦芳聖師の長女幸枝の神風串呂-大神子(おおみこ)の標本」でご紹介していますように、

🟢串呂世界では、五皇一体の再現・八幡大明神・三浦芳聖師の御子は、すべて大神子おおみこ(徳島市大原町)、御子神みこがみ(千葉県南房総市)、神子みこ(福井県三方上中郡若狭町)、八王子はちおうじ(東京都)、等の地文で表わされます。

徳島市の「大神子おおみこ」は、国内唯一の地名です。

🌺ついでに、この大神子おおみこの串呂を理解するために参考となるもう一つの串呂図を見て頂こう!

下記も三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第一章に掲載されている串呂図です。

三浦芳聖師が五男三女の八王子を神生みした事を表わす、在りし日の三浦芳聖師の道場兼住宅を串呂する実証の串呂です。(大和 三串 -🔴-🔴-🔴- )

この串呂については、「御正体山と三浦芳聖家との神風串呂」で解説しています。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第三章

🔴茨城県つくばみらい市神生かんのう



2、大神子おおみこと平坂町鈴木家の神風串呂

(1)八王子市初沢町はつざわまちを串線

前号の「米子鬼太郎空港と須々木海岸!新串呂解明24-平坂町鈴木家の串呂公開4」で、考察しましたように、我が母・鈴木はつ(通称 富美子ふみこ/大正11年7月生れ)は、三浦芳聖師と小田垣清子嬢との間に出来た霊統の神子みこである可能性が濃厚となって参りました。

そこで、今号は、徳島市の大神子おおみこと愛知県西尾市平坂町の鈴木家とを結んで東西に延長して見ました。地文を取上げる地図の縮尺は20万分の1以上の精度です。

すると、まことに驚いた事には、御在所山ございしょやま(高知県香美市)、大神子海岸(徳島県徳島市大原町)、神子橋みこばし(東京都八王子市南浅川町)、初沢町はつざわまち(東京都八王子市)を串線していました。

すなわち、

御在所山ございしょやま大神子おおみこ大神子おおみこ海岸-平坂町鈴木家-神子橋みこばし初沢町はつざわまち

🌷平坂町鈴木家は、確かに大神子おおみこ・鈴木はつの住んでいた所である。

🌺〽御在所山ございしょやまは、何が存在するかを調査・鑑定する串呂起点です。
🟣御在所山の神風串呂

🌺初沢町はつざわまちとは、初(はつ)のいる(た)所を表わします。ここでは平坂町鈴木家を表わします。

*母・鈴木はつ(通称 富美子ふみこ/大正11年7月生まれ)は、大正12年(1923年)~平成12年(2000年)5月25日の77年間、平坂町の鈴木家で生死しました。出生地はすぐ近くの空町そらまち27番地の社宅でした。

🌺神子橋みこばし初沢町はつざわまちともに八王子市です。

ただの神子橋みこばし初沢町はつざわまちでも神秘的ですが、八王子市の神子橋みこばし、八王子市の初沢町はつざわまちとは、この串呂に関する串呂主宰神・天照大御神の暖かい御配慮が偲ばれてなりません。

巻頭の「1、大神子おおみことは何か」でご紹介しましたが、八王子市は、三浦芳聖師の神子みこを表わす地名だからです。

東京都八王子市南浅川町「神子橋みこばし」(Google地図)
東京都八王子市「初沢町はつざわまち」(Google地図)
大神子おおみこ(徳島市)-平坂町鈴木家-初沢町(八王子市)(Google地図)

(2)鈴木はつ(通称 富美子ふみこ)は、三浦芳聖師の霊統の神子みこと断定

串呂が如何に的確なものであるかが判明し、今さらのように驚いているのですが、下記の串呂と合わせると、我が母・鈴木はつ(通称 富美子ふみこ/大正11年7月生まれ)は、三浦芳聖師の霊統の神子みこの一人であると断定しても良いのではないかと思います。

🌺米子鬼太郎空港よなごきたろうくうこう神子畑みこばた佐切さぎり清田きよた-高松町-鈴木米子家(超世志出生地)-須々木(南部)・須々木海岸

🌷鈴木米子家(超世志出生地)で誕生した子供は、三浦芳聖師(高松)と小田垣清子(清田)の佐切さぎりで出来た霊統の神子みこ(鈴木はつ)を母(神子畑みこばた)とする子供である。

