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科学・芸術・大阪の未来のすがた:SF短編『みをつくしの人形遣いたち』


はじめに

 本記事は、正井 編「大阪SFアンソロジー:OSAKA2045」(Kaguya Books / 社会評論社)に収録された拙作、『みをつくしの人形遣いたち』に対する著者自身による作品解説記事です。

 まず作品内容を簡単に紹介したのち、記事タイトルにもなっている作品テーマ(科学・芸術・大阪の未来のすがた)についてつらつらと語ります。
 あくまで作品解説という立て付けですが内容的には独立していますので、上記のテーマにビビッと来た方は、ぜひお読みいただければと思います。

『みをつくしの人形遣いたち』について

 同作は8月31日に発売された「大阪SFアンソロジー:OSAKA2045」に収録のSF短編です。ジャンルとしてはSFですが、思弁的要素は控えめで、編者の正井さんからも紹介いただいたお仕事SFというのが最も適切だと思います。

 舞台は2045年の大阪・夢洲。万博跡地にある科学館「ロボアイ館」で働くサイエンスコミュニケーターが主人公です。未来の大阪に住む一市民である彼女の目を通し、AIによる自動化技術が社会に浸透していく中、科学や文化、そして大阪という街のあり方は一体どうなっていくのかを探ります。


 同作ですが、今年3月下旬にバゴプラさんで実施された公募での採用作となります。(下記リンク参照)わたしは関西出身ではないのですが、社会人3年目から大阪市内に約7年ほど住んでいるため、ぜひこの大阪という魔訶不思議な街について、思いを形にしたいなと思い応募しました。

 公募がOPENになったのが2月の終わり頃で、そこから構想を初め、土日を中心に一か月ほどで仕上げました。わりと難産で舞台や展開に最後まで悩み、応募完了したのは確か公募期間最終日の23時頃だったと思います。

 さて、そうやって生まれた同作なのですが、作中では大きく三つのテーマを扱わっています。①科学 ②芸術 ③大阪  の三つの未来のすがたです。

 これらは自身が常日頃関心を持っている内容であり、今回の話にはここぞとばかりにそれらを盛り込みました。ただ自身の力量不足などもあり、作中では必ずしも伝えきれなかった内容もあると反省しています。

 そこでここからは、ある種のバックヤードツアーとして、上記の三つのテーマに関して自身の考えや参考情報などを語っていければと思います。

テーマ①:科学の未来のすがた

 最初のテーマは科学の未来です。本作は科学館が舞台ということもあり、科学研究及びサイエンスコミュニケーションにフォーカスしています。

1) 科学研究の未来

 科学研究においては、近い将来にAIが重要な役割を果たすのはほぼ間違いがないと思います。この分野は研究の自動化(ARW: Automated Research Workflow)やデータ駆動科学という名で呼ばれており、学術会議主体でシンポジウムが9月に開かれるなど、今非常にホットな領域となっています。

 この辺りはまだ概念整理がされている段階という理解ですが、素人である自身がざっくりと外から眺めている限りは、現在の研究の自動化には大きく、①仮説探索の自動化 ②仮説検証の自動化  ③論文執筆の自動化 の三つの方向性があるのではないかと思います。

 AI利用のひとつの方向性は、AIによる①仮説探索の自動化です。これは理論や新物質の探索にAIを利用しようとする取り組みで、既存のコンピュータシミュレーション等を利用した研究の延長線上にあります。数学や物理学、あるいは化学・生物学といった幅広い分野で行われています。

 例1:DeepMind社の2021年のプレスリリース。結び目理論と呼ばれる数学の一分野でAIを利用したという内容で、当時かなり話題になりました。

例2:神戸大学の2021年のプレスリリース。観測データから物理学の形式に沿ったモデルを作成するAIを開発したという内容です。


例3:2022年の理研のプレスリリース。蛍光有機分子を設計するAIを開発し、提案分子を実際に合成したところ、蛍光現象を示したという内容です。


 またこれとは異なる方向性でのAIの活用が、②仮説検証の自動化です。これは主にラボラトリオートメーションと呼ばれる分野で研究が進んでおり、従来人間がやっていた実験をAIやロボットで実施することで、研究の生産性や効率性をUPしようという取り組みです。

