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アスリート型とアート型ビジネスの違いはなにか??


Voicy No.0088 2021年12月9日放送
アスリート型とアート型ビジネスの違いはなにか??

数値化できるビジネス

今の日本人の考え方の大本は、日本が太平洋戦争でアメリカに完膚なきまでに負けて、一時期占領に近いような状況があり、アメリカ主導の下さまざまなルールがつくられ、アメリカの消費スタイルが入ってきたところから来ました。

アメリカは大量生産+マスマーケティングで、CMで多くの人に同じようなものと生活様式をくまなく行き渡らせるやり方をします。おかげで三種の神器(洗濯機・冷蔵庫・掃除機)が1950年代ぐらいから急激に入ってきて、その前までと変わってしまいました。

歴史のところだけを端折らずに触れると、1960~1970年代に高度経済成長と人口の増加があって、池田勇人総理大臣の所得倍増計画も出てきます。このときは政府の計画を上回る経済や所得の伸びがありました。

この流れから思考基準みたいなものが根付いてしまい、とにかくたくさんつくって、たくさん売って、規模とスケールを大きくしていきます。企業も日本全体も収入もそうでした。「数値化されてスコアとなっているものを大きくしていくことがいいことだ。スコアを上げていけ」ということでやってきたのです。

戦後の何もかも失った状況から社会を機能させていくために、1940~1970年代はそうするしかありませんでした。インフラを整備してそれぞれが食べられる状況をつくり、衛生環境の充実とレベルアップを図ります。

多分その時代に戻ったら、どういう方が総理大臣でも、そのテーマでやると思います。戦争に負けて、生活自体が貧乏すぎて成り立ってないわけですから。

「道」という日本人の伝統

それが急激にあった40年~50年ぐらいの間に、ぽっかり抜け落ちてしまった捉え方があります。

もっと古典的な捉え方ともいえますが、日本には茶道・華道がありました。茶道・華道にはスケールは関係ありません。華道では、お茶を同じ時間であの人は3.5杯立てたし、こっちは5.5杯立てるという大量生産的でもありません。

華道も、花一輪の作品と花5輪使っている作品だと、5輪使ったほうが派手だからいい、みたいにはならないわけです。日本人特有の「わびさび」ともいえるけれども、床の間に一輪挿している花と、掛け軸のバランス、あとは外から入ってくる障子を薄く照らす太陽の光との影で、美しさを感じるところがある。

これはスケールアップ型の評価軸ではないのです。

書道みたいなものもそう。黒一色ですから。あれはどう考えたってパソコンやスマホの画面ではありません。全何万色とか表現できると言いたいけれども書道は黒だけなのです。そういう感覚が、もともと日本は伝統的にあります。

それが近代化を相当アメリカの協力を得てというか、戦後負けたのでしょうがないですけど、半強制的にアメリカ型の経済と生活様式に変わっていった。マクドナルドが入ってきたとか、ハリウッド映画を見るとかで、いったんアメリカっぽくやってみました。

しかし、もともと茶道、華道、剣道という「道」的な考え方があり、道の幅の広さが重要ではなくて、とぼとぼと歩き続けるみたいな「終わりなき道」をとにかく静かに進んでいきます。

アメリカ的なスケール発想でいうと、「道路を広くして8車線、12車線にしましょう。交通量が増えました」みたいな感じです。道を究めるというか終わりなき着実な歩みのようなところがあり、良くも悪くも1960~1970年代に経済成長で人口が増え、大量生産、マスマーケティングで日本は豊かになりました。

今は生活環境に関しても必需品がそろっているし、人口が増えないので、家にある椅子の数を増やしていく方向ではないわけです。1950~1970年のときの感覚が今もベースになっているので、「スケールアップしなくていいの? できないの? となったら、どうしたらいいの?」と、みんな困っている。

スケールアップすることがいいと何十年かやってきたので、「スケールじゃないの? スコアをアップするんじゃないのかな」となって、指針がなくなってしまったというムードです。

夢が持てない時代というけれど、そうではなくて「夢じゃない夢」を持てばいい。規模やスケール的な憧れに、全員同じようにそろって乗らなくていいという時代です。これは良くないですか。

そうなると、困ったことに日本人が一番得意じゃない「君はどうしたいの。君は何色をキャンバスに描きたいの。つくり出すものは立体物にするの、絵にするの?」みたいになって、アート的側面になっていく。描いた絵の大きさ、枚数、売れた絵の数ではないのです。

ここで自分はアスリート型とアート型ビジネスという言い方になります。アート型ビジネスに関しては、やまけん(山田研太)さん
Twitter https://twitter.com/yamaken_edu
やまけんさんの発想をかなり活用させてもらって考えのベースにしています。

やまけんさんは論文も書いているので、ぜひ見てほしい。
https://yamadakenta.jp/
対談のゲストとして、コテツラジオにも出てもらっているので。

人生やビジネスをアスリート的に捉えている人と、アート的に捉えている人がいます。

自覚があるかないかは別として、アスリート的に捉えているとはどういうことでしょうか。

スコアとか数値化できるものと立場の上下が、アスリートにはあります。最後に全国大会の優勝とか世界大会の優勝が必ずあって、サッカーのワールドカップもそうですが、最高最強のチームといったら1個しかありません。

