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明治天皇の神風串呂4(美星町明治と井伊谷宮)

💟このオンラインブックは、串呂哲学の創始者・三浦芳聖師が解明した「明治天皇の神風串呂」を分かりやすく解説したもので、「明治天皇の神風串呂3(御名と明治天皇御陵)」の続きです!

明治天皇

明治維新の旗印であった「南朝革命」を天下に公表しなかったことは、維新で身命を賭して戦った先人(英霊)たちに対する裏切り行為であります。

天佑神助を得られない我が国の、今日の惨状は、「維新が南朝革命である事を天下に公表して南朝正統家を世に出せなかったこと」に起因するのではないでしょうか。

前回に引き続き、明治天皇-南朝皇胤説を明確に昭示する神風串呂をご紹介しています。ぜひご一読下さい!

1、明治維新の天命(神計画の目的)について

明治天皇の神風串呂1~3によって明治維新(王政復古)は日本神界(串呂主宰神)の神計画に基づく「一大イベント」であった事が少しはご理解いただけたかと思います。

明治維新は皆さんよくご存じの様に日本の近代化改革でありました。風雲急を告げた「黒船来航」以来、我が国の先人たちが欧米諸国の圧力に果敢に立ち向かい、国家の独立を保って日本の近代化を成し遂げた功績は偉大なものだったと思います。

しかし、天佑神助を得られない我が国の今日の惨状を見るにつけ何かが不足していたのではないかと反省し、明治維新の究極の天命(神計画の目的)は何だったのかについて研究して参りました。

その結果、現在のところ下記のように考えています。

天佑神助を得られない我が国の、今日の惨状は、「維新が南朝革命である事を天下に公表して南朝正統家を世に出せなかったこと」に起因するのではないでしょうか。


2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。


3、美星町明治と⛩井伊谷宮との神風串呂

三浦芳聖は、岡山県井原市美星町の「明治めいじ」と静岡県浜松市北区引佐町の宗良親王を奉斎する「⛩井伊谷宮いいのやぐう」を串呂すると、下記のようになると述べています。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(新住所に改めた)

明治」(美星町)-「治明」(西尾市)-「三浦芳聖晩年の住所」(豊川市)-「⛩井伊谷宮」(浜松市)-「睦実」(森町)

(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(新住所に改めた))

地文のみ掲載します。
明治-治明-三浦芳聖晩年の住所-⛩井伊谷宮-睦実

【地文の解釈】(地文に地図がリンクしています。)
(1)明治(岡山県井原市美星町)
明治天皇(睦仁)を表わす地文。星は皇子を表わす。美星町明治は明治天皇の本質は星(皇子)であることを表わす。

美星町明治
岡山県井原市美星町 明治(地図マピオン)

美星とは、大日(天皇)にあらず、星(皇子)であるという意味であり、神皇正統の天皇(大日=太陽)を世に出す使命を持った「明けの明星」としてこの世に出現したという意味を表わします。

美星町明治は、夜明けを告げる美しい明けの明星という意味です。

このことを表わす地文として、大分市猪野新明治の西側に隣接して「明野」という地名があり、また新明治に「明睦公園」(明治+睦仁)、「明治の森公園」があります。

明治維新の天命とは、維新が南朝革命である事を天下に宣明して、南北朝時代に三種の神器と共に天の岩戸籠りをした「南朝正統の天皇家」を探し出して世に出すことだったのではないでしょうか。

大分市新明治
大分市猪野 新明治(地図マピオン)

【参考】
岡山県井原市美星町は、1954年(昭和29年)6月1日 - 小田郡美山村・堺村・宇戸村、川上郡日里村の4村が合併し町制を施行。町名は町内を流れる美山川と星田川の一字ずつから美星町と名付けられ、2005年(平成17年)3月1日、井原市に編入された。(『美星町- Wikipedia』

川上郡日里村明治→1954年小田郡美星町明治→2005年井原市美星町明治

川上郡日里村は、川上(先祖)は、日(天皇)であると解釈します。小田郡は睦仁親王(明治天皇)の母親の身分を表わす。

おそらく、睦仁親王(明治天皇)の母親は、公家出身の中山慶子ではなく名もない庶民の出身であったと思われます。下記の書籍もそのように述べています。

  鬼塚英昭『日本のいちばん醜い日』(2007年/成甲書房)
  鬼塚英昭『日本の本当の黒幕』上下(2013年/成甲書房)