例4:同じく神戸大学のリリース。スマートセルと呼ばれる遺伝子改変を行った細胞を大量生産するための自律型実験システムの関して、島津製作所とともにPoCを実施したという内容です。

例5:中外製薬とオムロンのプレスリリース。創薬研究におけるサンプル輸送からはじまりより非定型な業務へと実証実験を始めていくとのことです。


 また、よりすべての分野に共通する汎用的な自動化の方向性として、③論文執筆の自動化があります。これはどのような研究でも共通として必要になる、論文執筆やプレスリリースなどのコミュニケーションプロセスに関する自動化支援です。

 ChatGPTが登場して以来、それが学術論文の骨子作成や翻訳などに利用できそうだということが、学術研究者の間では一躍話題となりました。

 これは特に、日本を含む非英語圏の研究者にとっては福音だと思われます。今年の7月には、クイーンズランド大学の天野達也先生による、英語ノンネイティブの研究者が科学研究において直面するコストや不利益を、横断的なアンケート調査によって可視化した論文が話題となりました。

 上記の記事の後編でもChatGPTに触れられていますが、生成AIによる翻訳は、英語が科学の公用語であることにより不利益を被っているノンネイティブの研究者をサポートする一つの手段となりうるでしょう。

 一方で学術論文の執筆にLLMを利用することには複雑な問題も孕んでいます。いわゆるハルシネーションの問題などにより、現行のLLMが返す応答には架空の内容が多く含まれる可能性があるためです。

 もし架空の内容が含まれた論文が粗製乱造され、レビューを経ないままに学術誌に氾濫することになれば、それは事実性に重きを置くプログラムである、科学の根底を揺るがしかねない深刻な事態になると思われます。
(科学論に詳しい方は、いわゆるソーカル事件の悲劇を思い出して頂ければと思います)

 現状はNatureを始めとする学術誌は、LLMの論文執筆の利用に関して保守的な態度をとっています。この辺りは学術雑誌によって若干のガイドラインの強弱があり、投稿論文に関するあらゆる利用を認めない立場から、翻訳などの用途に限定するものもあります。この辺りのガイドラインも技術の発展とともにまたアップデートされていくと思われます。

 また、翻訳だけでなく多くの論文で必要になる統計解析やコーディング等に関しても、AIによる支援が行われていくことになると思います。(作中でも主人公が科学イベントの効果分析をAIと対話的に行う場面が出てきます)

 現在でも Wolfram Alpha という計算支援をメインとした解析エンジン(自然言語での質問応答なども可能)が存在しますが、この流れが更に強化されていくのかなというイメージです。


『みをつくしの人形遣いたち』に出てくる「研究支援AI」という存在は私の造語ですが、このあたりの①~③の統合的な支援を行うAIをイメージしています。なお、くしくも7月末に、文部科学省が科学研究に特化した生成AIの開発を行うというプレスリリースが発表されました。

 このような状況を踏まえると、自身が同作で描いたような科学研究の未来は決して夢物語ではないと思われます。当面は研究者のサブとしての支援にとどまると思われますが、作中にあるようにAIが科学知識の生産プロセスの主体となるのも、もしかするとそう遠い未来ではないのかもしれません。

2) サイエンスコミュニケーションの未来

 ここまでは科学研究の話でしたが、科学的知識を一般の方々にアウトリーチしていく活動であるサイエンスコミュニケーションについても、AIはその存在感を増していくと思われます。

オンサイト型のサイエンスコミュニケーションについて

 現在のサイエンスコミュニケーションにはオンサイト型とオンライン型の両方のフィールドがあり、それぞれ現在微妙に目指しているゴールや、重点領域が異なると考えています。
 前者はサイエンスカフェや科学イベント、科学館や博物館展示などで、地域と連携した双方向的な体験を重視しています。一般にサイエンスコミュニケーションと言ったときに我々がイメージするのはこちらかと思います。

