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11年間逃亡した犯人の裁判員裁判 :強盗殺人・窃盗

今回は殺人の内容であるため、暴力的またグロテスクな描写がある。
苦手な方は、注意して頂きたい。

現在でも数多くの逃亡犯が全国に散らばっている。
実際、自分の生活テリトリーでも、殺人事件の犯人が潜んでいた事があった。
指名手配ポスターでも有名であった
懸賞金300万の【おい、小池!】である。
11年間も逃亡したのち、心臓疾患で死亡した。
罪を償うことなく52歳の生涯を閉じたらしい。
このように逃亡犯は、日常の何処にでも潜んでいるのである。


今回の裁判員裁判の話は、古い事件であるがnoteに記録として残しておく。

強盗殺人・窃盗
平成25年(わ)第229号等

殺人を犯し10年7ヶ月もの間、複数の県を移り住んだ挙げ句、捕まった凶悪な女がいた。
裁判で裁かれた時の年齢は70歳。

※写真はJWSSNニュースから引用


【事件発覚の経緯】
不幸にも被害者となったKさんは、映画館の元清掃員で1人暮らし。
平成14年3月末に、70歳で定年退職した。
Kさんが住んでいる部屋は、もともと会社の寮であり、この寮も清掃会社がアパート経営していた。
退職後も住みたい、というKさんからの申し出に、40年もの知り合いである社長は快く了承した。

平成14年7月7日。
アパートの管理人から、Kさんが家賃を持って来ないと連絡があった。
Kさんは几帳面だったので、1度も家賃が遅れた事はない。
心配になった社長は、管理人に頼んでKさんの家に行ってもらった。
しかし、反応は無かったと社長に報告が入る。

平成14年7月8日。
夜7時49分。
仕事を終えた社長と管理人が合流し、Kさんの家に向かう。
Kさんの住居は205号。
外から見ると、室内で電気が光るのが見えたので、TVを付けているように見えた。
エアコンが付いていることも確認した。
だが、いざKさんの家の玄関に立つと酷い悪臭がした。
慣れない悪臭であったが、2人ともそれを生ゴミの匂いだと思った。
管理人が鍵を開け、先頭に社長、後ろに管理人という順番で家に入る。
1、2歩入ったところで、部屋の奥6畳居間の布団の上に、Kさんが足を玄関に向け倒れているのが目に入った。
それ以上奥には進まず、お腹が動いているのが遠目に見えたので、まだ生きていると思い、すぐに救急車を呼んだ。

本来なら近くまで行き、安否確認すると思われるが、何かを察知したように、社長と管理人は外に出て救急車の到着を待った。

同日夜8時05分。
到着した救急隊員から、腐乱して蛆(ウジ)が湧いていると知らされる。
社長が見たKさんのお腹の呼吸は、大量の蛆が動ごめいていたことにより錯覚したものだった。
Kさんから流れ出す血と体液にも、蛆が湧いていたという。

この事件は、事故物件サイト【大島てる】でも情報が得られる。


【証人尋問】
何十年もの付き合いをした社長が、被害者Kさんの人柄を語る。

(※証言したまま記載する)

社長
『性格は内向的で、穏やかでトラブルは1度もない。
質素な身なりで、食事も質素でした。
慎みやかな生活をしていました。
女っ気もない。
仕事も真面目でした。
まさか、殺されてるとは思わなかった』

検察側も『実際、Kさんの家の中は贅沢な物は無く、慎ましい生活を送っていたことが伺える』
と語る。


【検死解剖】
蛆の成長過程から、死後2週間から3週間と判定。
硬い鈍器の様な物で殴打され、少なくとも頭の損傷は11箇所。
内4箇所に陥没骨折。
前頭部からの強い衝撃で、◯◯を骨折(ハッキリと聞き取れず、顎か頸椎のどちらか)している。




死因は、窒息死。
首を絞められた事による頸部圧迫により出来た喉仏骨折が原因。



高齢の為か、馬乗りされた時の圧迫により肋骨も数ヶ所骨折。


警察は、Kさんと同じアパートの1階で、男性と同棲していた女性の行方が分からなくなっているとの情報を掴み、その女性を重要参考人として行方を探した。
詳しく調べると名前は偽名、しかも知人に対して詐欺事件(残念ながら時効成立)を起こし、逃げていたMと判明する。