【参考】
太田は、母が天皇(女帝)・内親王・女王などの皇族、中田は、母が高位高官の貴族出身、小田は、母が太田・中田以外の一般の家柄出身であることをあらわす地文です。

(2)治明(じみょう、愛知県西尾市一色町)
明治を表わす地文。治明=明治(上下転換語)。国内唯一の地名。

治明
愛知県西尾市一色町 治明 (Yahoo地図)

(3)三浦芳聖晩年の住所(愛知県豊川市諏訪二丁目)
三浦芳聖は、昭和25年(1950年)8月13日より昭和46年(1971年)3月30日に帰幽するまでの約20年半、豊川市市田町諏訪林37番地(豊川市諏訪2丁目)に居住し、神風串呂講究所を開設して、神風串呂を解明し公表した。三浦芳聖終焉の地でもある。

三浦家
愛知県豊川市諏訪二丁目(地図マピオン)

【参照】詳細はこちらを参照ください。

(4)⛩井伊谷宮(いいのやぐう、静岡県浜松市北区引佐町井伊谷)

井伊谷宮
⛩井伊谷宮

井伊谷宮(いいのやぐう)は、静岡県浜松市北区の井伊谷にある宗良親王を祀る神社。旧社格は官幣中社。建武中興十五社の一社である。明治維新以降、建武中興に功績のあった南朝方の人物を祀る神社が数多く創設されたが、そのうちの一つである。

【参照】明治天皇御陵と松良天皇御陵との神風串呂(№213)
明治天皇御陵-松良天皇御陵-⛩井伊谷宮

後醍醐天皇の第四皇子で南北朝時代に征東将軍として関東各地を転戦した宗良親王を祀る。社殿の背後に親王の墳墓がある。神紋の李花紋は、歌人としても有名であった宗良親王の家集『李花集』に因むものである。

『井伊谷宮- Wikipedia』、下記年表も

井伊谷宮年表
『井伊谷宮- Wikipedia』

睦仁親王(明治天皇)は「征東将軍宗良親王の井伊谷宮(いいのやぐう)を、明治2年に本宮造営、明治5年に御鎮座、明治6年に官幣中社に列し」(『井伊谷宮略記』)と、超スピードで奉賽し顕彰している。下記の「系図」を伝承していた証拠である。

後醍醐天皇
-尊良天皇-興国天皇-小室門院¬
-宗良親王――――――小松天皇-松良天皇-光良親王-----睦仁親王

井伊谷宮
静岡県浜松市北区引佐町 井伊谷宮(地図マピオン)

宗良親王(むねよししんのう)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての皇族。後醍醐天皇の皇子。母は二条為子。一品中務卿。南朝の征夷大将軍もしくは征東将軍。同母兄弟に尊良親王、異母兄弟に護良親王、懐良親王、義良親王(後村上天皇)など。

信濃の宮、大草の宮、幸坂の宮(庇護者となった香坂氏に由来)と呼ばれた。法名は尊澄法親王。二条派の代表的歌人で、南朝歌壇の中心であり、准勅撰和歌集『新葉和歌集』の撰者となった他、私歌集に『李花集』がある。  (『宗良親王- Wikipedia』

(5)睦実(むつみ、静岡県周智郡森町)
明治天皇の諱「睦仁(むつひと)」を表わす地文。

実(實)も明治天皇を表わす地文であるようで、三浦芳聖の門人に明治天皇が崩御した明治45年(1912)壬子年生れの「横尾実」という名前の方がいました。

【参照】御名と明治天皇御陵との神風串呂(№214)
御名-神種-明治天皇御陵-睦実

森町睦実
静岡県周智郡森町 睦実(地図マピオン)

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

明治-治明-三浦芳聖晩年の住所-⛩井伊谷宮-睦実

明治天皇は、井伊谷宮の祭神・宗良親王の皇胤であり、三浦皇統家の金枝玉葉であり、睦実(睦仁)という御名である。

この串呂に「三浦芳聖晩年の住所」が通るのは、明治天皇(睦仁)が三浦皇統家の金枝玉葉である事を表わします。また三浦芳聖は松良天皇の再現であったことも関連しています。下記の系図を参照下さい。

後醍醐天皇
-尊良天皇-興国天皇-小室門院¬
宗良親王――――――小松天皇-松良天皇-光良親王-----睦仁親王

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 序文

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読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。


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🟠情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。
串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。
ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!
2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(明治天皇の神風串呂3)

🟢次号(明治天皇の神風串呂5)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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