 現在、オンサイト型のサイエンスコミュニケーションの中心となっている施設が科学館や博物館です。今回の作品の舞台は大阪のため、ここからは大阪の科学館にフォーカスして語っていきます。

 大阪には幾つか科学館や博物館がありますが、最も代表的なものが中之島にある大阪市立科学館です。ここは日本初の科学館である大阪市立電気科学館を前身とする西日本でも最大級の科学ミュージアムであり、プラネタリウムや日本初のロボットとも言われる学天即の動体復元などで有名です。

 一方で、先日も上野の国立科学博物館のクラウドファンディングが話題になりましたが、全国の科学館や博物館は独立行政法人化に伴う行政からの支援削減と、強い外部資金獲得のプレッシャーを受けています。これは、大阪についても同じ状況にあります。(なお科博の件は11/5までの募集期間のようなので、興味のある方はぜひご参加ください。私も参加しました) 

 特に大阪市の財政事情はほかの自治体と比較し非常に悪かったため、すでにおよそ十年前には財政的な問題が顕在化していました。2013年には同科学館は「大阪市立科学館のあり方」を公開し、より多様な支援者を前提とする、今後十年間の科学館の戦略や方針をまとめました。

 こうした背景のもと、同科学館は強みであるプラネタリウム事業によりフォーカスし、地方独立行政法人である博物館機構の傘下に入った2019年から複数回のリニューアルを行っています。今年の4月には「大阪市立科学館展示改装基本計画」が公開され、大阪万博に合わせて科学展示フロアを全面的にリニューアルする計画が発表されています。

 このように、大阪市立科学館を中心とする科学館や博物館などの施設は財政的にはかなり厳しい状況下にありますが、今後も引き続きオンサイト型のサイエンスコミュニケーションの中心であり続けると思われます。


オンライン型のサイエンスコミュニケーションについて

 さて、そのようなオンサイト型での活動に加え、近年より存在感を増しているのがオンライン型のサイエンスコミュニケーションです。
 これは学術系YouTuber / VTuber などに代表される、SNSやストリーミング、動画を利用したコミュニケーションです。当該分野の研究者であることなども多く、オンサイト型と比べよりマス向けへの発信(アウトリーチ)を意識されています。以下では少しだけその方々の取り組みを紹介します。

例1:サイエンスアーティストである市岡元気さんのチャンネル。もともとでんじろう先生のプロダクションのスタッフをされていたということで、実際の実験をベースにした内容が非常に充実されています。

例2:惑星科学者Vtuberである星見まどかさんのチャンネル。惑星科学専攻の大学院生で、JAXAや国立天文台とのコラボレーション動画を発信されているなどします。

例3:データサイエンス分野での動画を投稿されているアイシア・ソリッドさん。数学の博士号を持つ運営者(マスター)のもと、動画形式でよりキャラクター性を重視した形での活動を行われています。


 上記で上げた方々以外にも、非常に多くの方がオンラインでのサイエンスコミュニケーション活動に取り組まれており、世はまさに大サイエンスコミュニケーター時代と言える状態ですが、自身はこのようなオンライン型のサイエンスコミュニケーションにおいて、今後AIが活用されていくと考えています。いわばAIサイエンスコミュニケーターの誕生です。(なお、既にChatGPTを利用した、AI Vtuber は続々と登場してきています)

 国内事例としては、既に今年の3月にキッズウィークエンドさんという教育系プラットフォーム企業にて、ChatGPTベースのオンラインで動くbot(AIウィー子ちゃん)がリリースされています。

 一方で現時点(2023年夏)では、先述のような事実性の問題があり、ChatGPTなどのサービスが提供する科学的知識の扱いは難しい状態です。昨年Metaが公開した科学者支援用のLLM「Galactica」も、公開から3日間でデモがクローズされるなど、まだ実用レベルには達していない状態です。