Mは、事件当時は60歳。
身長は150㎝弱、痩せ型。
3回結婚し、全て離婚。
内縁だった事もあり、その期間に子供も産んでいる(人数も性別も不明)。
前科2犯(窃盗・強盗)。
生まれた場所は兵庫県尼崎市。

警察は躍起になって行方を探すが、容疑者Mは見事に雲隠れしてしまう。

事件発覚から実に10年7ヶ月後。
平成25年2月14日。
容疑者Mは東京のスーパーで万引をして捕まり、長年の逃亡生活はここで幕を閉じる。
逮捕時の所持金は21円。
平成22年の春頃から、東京で路上生活をしていたらしい。


【被告人質問と検察側が調べた証拠のまとめ】

平成13年。
被告Mは60歳。
知人に詐欺を働き、捕まる前に逃亡。
当ては無かったが、初恋の人が居るとの理由だけで、住む所も決めずに岡山に1人でやって来た。

平成14年。
知人にSさんを紹介され、被告Mは偽名を名乗り付き合い始めた。
事件の半年前頃から、Sさんとアパートで同棲を始める。
しかし、被告MはSさんのことは好きではなかった。
価値観も合わず、何より苦痛だっのは夜の生活であった。
お酒を呑んだSさんとの性行為は毎日であり、夜がくるのが苦痛で仕方がなかった。
同棲すれば生活が安定すると思っていたが、期待が外れた上、Sさんとの性行為のストレスや、お金の殆んどがSさんの酒代で消えてしまうことにウンザリする生活だった。
同棲生活、たった1ヶ月で別れることを決意する。
同棲中(6ヶ月間)に数日間、大阪に行く。
Sさんと別れるために、次に住む場所や仕事を探したが、どちらも決める事は出来なかった。
行くあてのない被告Mは、Sさんと同棲する岡山に舞い戻るしかなかった。
1度は大阪行きを諦めたが、日にちが経つにつれ、やはり今の生活から抜け出したく、また大阪に行くことを決める。
しかし、相変わらずお金が無かったので身動きがとれないでいた。

知人にお金を借りたかったが、既に借りており返済もしていないままだった。
被告Mは、どんな仕事に就いても長続きせず、そのため返済の目処が立たないでいた。
知人への返済が滞る状態で、更にお金を借してくれとは、さすがに言えないでいた。


被害者となったKさんとの接点は、平成14年5月頃に被告Mは数週間しか続かなかったが、清掃員の仕事を一緒にした元同僚。
被害者Kさんは同じアパートの2階に、被告Mは1階で暮らしていた。
交流はほとんど無く、アパートの駐輪場で会えば挨拶する程度であった。
そんな薄い関係のKさんから、被告Mは相当に図太いのか、それともただの世間知らずなのか、金を借りに行くのである。
借りる金額は3万円。
そのお金で大阪に向かうつもりでいた。
Kさんに断られたら帰ればいい、そう自分に言い聞かせたが、実際は頭の中は3万のことで一杯であった。

平成14年6月21日。
被告Mは、Kさん宅のドアをノックした。
Kさんが出てきたので『話があります』と言うと、家に招き入れてくれた。
大阪に帰りたいので3万円借して欲しいと頼んでみた。
Kさんは財布を取り出し、わざわざ中身を見せびらかす。
そしてKさんは、
『あるけど、お金は貸せない』と言った。
それでも被告Mは、しつこく言い寄った。
Kさんに『大阪に行くなら返ってくるお金では無いから貸せない』と再度断わられる。
あきらめきれず、1万円でもいいからと頼んだが、答えは同じであった。
帰ろうとしない被告Mに対して、Kさんは被告Mの右側に来て肩に手を乗せた。
肩を抱かれたことで、関係を迫られてると思った。

身の危険から、徐々に逃げ腰になった被告Mに、Kさんは思いが遂げられないと分かると『帰られ、帰られ』と被告Mを玄関まで追いやった。
その時、右側の棚に金槌(カナヅチ)が目に入る。
被告Mは咄嗟に右手で金槌を持ち、Kさんを見据えた。
そして金槌の丸い方で『バカにしてーー!』と叫び、額の上を3回殴った。