本日5月25日は奇しくも我が母・鈴木はつ(通称 富美子ふみこ)の祥月命日であります。

何よりの 手向けなるべし 大神子おおみこゆ 初沢町の 串呂捧げん
垂乳根の 幻の母 微笑みて うなづき給う こころよさげに

(3)串線する主な重要串呂地文

大神子おおみこと平坂町鈴木家の神風串呂を東西に延長して、串線する重要串呂地文を拾ってみました。地文を取上げる地図の縮尺は20万分の1以上の精度です。WEB地図のお蔭で細部まで分かるようになりました。

吉田 四串 -🔴-🔴-🔴-🔴-
神子 三串 -
---
大原
  三串 ----
八幡
  三串 -🟣-🟣-🟣-
神野 二串 -
🎉-🎉-
中田 二串 -
🌺-🌺-
八王子
 二串 -🍀-🍀-
犬 二串 -
🐶-🐶-

🔴吉田(熊本県阿蘇郡南阿蘇村)-君ケ園(大分県竹田市)-🔴吉田(大分県臼杵市野津町大字)-🎉神野かみの神社(高知県高岡郡梼原ゆすはら町神の山)-✅〽御在所山(高知県香美市)-⭕大神子(徳島県徳島市⛳大原町)-⭕大神子海岸(徳島県徳島市大原町)-🔴吉田(和歌山県岩出市)-🍀⛩八王子神社(和歌山県伊都郡かつらぎ町平)-串柿の里四郷しごう 🎉神野地区(和歌山県伊都郡かつらぎ町東谷)-🌺中田町(愛知県碧南市)-⭕平坂町鈴木家(愛知県西尾市)-🟣⛩小島八幡社(愛知県西尾市小島町山内)-神田かだ(愛知県北設楽郡設楽町)-古真立こまだて(愛知県北設楽郡豊根村)-🐶犬間いぬま(静岡県榛原郡川根本町犬間)-🟣⛩八幡神社(山梨県南巨摩郡身延町大城)-〽富士山(山梨県南都留郡鳴沢村)-⛩北口本宮冨士浅間神社(山梨県富士吉田市🔴上吉田)-⭕神子橋みこばし(東京都🍀八王子市南浅川町)-🎯初沢町(東京都🎯八王子市)-都立武蔵野中央公園(東京都武蔵野市🟣八幡町)-高松(東京都練馬区)-板橋区立志村第一中学校(東京都板橋区⛳大原町)-⛳大原公園(埼玉県八潮市八潮)-🌺中田(茨城県取手市)-🐶犬塚(茨城県稲敷市)

吉田・・・母親の出自を表わす。
✅君ケ園・・・三浦芳聖師(大君)との関連を表わす。
✅御在所山・・・何がおわしますか?を調査する串呂起点。
✅中田・・・母親の出自を表わす。神田、吉田、太田、大田、中田、平田、小田などがある。
✅古真立・・・いにしえの真実を立てる。重要起点。
✅神田・・・母親の出自を表わす。
犬間いぬま・・・我が母・鈴木はつ(通称 富美子ふみこ/大正11年生れ)の干支・壬戌年を表わす。
✅初沢町・・・初のいる(た)所、ここでは平坂町の鈴木家を表わす。
✅高松・・・三浦芳聖を表わす串呂哲学上の符号。
🟣高松 (たかまつ)について


3、霊統れいとう神子みこ(御子)とは

(1)さぎり(狭霧)で神子みこ神生かみう

前号で少し述べましたが、三浦芳聖師には霊統の神子みこ(御子)と呼ばれる子供が何人も有りました。

この霊統の神子みこ(御子)は、三浦芳聖師の身辺で起きた特別なる神秘現象で、三浦芳聖師の意思とは全く無関係に起きる神生かみうみ現象で出来た子供を言います。

古事記の「吹きうつる息吹きのさぎり(狭霧)になりませる神のみ名は」にちなんで、串呂では佐切(さぎり)と呼んでいます。(うけひ)

佐切(さぎり)で出来た霊統の神子みこは、280日後に、こうした事情を知らない別の女性が出産し自分の子供として育てます。

成長した霊統の神子みこは、縁が有って門人になったり、門人の家に生まれたり、門人と結婚したりして三浦芳聖師の知る所となります。

愛知県豊田市上佐切(さぎり)町
愛知県豊田市下佐切(さぎり)町
京都府南丹市園部町佐切(さぎり)

狭霧さぎりを昭示する地文「佐切」(さぎり)