 ただし、こうした事実性の問題は、将来的にはクリアされていくと思われます。その一つとして現在注目されているのが、例えばRAG(Retrieval Augmented Generation)と呼ばれる手法です。これは大規模言語モデルの応答に外部データソースの情報を補完的に利用しようとする取り組みであり、ハルシネーションの削減に効果があると期待されています。

 AIサイエンスコミュニケーターの強みとしては、①膨大な知識量  ②トランザクション(24時間365日・並行でも対応可能)③個人に合わせたカスタマイズ性 があると自身は考えています。

 当面は学習の入り口となるいわゆるビアマット知識(コースターの裏にかけるような、一問一答クイズ的な入門知識)をマス向けに発信するのがメインになると思われますが、将来的には上記で上げた学術系Youtuber / Vtuber の方々がやっているような、より高度なサイエンスコミュニケーション活動にも次第にその活用フィールドを広げていくことが可能と思われます。

 技術の進歩に伴い、最終的に人間と AI、オンライン型とオンサイト型の垣根は明確では無くなっていき、サイエンスコミュニケーションの現場では、人間とAIが協同して働くことになるのではないでしょうか。
みをつくしの人形遣いたち』で自身が描いたのは、そのようなサイエンスコミュニケーションの未来となります。

テーマ②:芸術の未来のすがた

 さてここからは打って変わり、もう一つのテーマである芸術の未来のすがたについて語ります。物語の舞台である大阪の芸術にフォーカスします。

 メディアで取り上げられる大阪の芸術(芸能)というと、吉本の芸人さんに代表されるようなお笑いや岡本太郎などのイメージが強いですが、『みをつくしの人形遣いたち』では別の芸術分野へとフォーカスしています。
それは、上方芸能です。

1) 文楽(人形浄瑠璃)の未来

 今回特にフォーカスしているのは、文楽(人形浄瑠璃)です。実はわたしも文楽については最近まで全く触れたことがなかったのですが、偶然駅で下記の「COOL文楽Show」のポスターを見かけて、興味を持ちました。

 これは去年三月に実施された大阪市の支援事業で、それまで文楽を観たことがない世代にも文楽を親しんでもらおうという取り組みでした。

 作家の三浦しをん先生や俳優の篠井英介さんのトークショーや、アーティストの後藤靖香さんのプロジェクションマッピングとのコラボなど、文楽という伝統芸能の未来の姿を感じさせた、素晴らしい公演だったと思います。

 作中の未来の文楽の描写は、この時の体験や感動をもとにしています。下記にダイジェスト動画なども上がっていますので、ぜひご覧ください。

 さて、文楽のなかでも特に私が関心を持ち、作中でも触れているのが、「人形遣い」という役割です。これは主使い・左使い・足遣い三人で一つの人形を操るという文楽独自の技術です。

 実際の人形遣いの技術や稽古などがどのようなものであるかについては、紙面の都合からはここでは語りませんが、下記の人形遣いの方々の自伝などに詳しく説明されていますので興味のある方はぜひお読みください(なお人間国宝の桐竹勘十郎さんは、上記のCOOL文楽Showにも出演されています)

 こうした大阪を代表する伝統芸能である文楽ですが、先ほどの科学館と状況は似ており、なかなか厳しい環境にあります。
 日本橋の国立文楽劇場ではコロナ前までは年間10万人の観客動員があったとのことですが、現在もまだ客足は戻り切っていないようです。また、五月には次世代を担う研修生の応募がゼロであったことも話題となりました。

 このような状況下で、文楽/人形浄瑠璃もまた、ハード面・ソフト面ともに変わっていくと思われます。まだその姿がイメージできるほどに自分はまだ文楽に詳しくはないのですが、そのハード面でのひとつの可能性が、先ほどの「COOL文楽」Showで行われたような、デジタル技術を利用したマルチメディア化だと思います。