被告M
『お金で簡単に動く女だと思われた怒りで、殴ってしまった。
あくまでも衝動的な行動で、殺すつもりは無かった』と述べる。


この金槌について、かなり議論がされた。
何故なら検察は、金槌は被告Mが殺害するつもりで、最初から用意した、と考えていた。

検察
『金槌はKさんの家にあった物ですか?』

被告M
『はい』

検察
『長い月日が経過してますが、その記憶に間違いは無いですか?』

被告M
『はい』

検察は写真を持ち出し、Kさん宅の玄関の写真を被告Mに見せる。

検察
『何処に金槌が置いていましたか?』

被告M
指で
『ここら辺』
と示す。

検察
『この玄関の出入口に、金槌が置いてあるのは不自然ですが、本当にKさんの家にあったんですか?』

被告M
『はい』

検察官と被告の話が終わり、裁判官が弁護人に何か付け加える事はあるかと尋ねる。
それに対して弁護人は『同棲してた部屋に金槌は無かったとSさんから確認は取れています』と述べた。


実際、よく知りもしない相手に、いきなり3万円を借りようとする、その行動は受け入れ難い。
接点がほぼない相手なら、殺して金を奪っても自分だとバレない、と思い犯行に及んだ。
そう言われた方が、シックリくるものがある。
しかし、後者を認めると判決に死刑が言い渡される可能性が高くなる。
その為、被告Mは『金槌は被害者Kさんの家にあった』と頑なに主張する。


犯行に使われた金槌(証拠物件)は、残念ながら約11年の月日が流れた間に失われていた。
つまり出所が追跡できないのである。
これは検察側が考える、初めから殺害して金を奪う犯行だと立証できない事を意味する。


額の上を3回殴られたKさんは、ヨロヨロと部屋の奥の窓側に行った。
それを見た被告Mは、助けを叫ぶのかと思った。
それは困る。
後ろ向きのKさんの後頭部めがけ、更に3から4回、金槌で殴った。

意識が朦朧(もうろう)としたKさんの腕をひっぱり、更に髪の毛を掴み引き倒すと、布団の上に横向きに倒れた。
Kさんを仰向けにし、胸の辺りに馬乗りになり、力加減は覚えていないが再び金槌で頭部を殴った。
『頭以外は殴って無い。
声を挙げられないよう、あえて集中的に頭を狙ったから』と証言した。
狙い通り、Mさんは悲鳴をあげることは無かった。

検察
『殴ってどうするつもりだったのですか?』

被告M
『動かなくなったら、お金が手に入る』

検察
『どうして見付かったら駄目なんですか?
既にKさんとは顔見知りですよね?』

被告M
『人に気付かれたら、お金を奪えなくなる。
窓の時は、人に知られたく無いとの思いで引き倒した。
後は殺す、と思いました』

金槌でさんざん殴った後、被告Mは被害者宅にあったタオルを用いてKさんの首を絞めた。
タオルを交差した状態で首に巻き、力の限り3分から5分弱は締め続けた。
そこまでしたのは、人を呼ばれては困るし、確実に金を奪うためだという。
最終的には、虫の息のKさんをタオルで絞殺したのだった。

動かなくなったKさんの生死は確認せず、ズボンのポケットから財布を抜き出し、Kさんの家から逃げた。
同棲している部屋に戻り、そこで始めて無意識に金槌を持って帰っていることに気が付いた。
タオルは、どうしたか覚えていない。

意外にも、手、金槌、洋服に、あまり血は付いていなかった。
だが念のため、着替えた。

余談だが、殺害後の時間帯に、何事も無かった様に同棲しているSさんと、近所を歩いてる姿が目撃されている。

犯行当日、時間がたつにつれ不安になりだす。
逃げる事を決心し、カバンに下着、洋服2枚、基礎化粧品、ブラシ、金槌を詰めた。
自首については、全く考えて無かった。

Mさんから強奪した財布には、6万円が入っていた。
現金だけを自分の財布に収め、財布は無造作に捨て、その足でバス停に向かった。
乗ったバスは、岡山では老舗の百貨店に停まったので、降りることにした。
無神経にもそこで買い物を堪能し、またバスに乗り岡山南部の健康ランドに向かった。
現場では気が付かなかったが、血生臭いおいがしたので消したかったという。
健康ランドで1泊し、次の日
健康ランド近くの妹尾駅から大阪に向かう。

金槌の鉄の部分を洗ったかは覚えていないが、自分の指紋を消すため柄の部分は洗った。
ここ岡山で捨てる訳にはいかないので、ナイロンで包み更に紙袋に入れ、大阪天王寺駅のコインロッカーに投げ入れた。