必ず上下が付く。
甲子園に出た出ないという記録も残る。

打率何割、生涯打率とか生涯得点とか数値化できるから、それを比べれば、必ず順番が付きます。


自分の美意識を尺度にするビジネス

アート的な捉え方では、「これは俺の色だ。俺の表現はこれだ」という、個性や自分の価値基準、美学を貫くことを重視して表現しています。「そういう捉え方をしている」というのを例えた名称の置き方です。

アスリート的にというのは、フォロワーが増えたとか、万アカになったとか。そういうのが好きな人はいますよね。マーケティング的には「それがいい」といわれています。「何とか何とかの相談に、何千件乗りました」ということです。

件数に意味があるのかと思いますが、マーケティング的にみんなやっているので、芸がないと思う。数値でアピールしたい志向の人がいるのです。

なぜアスリート的ビジネスの捉え方とアート的なビジネスの捉え方という2つがあるという話をするようになったかというと、俺が両方やったからです。

26で会社を始めたときはIT関連でしたが、もともとサラリーマンのときも、技術者ではなくて営業マンで、IT関連のサービスを売ることで会社を拡大しました。

もちろん技術強化をしてやったのですが、最初に起業した会社のときの尺度は、とにかく年商と社員を増やすこと。たくさんの人を雇用することが、社会的には大事だと信じて疑いませんでした。

あとは、会社は大きいほうが、経営者として言いやすいと思い込んでいたところがあります。ですから完全にアスリート的ビジネスだったのです。年商も社員もどんどん増え、ちょっとした会社になったことにものすごい喜びを感じていました。けれども、俺は1つめの会社を出ることになりました。

「オーナー社長が出ることがあるの?」というところには触れません。フランスからチョコレートを持ってくるビジネスも同時にやっていたので、ブランド事業に関わったわけです。

ブランドは規模の問題ではありません。
ブランドの立ち位置がしっかり守られているかが大切です。

ブランドに合わない人に数をたくさん買ってもらうよりは、ブランドに望ましいファンの方と、望ましい関係を一緒に奏でるハーモニーのような感じです。CDをばらまくのではなくて、ファンの方も含めてジャズセッションをやっているかのようなイメージが、ブランドビジネスです。

ですから、ビジネス人生前半の十数年は、会社をとにかく大きくしよう、社員を増やそうとしました。拡大のアスリート的ビジネスの捉え方による経営者人生があり、その途中からブランドのビジネスをやったので、アート的な捉え方がありました。

会社拡大するときは、極めてアメリカ的なマスマーケティングでどんどん需要を掘り起こし、効率化して、がんがんこなすビジネスをしました。ブランドビジネスのときには、ヨーロッパ的な発想に触れることになったのです。

これは意図的ではありません。ある種の偶然で、今はアート型ビジネスの部分がわかるようになったので、それをお伝えすることが結構多いということです。

儲けを出すのがビジネス。

自分は、ビジネスは儲かったほうがいいと思っています。

付け加えて、お伝えしたいことがあります。

なぜ日本人は、芸術家とか役者とかクリエーティブとかエンターテインメントに関わっている人は貧乏でもやるものだとか、研究者・学者は、お金のことを言うなとなっているのでしょうか。

アメリカの大学の研究費はすごいから、自分たちでもビジネスをがんがんやって儲けたお金を研究につぎ込むので、クオリティーがぐんぐん上がります。寄付とか企業の協賛もめちゃくちゃ持ってきます。アメリカの大学の研究室は、完全にビジネスの競争環境の中で成立しているのです。

ですから、儲けないほうがいいなんて思ったことは一度もありません。
儲ければクオリティーを上げられるし社、員の給料も上げられます。

日本人はお金アレルギーがあります。儲けたらいけないとか、儲けられない言い訳を「アート型ビジネスだ」と言い張るのは、俺は好きじゃない。

アート型ビジネスをやる限りは、自分の持っている価値基準や美意識を元に熱いファンの方を生み出して、きちっと利益を頂いて、さらに、それを自分の価値基準のもと、自分のブランドとかビジネスで表現して回さなくてはダメだというところです。

アート型とアスリート型、両方あっていい。


もうひとつ補足したほうがいいことがあります。

アート型ビジネスのほうが小さくて、アスリート型ビジネスの規模が大きいわけではありません。規模が大きなアート型ビジネスもあって、その最たるものはラグジュアリーブランドです。

ヴィトン、グッチ、バレンシアガなどは、何千億、何兆円と売っています。アート型ビジネスで何兆円も売れるということです。

規模を大きくしないことが、かっこいいわけではありません。規模だけを基準にしないのがアート型ビジネスなので、決してそこを変なふうに捉えてほしくないので補足しました。

どっちが今の時代に合っていると言うつもりもありません。

昔に比べれば、アート型ビジネスでファンをつくることは、支持されやすくなりました。

昭和の時代は、結局、バブル崩壊前までは数売れるようなものじゃないと受けなかった。ですから、今の時代のほうがアート型ビジネスはやりやすいとは思いますが、アスリート型ビジネスが古くて下にあるもので、アート型ビジネスが上にあるものとは全然思いません。

どっちを基準にやるかで戦略が違います。自分がやっているビジネスをどっちに持っていくかで、思想とか戦略とか手段が変わってくるのだという自覚のために表現しているだけです。そこを勘違いしないようにお願いしたいところです。

今後もアート型ビジネス・アスリート型ビジネスに触れることがあると思うので、続けて研究して実践をしていくつもりです。

以上、久々野智小哲でした。

本文は
コテツがVoicyの「ブランディングと商売の話」で語った
内容を文章化し加筆したものです。
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