 またソフト面では、上記の「COOL文楽」Showのような敷居を低める取り組みに加え、同じ伝統芸能である歌舞伎におけるスーパー歌舞伎のような、現代的な物語への演目リニューアルもありえると思われます。

 現在、幅広い層へのアウトリーチを目指している文楽ですが、やはり伝統芸能ということもあり、十二分に楽しむためにはある程度の前提知識が必要となります。実際「COOL文楽Show」でも、自身は鑑賞する演目である「曽根崎心中」の現代語訳をざっと読むなどして公演に臨みました。


 一方で新しい取り組みも生まれています。作中には大阪北部の能勢町という町が出てきますが、ここは江戸時代から続く「能勢の浄瑠璃」と呼ばれる浄瑠璃で有名な土地です。20年前ほどから能勢町では人形浄瑠璃に力を入れており、同地にある鹿角座を中心に、様々な公演が行われています。

 この鹿角座では現代的なイメージキャラクターや、SF的要素を持つオリジナルの演目が導入されているなど、新しい取り組みが行われています。


 上記で紹介した、三人で人形を遣うという人形遣いの伝統的なスタイルは、人形浄瑠璃の初期からあったわけではありません。また、近松門在衛門の手による『曽根崎心中』も実在の事件をテーマにした「世話物」と呼ばれるジャンルであり、これも「時代物」と言われる歴史上の物語を主題とするジャンルが主流であった当時は、非常に新しい取り組みでした。

 このように、未来における文楽/人形浄瑠璃の姿もまた、時代のニーズに合わせて今後更に移り変わっていくものだと思われます。

テーマ③:大阪の未来のすがた

 さて、最後のテーマが大阪の未来のすがたです。テーマ①②で扱ってきた科学と芸術ですが、共通点として歴史の集積の上に成り立っているという点があります。実は大阪という都市の地理的な成り立ちもまた同じです。

 大阪市内に住んでいる方には有名な話なのですが、梅田を含む現在の大阪市の上町台地(大阪城付近)以西の全域は昔は川や海であったと言われています。ただ、それを意識している人は今は殆どおらず、当然のものとして受け入れています。(6月のブラタモリでも、この辺りの話がありましたね)

 このような地理的背景だけでなく、文化的な側面においても、大阪という街は進取の気風のもと、歴史的な積み重ねの上にありながらも、それに拘泥せず様々な新しい物を取り入れて発展してきた街だと考えています。

 それはわたしのような余所者や新しいアイデアを受け入れる柔軟さという側面に表れており、わたしは大阪の持つこの側面が非常に好きです。
 
 一方で現在の大阪はかつての姿から、大分変わってしまったと感じている人もいるようです。例えばビジネス面の話をすると、90年代以降、大阪と密接に関わりのある住友系企業の本社の多くは東京に移転してしまいました。

 こうしたなかで、現在の大阪への評価や思いというものは、人によってかなり分かれているように思われます。これは、「大阪SFアンソロジー」の出来上がった書籍を初めて読んだ時にも強く感じたことでもあります。

 こうした価値観的な分断というものは、大阪の未来のすがたを考えるうえでのひとつのカギになると思われます。特に2025年の大阪万博は、未来を考える上での、ひとつのターニングポイントとなりえるでしょう。

 現在の大阪は好調なインバウンド需要などを背景にイケイケドンドンなムードですが、恐らくは25年の万博終了後、どこかで再びかつての大阪の財政改革のような緊縮の波が揺り戻しとしてやってくると思われます。

 『みをつくしの人形遣いたち』で描写された2045年の大阪は、潮が満ちて岩礁が海中に沈んでいくような、ゆるやかな衰退を迎えている状況です。観光産業の隆盛で都市は一応の活気を保ちつつあるものの、科学館の職員である主人公たちは、人員的にも予算的にも苦しい状況に置かれています。