そして10年7ヶ月の逃亡生活が始まる。

Kさんの命まで奪って得た6万円は、食事やショッピングなどで1週間で使い果たした。
それ以降は、金に困った時には置き引きで現金を手にした。
いよいよ金が底をついた時、イートインスペースのある食品店に行き、金を支払わず、お味噌汁に勝手にお湯を入れ飲んだり、弁当を食べたりして空腹を満たした事もある。
こうして、大阪で犯罪を繰り返しながら2年間滞在する。

平成18年から21年まで
尼崎市で【K・T】という女性に成りすまし、約4年間、生活保護を受給する。
しかし実在するK・Tさんが普通に生活していることが明らかになり、被告Mの不正受給が発覚する。
被告Mは捕まる前に、また逃亡する。
何度も金に窮し、平成22年の春頃から、ついにホームレス生活をおくることになる。
大阪、京都、愛知、滋賀、富山、名古屋……等々。
最終的には東京で捕まるが、数々の犯罪を繰返しながら転々と全国を渡り歩いた。

24年7月19日(県は不明)
病院に立ち入り、受付を済ませたばかりの81歳の女性に『私はヘルパーをしています。荷物を見てましょうか?』と声を掛ける。
その言葉を信じた女性は荷物を被告Mに預けて診察に向かった。
だが、レントゲンを撮り終えて帰ってくると、バックと共に被告Mは居なくなっていた。
ハンドバッグには現金6万円と金券が入っていた。
病院の防犯カメラにその様子が残っており、法廷でその映像が流される。

25年2月14日。
東京都江東区のスーパーで、品物をカートに入れ、精算しないまま、商品10点合計3379円分をエコバックに入れる。
警備員に、店を出たところで取り押さえられる。
警察に通報し、万引犯として引き渡した。

警察での取調べ中に、被告Mは
『私はたくさん悪いことをした』と言いだす。

警察
『窃盗ですか?』

Mは、うつむきながら
『人の頭を金槌で殴って、逃げようとしたので、髪を引っ張りまた殴った。
動かなくなったけど後は知らない』と述べた。

平成25年2月27日
東京の警察で、殺人についての取調べが行われた。
被告Mは
『岡山で人を殺した。金を貸してもらえず、金槌で殴って財布を奪った』と殺害の関与を認めた。
動機を聞くと
『金を借りようとしたらバカにされて、腹が立って金槌で殴り金を奪った』と述べた。

25年3月10日。
新幹線で被告Mの身柄を岡山に護送し、岡山県警捜査一課が引き継ぐ。
事件発生から約11年、やっと重要参考人を確保したのである。

約1年の取り調べを経て、平成26年に岡山の裁判員裁判で裁かれる事となった。


被告Mは、非常に口が上手く人を騙すことに罪悪感は無い。
知人を騙し詐欺行為をしたり、他人になりすまし大胆にも生活保護受給したり、言葉巧みに弱者とされている高齢者を騙す。
自分の思い通りにならなかった場合は、全て相手が悪いと考える。
検察から被害者Kさんについて、どう思うか聞かれ
被告Mは
『お金のことのみならず、女を侮辱してる。
財布を見せたのに貸してくれなかった。
腹わたが煮えくりかえる』と吐き捨てた。
謝罪どころか相手を非難したのである。

そもそも内気で真面目なKさんが、下の階で同棲をしている女性に、考え無しに色を出すなど、にわかには信じ難い。

死人に口なし……

もう1つ言わせてもらうなら。
被告Mは、被害者Kさんが財布を見せびらかしたと法廷で何度も話に取り上げていた。
あくまでも憶測の域ではあるが、被害者Kさんは、本当に財布を見せたかもしれない。
最初、借りにきたのは数千円だと思い、お財布を取り出したのかも知れない。
財布を見せてしまったことで、殺されるとは思わずに。


被告Mのような人間は、自分を優位にするため、嘘と真実を織り混ぜ、信憑性を高めたストーリーを作りあげる。
自分には、そんな人間にしか思えないのである。


検察側は、被害者には何の落ち度も無いとして、この凶悪事件に死刑を求刑したが


判決
無期懲役


殺人犯Mが裁かれた時は70歳。
年齢を考えると、老後は刑務所生活である。
時間や行動の拘束はあれ、路上生活よりは快適であるはずだ。
刑務所は罪を償う場所ではあるが、恐らく殺人犯Mは反省はしないだろう。
その思考回路が無いといった方が正しいかもしれない。
そして我々の血税は、今日も殺人犯Mの衣食住に使われていくのである。

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