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私とタクシーのはなし

 タクシーに乗ること。
これに関しても片手で数える程のものしか使ったことがありません。というより最後の手段、みたいなものだと思っています。
そのくらい、タクシーを使うことはこちらでは「ない」に等しい文化です。

 小さい時に一度タクシーに乗ったことがあります。ただ、何故乗らなければならなかったのか?
ということは覚えていません。ただ、母と祖母と3人横並びで座っていた、窓の外の景色と一緒に頭の片隅に残っていることは覚えています。

 そして2回目が数年前。
初めて県外の友達の家に行く前に他県で遊んでいた後、駅から歩いていく、バスも出ていない時間だったのでタクシーに乗ろう!と言われてびっくりしました。一応ワンメーターくらい、だからとは伝えられていたので。
でも、タクシーに乗って、割勘して。
ワンメーターちょっとなのに、なんかドキドキしてしまっていた。

 東京にいた時、小学生か中学生か。
制服を着た小さな子が電車に乗っている通学をしていることでもびっくりしたのに、一度だけタクシーに1人で乗っているそのくらいの子、制服を着たまま乗っている子がいて二度見してしまった。

「東京だと当たり前なのか?」

と思った。

ただ、私は自分で遊びに行っても電車かバスかどこでも東京は歩いていく人だった。
ワンメーターでも?
タクシーを乗ろう!という気持ちが生まれたことがありません。

駅からは遠いところだし、車は1人1台文化の中にいるのでタクシーを使うとは?という概念が選択肢は?
というので欠けているのだと思います。何キロかで700円くらいかかることにびっくりしてしまう。
(都内とかだともう少し安い?のかもしれませんが)だから私がタクシーを使う、という時は誰かといる時であったり自分では対処出来ない時(それこそ陣痛が来たらタクシーで配車してくれるサービスがある地域もあるみたいです、そういう自分で身動きがとれなくなった場合)にしか利用しないのかな?
と思います。

少し、タクシーというものを利用してみたい自分もいますが今のところそのような状態であったり境遇がないので、いつかなのかもな。
と思っています。

【本日の読書】
「fishy」 金原ひとみ(朝日新聞出版) もう少しで読み終わり

 ほぼ起承転結の「結」です。
3人が自分の境遇と向き合い、1人目の美玖が今どうありたいか?と語っているところ、です。

多分これを書いた後に続きを読みますが、感想…夜中につぶやいても良いのだろうか?
とはなっています。とにかく明日には感想を出せるかと。

きちんと主人公たちが生きていました。こんなに言葉が乗る?ってくらい喋り言葉が読みやすいです。

本日はこの辺で!

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