 ですがそのような中でも、主人公たちは希望を捨てません。自身の仕事ザッヘに専念するというプラグマティックな選択肢をもって自らの使命ベルーフを果たそうとします。

 その姿はヴェーバー「職業(仕事)としての学問」の中で描かれる誇り高い専門家の姿を想起させるものです。しかしその一方で、それはある意味で専門家である彼女たちに多くを求め過ぎている状態でもあります。

 そして、それは大阪に限らず、この国の科学研究やコミュニケーションの現場において、既に起こっていることであると思います。
『みをつくしの人形遣いたち』は困難の中で希望を見出す物語ではありますが、そのこと自体は忘れてはいけないな、とわたしは強く感じています。

 
 さて、ここまでややネガティブ寄りの未来予想を語ってきましたが、一方で実際の2045年の大阪がどのような姿になるかは、正直わかりません。

 ただ一つ確実に言えることは、未来は現実の外挿としての延長線上にあるということです。過度に悲観的にも楽観的にもならず、それでもなおデンノッホと虚心坦懐に現実を見つめて未来を創り上げていく。
 それこそがこの大阪という都市に住むわたしたちが、果たすべき仕事ザッヘであり使命ベルーフではないかと思います。

おわりに

 長くなりましたが、「大阪SFアンソロジー」収録の自作「みをつくしの人形遣い」に関する解説は以上となります。最後にやや蛇足ではありますが、本作に関する自身の所感を少しだけ語ります。

良かったと感じていること
 第一にまず良かったと感じていることは、自分らしい作品が書けたということです。科学館、AI、文楽という複数の題材を混ぜ合わせ、手前味噌ですが珍しい味わいのある作品が書けたのではないかと思います。

 また比較的多様なバックグラウンドの方から良かったという感想を頂けており、自身が重視しているストーリー性と技術的内容のバランスは、上手く取れた作品になっているのではないかと思います。

課題だと感じていること
 一方で課題として感じていることも正直多くあります。科学館の展示などの描写が十分にできなかったなどの細かい話もありますが、一番は技術的な解像度や題材の深堀りがまだまだだったのではないかという点です。

 5月末に「AIとSF」という短編集がハヤカワ文庫さんから発売されました。その中で長谷敏司先生の「準備がいつまで経っても終わらない件」という作品は、大阪万博 × LLM という、今回8月末に出た自作と意味空間上で近傍にある題材を扱われています。

 長谷敏司先生の作品は万博準備を題材にされた科学者や行政官のスラップスティックコメディであり、自身の作品とはジャンルとしてもストーリーにしても全く違う話となります。(なお、長谷先生は大阪のご出身です)

 ただ類似の題材を扱っているにも関わらず、SFの第一線で活躍されている先生とはやはりここまで作劇の水準や技術的な解像度が変わってくるのか……と、駆け出しである自身は衝撃を受けました。恐らく長谷先生のこのお話が出ることを知っていたら、異なる題材を選んでいたと思います。

 また発刊後「大阪SFアンソロジー」に収録された他の著者の皆様の作品を読んだ時にも、自身は同様の衝撃を受けました。自身の未来の大阪のビジョンは、他の方々と比べてあまりに楽観的すぎるのではないか? また「歴史の積み重ねと人々の声」というアンソロジー全体のテーマをもっと深堀りできたのではないか? 反省することは多くあります。

 物語を書くということは、その人の持つ世界観を形にすることであり、それは即ち、自身のあり方の一部を読み手に問うことだと私は考えています。

 今回の収録作(『みをつくしの人形遣いたち』)は間違いなく現在のわたしのベストと言える作品ではありますが、こうした課題感を少しでも次作の制作に生かしていければと思っています。

 最後になりましたが、自作が今回世に出るまでに関わった全ての皆様に対し、この場をお借りして感謝を申し上げます。特に編者の正井さま、バゴプラの斎藤隼飛さまのお二人に関しては、本作の改稿作業や校閲など、様々な面で本当にお世話になりました。ありがとうございました。

※良いオチが思いつかなかったので、最後にもう一度Amazonリンクを貼らせて頂きオチとします。宣伝はなんぼあってもええですからね。

(了)

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