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高松 (たかまつ)について

1、高松は串呂哲学上の三浦芳聖の符号

(1)下記の「高松三串」の神風串呂により「高松」は、三浦芳聖の串呂哲学での符号とされています。

🟡高遠町弥勒と三浦芳聖晩年の住所との神風串呂(№98)

(2)高松(たかまつ)=尊良(たかなが)+松良(まつなが)で、尊良天皇、松良天皇、再現・三浦芳聖の串呂の符号です(尊良天皇・松良天皇・三浦芳聖は三人とも甲辰年陰暦8月8日の降誕ゆえ)。

三浦芳聖の母親「元子様」は、尊良天皇の第二皇子「河合良玄法親王」の嫡孫で、後醍醐天皇が自ら彫った観音像に祈念を込め、尊良天皇降誕600年目の明治37年(1904年)9月17日(陰暦8月8日)午前6時に、三浦芳聖を出産しました。

神武・応神・後嵯峨・後村上・松良、五皇一体の再現・八幡大明神としては、主に松良天皇の人生の追体験(数えの10歳で父親と死別、42歳で空襲に遭い、道場兼自宅が全焼し、宝飯郡一宮町萩村への疎開など)をさせられたようです。

34歳でシナ事変に応召し腹部盲管銃創をうけて傷痍軍人になって内地送還になったのは、尊良天皇の御自害の追体験。

2、雲井に高き高松

この高松は、大正8年1月27日の大本教の有名なお筆先(下記)にある「みろくの神代の初春ぞ」「雲井に高き高松の八重の玉垣いと赤き」「東邦朔の九千年栄え三浦の皇統家は」「神代の姿備わりて」の「高松」です。

       大本教お筆先(大正8年1月27日)
現はれて間もなくかくるる西の空     
二日の月は上弦の        利鎌りれんの如き鋭鉾えいぼうを     
しばし隠して武蔵野むさしのの       草木もなびく時津風    
時を松風梅ヶ香の        かおる小さき神の森に    
三五の月は澄渡り        谷の戸開けて鶯の     
声も長閑のどか足御代たるみよの       竹の園生そのうの清くして    
功績てがらも太く村肝むらぎもの         心の奥は朗らかに    
皇大神すめおおかみに捧げ奉りし真心の   千歳ちとせの鶴の替玉かえだまは     
仕へてほまれを酉の年       四十四度の紀元節    
みろくの神代の初春ぞ      正しき友の寄り集む    
雄々しき清き活動に       助けの神と表はれて    
雲井に高き高松の        八重の玉垣いと赤き    
心の色は日月の         光になぞじょううば    
鶴は千年亀は万年        東邦朔とうほうさくの九千年  
栄え三浦の皇統家は       日夜久ひやくむつまじく神国の    
神代の姿備はりて        三千世界の太平を   
松竹梅の経綸しくみぞよ        辛酉かのととりの紀元節    
四四十六の花の君        世の立替立直し    
凡夫の事も菊の年        九月八日のこの仕組    
天津国玉あまつくにたま国津御魂くにつみたま        石凝姥いしこりどめ神御魂かみみたま    
金銀龍の神馬しんめみたま        高天原たかあまはらに納まりて    
天下泰平千秋せんしゅう万歳万々歳     七福神の楽遊び    
豊受の神の豊国の            ぬしと現れ真寸鏡ますかがみ

三浦芳聖著『弥勒大菩薩(世界大救世主)出現を立証する神風串呂』

三浦芳聖は、このお筆先を、昭和28年3月18日、大本教事件を担当した大審院検事で後に検事をやめて出口王仁三郎の弟子となり、大本教の信徒となった土井靖都氏(当時は大長老)から、直接聞いたと述べています。

出口王仁三郎氏の無意識下に書かれたお筆先(自動書記)であるため、その解釈は大変難しいが、三浦芳聖が著書の中で述べている解釈では、「雲井に高き高松」は、神風串呂の「高松」三串で表現される「三浦芳聖」のこと。

「栄え三浦の皇統家」は、神皇正統三浦皇統家のこと。「四四十六の花の君」は、お筆先が出た大正8年1月27日当時、数えで十六歳の中学生だった三浦芳聖のことだという。

また、玉垣は、「雲井に高き高松の八重の玉垣いと赤き」の「玉垣」で、三浦皇統家大神宮(在りし日の三浦芳聖家)の尊称だと思います。

(三浦芳聖著『弥勒大菩薩(世界大救世主)出現を立証する神風串呂』 9~11頁)

大本教の弾圧事件で問題となったのは下記の内容であるという。

「検事が裁判所に起訴した事件の核心とは何であったか。すなわち、「出口王仁三郎は日本帝国の皇統を否認し、自ら世界を統一して独裁君主たらんとし、宗教の美名にかくれて世界(あるいは国体)変革の陰謀をはかり結社を組織した」というのである。
『出口なお 王仁三郎の予言・確言』263頁(出口和明著、光書房) 

3、高松に関する神風串呂

(1)皇大神宮内宮から藤太夫島を鑑る! (№5)
(2)尊良親王再現・三浦芳聖の神風串呂1(№25)
(3)石清水八幡宮と金ヶ崎神宮の神風串呂 (№36)
(4)京丸と三浦芳聖降誕地・大門との神風串呂(№99)
(5)皇大神宮内宮と萩村寓居の神風串呂 (№104)
(6)八尺鏡野と守義との神風串呂(№56)
(7)皇大神宮内宮と松良天皇御陵の神風串呂(№91)
(8)高遠町弥勒と三浦芳聖晩年の住所との神風串呂(№98)
(9)皇大神宮内宮と萩村寓居の神風串呂(№104)
(10)龍子と田原市高松との神風串呂(№108)
(11)龍子と寺野薬師堂を結ぶ神風串呂 (№109)
(12)三河御津府御所の神風串呂1‐持統天皇聖蹟説を徹底検証
〽巴山-大代町-国府南-森-御津府御所-〽蔵王山-🎯高松町(田原市)
(13)龍神パワー満載!新串呂解明15-菟田野大神と芳聖天皇 奉斎 ⛩神龍八幡大明神との神風串呂(№399)
🔴⛩神龍八大龍王しんりゅうはちだいりゅうおう神社-龍門ダム-臥竜山荘-龍王公園-⛩白龍神社-🔴大神(神御子)-不屈不撓の木-🔴⛩神龍八幡大明神(祭神 三浦芳聖・串呂至点)-中部電力パワーグリッド-🎯的場まとば-龍山町-高松たかまつ神栖市かみすし


🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟠三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🟠神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志 著)
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🟡串呂哲学研究ノートバックナンバー(総合)

🟠情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。


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串呂哲学研究会 鈴木超世志
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