【参照】狭霧さぎり佐切
吹きつる気吹之狭霧いぶきのさぎりに成れる神の御名は・・・(古事記)
🟣うけひ – 國學院大學 古典文化学事業

【参照】天之狭霧神あめのさぎりのかみ国之狭霧神くにのさぎりのかみ
🟣神生み – 國學院大學 古典文化学事業

【参照】神代の姿備わりて
栄え三浦の皇統家は日夜久ひやくむつまじく神国の神代の姿備わりて
🟣大本教お筆先(大正8年1月27日)


(2)霊統の神子みこ(御子)の例

🌺判明している限りに於てであるが、三浦芳聖師の霊統の神子みこ第一号は、三浦芳聖師が数えの14歳の時に盲腸の手当に来て温熱療法を施し、添い寝をしてくれた母方のおばさん「おまんさ」との間に出来た女性の神子みこで、事情を知らない別の女性が出産した。顔が「おまんさ」によく似ていたのですぐに判明したという。(岡崎市宮崎町出身)

🌺三浦芳聖師が中学時代、初めて下宿を訪ねた日(大正7年4月28日)に、下宿先の少女(藤田加代)との間に霊統の神子みこが出来、その280日後に事情を知らない別の女性が出産した。この霊統の神子みこは、縁あって三浦芳聖師の門人になり、ある時、霊統の神子みこであることを夢で知らされ判明した。容貌も似ていた。(大府市在住/当時)

🌺三浦芳聖師が小田垣家に招かれた大正10年(1921年)9月以降のある日に、小田垣清子との間に出来たであろう霊統の神子みこが、我が母・鈴木はつ(富美子/大正11年7月生まれ)と思われる。鈴木はつの「はつ」は初恋の初(はつ)であり、三浦芳聖師と小田垣清子嬢との間に出来た最初の神子みこを表わすのであろう。一種の暗号である。

「満年カレンダー」を活用して調査・研究した所では、大正10年(1921年)10月6日(木)がその日ではないかと思う。小田垣家での生活にも慣れた三浦芳聖師は、この日、小田垣清子嬢と将来を語り合い二人は意気投合したのであろう。

🌺三浦芳聖師は、大正11年(1922年)元日、小田垣博士の勧めで小田垣清子嬢と婚約した。この時に出来た霊統の神子みこTさんは、その280日後に事情を知らない別の女性が出産した。(愛知県知多郡在住/当時)

この霊統の神子みこTさんの籍名は定子さだこであった。これは三浦芳聖師の僧籍名・三浦慶定けいじょうの「定」であり、婚約が定まったの定であろう。これも一種の暗号である。

この霊統の神子みこTさんの家族構成が我が母・鈴木はつ(富美子/大正11年7月生まれ)と酷似していた。

①両親の生年(干支)が同じ
②子供が3女子+男子(末子で寅年)の四人
③夫の生年は大正6年と7年

【参照】
💟第15話 芳聖の初恋-御匣殿再現 小田垣清子
🌈三浦芳聖伝 8、京都の学生時代(2)

🌺ユニークなケースとしては、三浦芳聖師が済南事変さいなんじへんに応召中、同年兵と二人で伝令役を務めた時、青島(チンタオ)で野宿して、寝袋で同衾どうきんした時に出来た霊統の神子みこだ。

この霊統の神子みこは、愛知県岡崎市青野町で生まれ、三浦芳聖師の門人の後妻になったことで、その存在が判明したのだが、変わり者で有名だった!幸い二人の子供に恵まれたのだが、小学校の保護者会に頬紅を付けて参加して話題になったことがある。これは奇行の一例に過ぎません。

🌷また、三浦芳聖師が兵庫県多可郡多可町加美区岩座神の日月の滝で禊中(昭和6年~昭和25年)に出来た霊統の神子もいます。

日月の滝(禊の滝)

以上の例は、ほんの一部であり、三浦芳聖師の霊統の神子みこは、判明しているだけでも大勢います。

霊統の神子みこは、門人となる例がほとんどで、女性が多かったのは、男子は大東亜戦争で亡くなったからであろう。また、女性の門人は子供を養育するため、串呂主宰神から見ると串呂の普及には女性の方が都合が良かったからであろうかと拝察しています。

三浦芳聖師は「五男神、三女神および霊統無数の神生みをした」と述べています。霊統の神子みこは無数にいたと思われますが、その実態はまったく不明であります。


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この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の皇統を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

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2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

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出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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